Archive for 2016.9

労働生産性を向上させるUXデザイン。

2016.9.29

SNSやスタートアップ企業が台頭し、日本でもLINEが普及したり、海外企業のサービスや商品が普及していくにつれて、UX(ユーザーエクスペリエンス:ユーザー体験)という言葉を聞くようになっているだろう。私も例外ではなく、UX:ユーザー体験を重視した提案をするのには、そちらの方が、企業にとってパフォーマンスが高くなるからだ。
 
「企業にとってパフォーマンスが高くなる」ということはどういうことだろうか? 「株価が上がった」「従業員の満足度が高い」「純利益が上がった」など細分化すればキリがないが、少々乱暴な言い方をすると、総括して「生産性が向上する」ということがいえる。
 
公益財団法人日本生産性本部が発表しているデータを見ると、日本の労働生産性は国際的に見ても低い。労働生産性の低さは1970年代から変わっておらず、昨年のデータでは主要先進7カ国中最下位であり、OECD加盟諸国中では21位となり、平均を下回っている。製造業においては主要先進7カ国中3位(OECD加盟国中10位)となっているが、オートメーション化が進む近い将来、人間の仕事に必要なスキルが育っていないことになるので、むしろ、喜べない事態だろう。
 
労働生産性だけがすべてではないが、生産性とは時間と利益の関係性であり、サービス残業・過労死とも関係がないわけではないので、見過ごしていい問題ではないことは明らかだ。
 

購買モデルの変容。

 
SNSやスマートフォンの台頭により、ユーザーは商品を購入する際に「調べる」ことが当たり前となった。商品自体の性能や評判、商品を作っている企業、競合などを時間をかけて多角的に調べるようになっており、購入するに値するかを査定している。それは大げさな企業コピーでもなく、押し売りのキャッチコピーでもなく、ユーザーにとって企業や商品が「信じられる相手」かどうかを判断しているともいえる。
 
その中では、企業目線の押し売りも「お客様は神様」のような過剰なサービス精神も必要ではないし、粗悪品を売ればその評価が拡散され、ユーザーは離れて商品もサービスも売れなくなる。つまり、今までの日本企業のやり方ではユーザー体験を満足させることができなくなっており、多くの企業が問題として手に余り、放置するか、どこかの広告代理店や制作会社に丸投げする事態となっている。しかし、丸投げされた方も「昔ながらのやり方」によって、ユーザー体験ではなく、自社の利益を求めるあまりに、UXデザインが効果的に機能していないのも事実だ。
 
そうすると、会社としての利益も下がり、労働時間も無益に増えることにつながる。いつまでも企業目線の押し売りをして利益が上がらないのは、ユーザーが物を買わなくなった時代になったのではなく、ユーザーにとって商品やサービスを購入するに値しないと判断されているのだ。
 

ユーザー体験にお金を払う時代。

 
このことは、ニュースアプリでも似たようなことがいえ、ユーザーにとって価値がある記事が集まるようになっており、情報サイトは記事におけるユーザー体験を無視することができなくなっている。たとえば記事に載っていたカフェに行ってみたら、サービスや雰囲気が良くなかった場合、その記事を書いたライターのその後の記事は信用度を失うし、そういったライターが多い情報サイトも信用を失って購読者が離れていき、ニュースアプリにも掲載されにくくなる。それは老舗であっても、スタートアップ企業であっても同じだ。
 
以前のビジネスモデルなら、競合他社を追い抜き、突き放したり、ユーザーに購入させる方法に目が向いていたかもしれない。しかし、現代のビジネスモデルでは、いかにユーザー体験を満足させるかであり、だからこそ、ユーザーにとって使いやすかったり、使った心地が改善されるような商品やサービスを提供する必要が企業には求められている。ユーザーのことを考慮した結果、自社の労働生産性が向上する仕組み。それがUXデザインになっている。
 
参考:公益財団法人日本生産性本部「労働生産性の国際比較2015年版」

アートの依頼仕事。

2016.9.28

アート関係での依頼仕事で、先日、襖絵に手を加えることをしました。既に完成されているものに手を加えるのは久しぶりのことで、しかも、珍しい幅の襖で本来なら3枚で使うところを2枚で使っているため、1枚あたりの幅が広く、威圧感さえ感じるものでした。
 
実は、その襖がある家は近々取り壊して、一家で別の住居に引っ越すとのこと。しかし、今の家は、依頼主とお亡くなりになった祖母との思い出がある家であり、描き終わってから知ったのだけれども、特徴的な襖の幅も祖母のこだわりだったようです。
 
偏狭なる賞賛と批判のゲームを降りてからは、こういった依頼が増えています。自己表現ではなく、中庸の道として作品があるべき姿として世に形作られること。亡くなった人との関係性が含まれる作品をつくること。第三者である自分は予測するしかないが、今を生きている依頼者へ、そっと寄り添えるような作品でありたいと思います。

他者視点によるUXデザイン

2016.9.21

UXデザインの考え方が日本でも広まりつつあり、至る所でセミナーやセッションが開催されている。取引先などにUXデザインのことを話していると「UXデザインを効率よく学ぶ方法」を尋ねられることが増えてくるのだが、一番の近道は「できるだけ多くの他者視点を自分の中に持つこと」だろう。
 
正確に言うと、「できるだけ多くの他者の行動パターンを自分の中に持つこと」と言える。例えば、「コップの中に水が入っている状況」でのパターンを考えてみよう。
 
レストランで、自分のテーブルの上に水の入ったコップが置かれていたら、大抵の人は自分の水として「飲む」という行動をとる。しかし、その水が泥水のように見えたら「飲まずに放置する」もしくは「飲まずに水を取り替えてもらう」という、「飲まない」という行動をとりやすくなる。水に問題がなくても、コップに棘のような装飾がたくさん付いていたり、汚れていたら「飲まない」という行動をとりつつ、「取り替えてもらう」対象が「コップ」に変わるかもしれない。また、コップも水も問題ない場合も、時間が経ってコップに結露が付いていたら、「水滴を拭き取る」という行動が生まれるかもしれない。
 
パターンというのはこれだけではないが、これらはアフォーダンスと呼ばれる「環境が動物に対して与える行動への意味」であり、アメリカの心理学者であるジェームズ・J・ギブソンが提唱した概念である。
  
そして、UXデザインはこれらのパターンの中から、多数が選びやすいパターンをテスト・予測し、採択していく方法ともいえる。
 

ヒューストン空港の例

 
優れたUXデザインの例として頻繁に上がる「ヒューストン空港の手荷物引渡所」も、人間の行動から改善を加えた良きケースだ。
 
ヒューストン空港は以前より「手荷物引渡所の待ち時間が長い」と、ユーザーからクレームが絶えなかった。ヒューストン空港もスタッフを増員させるなどの改善策を試して、時間を短縮させることは成功したのだが、クレームの数は減らなかった。つまり、ここで肝心なのは「時間を短縮させること」と「待ち時間のクレームの数」は直結しておらず「待たない」ということが必要だということだ。
 
そこで、ヒューストン空港がとった策が「到着ゲートから手荷物引渡所への移動距離を伸ばす」という方法だった。するとどうだろう。到着から手荷物を受け取るまでの総時間は変わらないのに、クレームの数はほぼ0にまで減少したというのだ。空港到着後、以前なら「引渡所で待っている」時間を、ユーザーは自らの足で移動することで時間を使い、引渡所での「待ちぼうけ」の時間をなくしたのだった。
 
人間は行動しているときよりも、何かを待っているときの方が時間を長く感じる。それを利用し、不満をなくした例であり、UXデザインが効果的に働いているケースである。
 
ここでも例外はあるだろう。到着ゲートから全速力で走って引渡所まで到着したら、待ち時間が長くなるということはあるが、それは稀なケースであり、そういった例外まで含める距離にした場合、「移動距離が長すぎる」というクレームが発生しやすくなる。UXデザインとは、この例外をどこまで含めるかが成果の分かれ目でもあり、だからこそ、どれだけ多くのパターンとそのパターンの割合を考えられるかが肝になってくる。
 

パターンを考えるための思考トレーニング

 
UXデザインがパターンと割合をいかに考えつくかであると述べると、「年の功」や「経験の種類」を連想するかもしれないが、実際はそうではないので安心して欲しい。「経験の種類」は多いに越したことはないが、年の功は関係がない。100歳の方が50歳よりも優れたUXデザインを導き出せるかと想像すれば、これがあまり意味のないことだと分かるだろう。パターンとその割合で導き出せるのだから、問題解決の方法はアルゴリズムで解決できるものである。そのため、いつかはAIに取って代わる仕事であるが、まだ人間がやらなければならないので、世の中の全てを経験できない私たちは「想像」と心理学的・脳科学的な行動パターンによって、いくつもの他者を作り出す必要がある。
 
さて、肝心の方法だが、以前にインスタグラムで簡単に載せた方法を詳しく紹介しようと思う。
 
ステップ1:問題が生まれたり、人が何か行動をするときには、かならず「テーマ(命題)」が存在する。
ステップ2:まずは、テーマを「肯定的に話すA」が登場する。
ステップ3:次に、テーマを「否定的に話すB」が登場して、Aと議論をはじめる。
ステップ4:その次に「AとBの折衷案を出すC」が現れて、AとBの間をとる。
ステップ5:AとBの議論がヒートアップし、その間をCが取ることが続く。
ステップ6:すると、「現場をはやし立てるD」が野次馬として近寄ってくる。
ステップ8:DはAの味方にも、Bの味方にも、Cの味方にもなり、それぞれの意見を助長させて、現場が賑やかになる。
ステップ9:最後に「テーマと関係ない話をするE」が加わり、議論は思わぬ方向に発展しながら続いていく。
 
これを頭の中で繰り広げるのだが、Aというのは大抵の場合、自分自身であり、BとCと交わると自分が偏見の塊だといことに気がつく。一方でBはクレーマーであり、Aがそのまま進んだ場合のリスクとなる対象である。DはAやBやCの取り巻きや追従者であり、流行を作るのも、SNSを炎上させるのも彼らである。Cは賢者のように見えるかもしれないが、八方美人のようにもなり、全ての案を採択することはできないことに気がつく。実は大事なのは「関係ない話をするE」なのである。A・B・C・Dが真剣にやっていることも、Eから見たら興味のないことであり、だからこそ、視野が狭くなった当事者達の視野を広げることができるのである。
 
このAからEまでをビジネスに置き換えると、事業者・従業員・ユーザー・関係ない人(未開ユーザー)がどれでも当てはめることができ、Aが事業者ならBはユーザーや従業員になり、AがユーザーならBは事業者や従業員になる(もちろん、C・D・Eも変更可能だ)。そうすると、1人の頭の中で、多くの立場の視点を疑似経験することになり、パターンとその割合が分かるようになる。AIが人種・血液型・環境・年齢など多くの因子から事業パターンを生み出せるようになるまで、私たちは仮説やテストによってUXデザインを導き出すのだ。
 
 
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