Archive for 2019.11

企業として当たり前のこと。

2019.11.20

本来、企業の目的というのは「利益を出すこと」だ。
これをみんな間違って、企業の目的を「社会貢献すること」だと、格好つけて嘯(うそぶ)いてしまう。
すると、従業員は低賃金でやることが増えて、労働時間も増えて、苦しむことになる。
経営者自身も、頭の中で考えていることや、経営会議で話すことと、外向けに話していることのギャップに目を背けるようになる。
一方で、利益に支配されて、安く仕入れて高く売ることが、経営者の仕事だと勘違いしている人もいる。
結論から言うと、どちらも間違っている。
 
もう一度言うが、企業の目的とは「利益を出すこと」だ。
もしも、社会貢献をしたいのなら、利益を増やして、納税額を増やせばいい。
足りなければ、さらに寄付をしてもいい。
これは未上場でも上場企業でも同じだ。
 
どうしても、社会貢献という言葉を使いたい人のために、逆算して話していこう。
社会貢献をするために、納税額を増やす。
納税額を増やすために、利益を上げる。
利益を上げるために、いい商品やいいサービスを提供する。
いい商品やいいサービスを提供するために、いい人材を獲得する。
いい人材はそれに見合った報酬や条件が必要になる。
これは、いい商品やいいサービスを適正価格で売るのと同じだ。
 
この一連の流れは別にぼくの主観ではなく、そういう原理であり、変えようがないことだ。
だが、どこかのコンサルに毒された経営者が多いのか、地方に行っても、都心にいても、格好つけの経営者ばかりと出会う。
そういうことを話していたら、同じことを言っている人がいた。
読んでみたら、時間の使い方や川の流れと見立てる人生観など、似ているところが多かった。
その本は、堀江貴文さんの『時間革命』という本。

おいしい料理と、クリエイティブ。

2019.11.19

最寄駅の近くに、ランチがとてもおいしいカフェバーがあります。
カフェ時間は閉まっているから、カフェバーと言っていいのかは疑問ですが、ジャズバーと言ったら夜営業しかやっていないようだし……。
そんな、「こうだ」と言うのが難しいお店なのですが、気難しいということはまったくなく、しかもご飯がめちゃくちゃおいしい。
ぼくはハンバーグか週替わりのランチを食べるのですが、ここのハンバーグは、おいしいです。
ま、いつも通り、「食べればわかるよ」と言うしかないんですが、完全に王道の洋食です。
これに、ライス、サラダ、デザート、そしてコーヒーがついてきます。
「おいしい」っていうのは、単体のおいしさもあるし、バランスのおいしさもあります。
その両方の次元がすこぶる高い。
値段云々よりも、このおいしさを知ったら、行っちゃいますよ。
 
ぼくはこのお店に入る度に、「惜しいことをした」と思うのです。
なぜなら、ぼくがこのお店に入ったのは、この街に引っ越してから一年半が経とうとしていた頃なのですから。
理由は、お店の看板が、まったくおいしそうじゃないこと。
なにがどうとかはここでは言う必要がありませんが、ここに来る度にデザインや写真、イラストレーションの力って、とても大事だと思うのです。
ご飯はおいしい、接客も素敵、雰囲気もおちつく。
なのに、いつも混んでいるわけではなく、時間によっては、お客がぼく一人ということもあります。
 
けれど、このお店が、その状況をどう考えているかは、まだわからないので、ぼくは何も言わないようにしています。
お店の人が、今のお店を最高だと思っていたら、ぼくが何かを言うのは野暮ってもんです。
本当に必要なら、協力するタイミングがやってくるはずです。
流れに身を任せるというのも、大事なことです。

二つにわかれる。

2019.11.18

以前手掛けたロゴが、来年発売されるデザイン系の年鑑に掲載される。
クリエイティブの評価が高く、事業も成長していっている案件と、そうでない案件とで顕著な差が生まれている。
これらの違いは、進め方の違いが影響している。
 
ぼくは度々、専門家を医者として喩えているが、医者の見立てた治療方針に、患者がとやかく注文をつけて、いい治療結果や予防診療が成り立つはずもなく。
この喩え話通りのことが、ぼくの仕事にも起きている。
ぼくは別に凄い人間ではない。
欲望を持たずに、患者(クライアント)の事業を診ているだけだ。
 
その上で、気がついたことがある。
議論が活発な企業ほど、危うい。
何故なら、議論を活発にするのは簡単だからだ。
相手の話すことを信じなければいい。
そうすれば、自ずと反論内容が思い浮かび、詰問できる。
これで、議論になり、勝ち負けが生まれる。
 
そうではなく、雑談が豊かな企業は、成長が見込める。
雑談は脱線しないと、豊かにならない。
つまり、本筋である事業から外れた会話が、時間をとってどれだけできるかだ。
さらに、雑談を続けるには、相手の話したことを信じて、肯定しないと続かないものだ。
街で見かける、子どもの送り迎えのときの井戸端会議なんかは、まさに雑談の典型であり、共感と肯定によって、成り立っている。
そこに、発見を与えると、ビジネスになる。
だから、ビジネスをしたいのなら、雑談が発端になるのだ。
 
ぼくが出会った人たちでも、真っ二つに分かれる。
雑談が弾む人の事業は成長しているし、そうでない事業は停滞する。
ビジネスの人たちは、雑談を勘違いしている。
「儲けよう」という意志が詰め込まれている話は、雑談とは言わない。
第一は雑談、第二に発見を加える、第三にたまたまビジネスとして成立する。
必ず、この順序だ。
なぜなら、発見を加えて市場に出したとしても、運も絡んでくるからだ。
そして、とっかかりとなる雑談を成立させるためには、その話を信じて、肯定するところからはじまる。
 
先の医者の喩え話と同じように、相手の言うことを信じないと、ごちゃごちゃつまらない話で時間が過ぎるということだ。

友達になる感覚。

2019.11.17

先日も書いた通り、ぼくはこの9月から英語を習っている。
次回が最後の授業なのだが、ぼくはこのクラスが好きだ。
クラスが好きになるというのは、やっぱり、集まっている人たちがいいんだろうなぁ。
先生もいいし、生徒たちもいい。
 
普段、ぼくはビジネスのセミナーなどにはあまり行かないのだが、それは集まっている人たちの目的意識が一種類に固まりすぎているからだ。
あの集団意識や、その中でのマウンティング感に対して、忌避感というか、危険な匂いを嗅ぎとって避けている。
 
けれど、通っている英語クラスのように、趣味のような、でも人生を豊かに広げてくれる内容で、目的意識もバラバラ、世代もバラバラのクラスというのは、率直に楽しいものだ。
(おそらく)20代から80代までいると、全員が助け合う。
年長者だから助けられるばかりかと言ったら、そんなことはなく、ぼくらの活力源になってくれる。
若い人だって、みんなより優れているところがたくさんある。
だから、義務のような助け方じゃなくて、朗らかな助け方というか、クラスで作られる雰囲気のすべてが爽やかなんだ。
ちょっとくだけた雰囲気もありつつ、それぞれがグッドパーソンで、グッドピープルになっている。
 
「これがビジネス英会話だったら、どうだっただろう?」と考えるときがある。
もちろん、先生の進め方にもよるだろうが、やはり、もうちょっと固まった集団意識やマウンティングのようなことが起きてしまうんじゃないだろうか。
「俺はできたよ」みたいな。
本当はそんなマウントなんて必要ないことは、みんなわかっているのに、日本のビジネスの現場では、いまだにこんな無益なことが起きている。
 
話を戻そう。
毎週土曜日、ぼくはこの英語のクラスを受けると、なぜだかわからないが、人助けをしたくなるような、爽やかな気分になるのだ。
初級クラスということも手伝っていると思うが、世代も立場も超えて、みんな楽しみながら四苦八苦して、先生も道標をつくってくれて、一緒にゴールを目指している。
これを約4時間ほど通していると、集団意識とは違った、柔らかい綿(わた)のようなつながりができる。
「困っていたら助けるよ」と、自然と言いたくなるような感覚だ。
昔、たまたま一緒になったクラスメイトと、友達になるような感覚だ。
この感覚は忘れたくないんだよなぁ。
たぶん、他でも必ず活かせると思うんだよね。
こうやって仕事をした方が、絶対に楽しいでしょ。

のらりくらり。

2019.11.16

ぼくはかなり、のらりくらりと話す。
むしろこれを心掛けている。
この話し方のいいところは、相手に考える時間を与えることだ。
そして、相手を説得しようとは思っていない。
相手がぼくの話を採択するか、しないかだけ。
不思議と、採択しているクライアントっていうのは、ちょっとずつだが事業がうまいこといっている。
 
のらりくらり話すことの、いいことのひとつに、「馬鹿に見える」というのがある。
馬鹿に見える者の話を採択するか、しないかで、その人の人間性がわかる。
ぼくも人間なので、なるべく無益な時間を過ごしたくないものだ。
そのためには、「いい人」と過ごす時間を増やして、「嫌な奴」と過ごす時間を減らした方がいい。
自分を小さく見せると、相手の本性が出てくるものだ。
つまり、のらりくらり話すのは、相手に考える時間を与えながら、相手がどんな人間なのか知るための話法とも言える。
 
この話し方を身につけたいと思ったら、子どもと会話をするといい。
子どもの話を最後まで聞き、その内容についてさらに尋ねたり、肯定する考えを話していると、のらりくらりと話すことができるようになる。
子どもが近くにいなければ、意思の疎通が難しい相手ということかな。
あなた自身の英語が堪能でなければ、英語圏の人と会話をするのもいい。
言語能力が高く、意思の疎通が容易な相手と話をすると、会話は弾み、テンポが速くなるものだ。
だから、そういう相手だと、遅速の話法は身につきにくい。
難しいことに飛び込めるかどうかが、鍵なのだ。