Archive for the ‘おすすめ’ Category

映画『JOKER』を観た。

2019.10.8

タイミングだ。
誰と出会うか、誰と遭遇するか。
そのときに、何をするか、何をされるか。
すべてはタイミングが重なって、次のタイミングがまた起こる。
 

代弁者だった。
弱き者の代弁者だった。
この映画が高い評価を受けるのは、クオリティもさることながら、現代にはそれほどまでに弱者が多いということだ。
 

上記の二つは、映画『JOKER』を観た直後の感想だ。
冴えない境遇に生まれ育ち、困難が重なり続ける状況でも、人々から賞賛されることがある。
それがたとえ犯罪だとしても、自分が他人に影響を及ぼせる環境があれば、そこへ身を持っていくのは自然のことだ。
ましてや、代弁者となれるステージがあるのなら。
今年の夏に芸能事務所の契約問題のときに、ワイドショーに出演している人々が、強い口調で断罪していたのも、同じ現象だろう。
違ったのは、映画の中で、断罪の手を下したのが、不遇な弱者当人だったことだ。 
ぼくらが、この映画に共感を覚えたり、評価を与えたりするのは、自分にも重なる部分があるからだろう。
自らの足で這い上がれない環境にいた者にとっては、この映画の主人公の姿は、もしかしたら自分もこうなっていたかもしれないという、もう一人の自分の姿を見たのではないだろうか。
少なくとも、ぼくは想像した。
 
題材は異なるが、『チョコレートドーナツ』という映画を思い出した。
結末は違うけれど、社会的な弱き者達の映画だ。
違うのは、ジョーカーは、自分が活きる術(ジョーク)を身につけたこと。
だから、ラストシーンのジョーカーは、もう、ぼくらの知っている、強さを持ったヴィラン(敵役)になっていた。
そういう意味では、誕生の物語というよりかは、成長の物語なのだ。

やっぱり面白い『DAYS』。

2019.9.26

ぼくがこの一年ぐらい、色んな人に薦めている漫画『DAYS』。
必殺技が出てこない、普通の高校サッカーの漫画で、今週の『DAYS』もそうとう良かった。
読者が主人公に思っていること、願っていることを、そのままストレートに言葉にしてくれた感じだ。
 
内容には触れたくないから、難しい表現しか思い浮かばないけれど、読後「うん、よかった」と泣いちゃう感じ。
最終話ではないし、これからも続いていくと思うんだけど、鈍臭い奴が、努力して、努力して、気を遣っては逃げようとして、でも努力して、慮って、努力して、そして掴んでいくもの。
これを読んでいると、自分たちの努力というものが、努力に思えなくなるほど、彼らは努力している。
人に強制したらパワハラになってしまうような、でも、努力の本来の姿を見せてくれる。
誰に言われずとも、やってしまう。
それが、周りから見ると努力に見えるだけ。
 
この漫画を読んでいると、ぼくは本当に励まされる。
たった一人でも、やってしまえ。
毎日毎日、考え、手足を動かし、絶対に勝つ、と。
今、人生の楽しみは、間違いなく「水曜日に『DAYS』を読むこと」だ。

『人生をしまう時間(とき)』を観て。

2019.9.24

『人生をしまう時間(とき)』という映画を観に行った。
 
綺麗なケースを映像にしているのだろう。
観ながら考えていたのは、当の本人と家族の抱いている希望と願望の形。
今や、どこで死ぬかは、それまでの間、誰にお世話になるかでもある。
そして、お世話になる人が当の本人よりも遠くになればなるほど、お金がかかる。
医療保険でまかなえる部分もあるけど。
 
死ぬ場所を自分で選んだケースもあるだろうし、家族が選んだケースもあるだろう。
互いに慮っているにも関わらず、それで大変なことになっていることもあるだろう。
動けなくなっても、願望を持ち、それを言うことはできる。
動けなくなった人の発する願望は、周りの人を動かすし、動かしてしまう。
 
映画の中で、ハッと気づいたのは、「病気には、良くなるものと、良くならないものがある」ということ。
当たり前のことだが、この線引きの判断がつくのは医師だ。
良くなる病気なのか、良くならない病気なのかを判断するための知見が、ぼくらにはない。
だから、良くならない病気の人を前にしても、回復するとどこかで思ってしまう。
でも、良くならないのなら、最後までの時間を、出来るだけ苦しくなく、つらくなく、穏やかに過ごしたいし、過ごさせてあげたい、そういう意志が見えた。
 
そう、これは、ぼく自身が思っていることでもある。
入院児童だったぼくは、身動きできない状態で、誰かに看病されることが苦しみとなる。
「よく頑張ったね」とも言われたくないし、「頑張って」とも言われたくない。
動けなくなったら、苦しまずに、楽に死にたいと日頃から思っている。
だから、動けなくなった人を前にして、言えることは「穏やかでよかったね」ぐらい。
そう見えなかったら、何も言わないようにしている。
 
そして、こう思うのは当事者であるぼくなのだ。
だから、他の人が当事者となったら、やはり「どうしたいか」と尋ねるだろう。
その上で、「他の人の命の時間を奪う」ような選択肢以外なら、協力するんだろう。
生きるということは、苦しみやつらさを味わうために、生きているんじゃないんだから。
動ける人も、動けなくなった人も、その点は同じだ。
穏やかに笑いたい。

越境すること。

2019.9.4

デザイナーである原研哉さんが場所の選定、撮影、ライティング、編集のすべてを手がけている『低空飛行』。

率直な感想、とてもいい。
職種を越境する働き方をしている自分にとって、とても励みになる内容だ。
60歳を超えても良質なものを吸収し、提供してきたことで培った視点か。
梯子を登って背伸びをしないと、ぼくにはまだ見えない視点。
でも、もうすぐだ。
ここまでの距離がわかった。
だから、ものづくりはたのしい。
 
それにしても、ジェフリー・バワ氏、エイドリアン・ゼッカ氏は避けて通れない人物だな。観光を意識するようになって、この人たちが作り出した思想と価値観を、ぼくらは享受していることを年々痛感している。
 
さて、明日(このブログが読まれている頃だと今日)から出張だ。
これからの日本のあり方を左右するとは言えないが、観光業は日本という国が経営破綻しないために必要な事業。
これに携わることで、クリエイティブが国益に関わることだという意識は、強まった。
ひとつの事業体が潤いながら、全体を潤わせる方法。
この旅はまだまだ終わらない。
 
※出張のため、次回の更新日は9月8日(日)もしくは9日(月)の予定です。

寺島響水さんの展示会「重重」。

2019.7.13

雨の金曜日、凄いの観た。
書家、寺島響水さんの展示会「重重」を観るために恵比寿へ。
感想を言うと、いやあ、すっごい。
 
クライアントワークでも、オリジナルワークでも、ぼくの「線」との関わり方は、点を線に、線を面に、面を球にして、一番多くの(クリティカルな)点を見つけて射抜くやり方だ。
それとも違う、けれども、線が面になり、面が高さを持ったり、形を持ったり、重なりを持ったりすることで、線の奥行きが続いていく。
面で見ている線は、空を飛んでいるようだったり、水の中を泳いでいるようだったりと、とても自由だ。
「線って飛んだり、泳いだりできるんだ」と、感動した。
そして、奥行きを持った面による線は、もっと自由に遊んでいるようだった。
水族館で自分の頭の上を魚たちが泳いでいるような視点の発見があったり、それでいて、迷路をゴールから覗くような、ちょっと甘酸っぱい、いけないいたずら心を思い出す感覚も覚えた。
 
こんな世界があるんだと、正直驚いた。
思わずカタログと作品集を両方買っちゃったよ。
大きい方のカタログは、家に帰ってから観ても十分面白く、「ああ、こんな線があって、重なりができるんだ」と発見がある。
分解して、自分なりに重ね遊びをしてみたいほどだ(カタログは勿体無いから、自分でやってみよっと)。
小さい方の作品集は、制作における共感の方が勝って、今の自分には見た目としての面白さを満喫できていないけれど、満喫できる予感がしている。
上るための階段が、うっすらと見えているような感じだ。
そんなことを含めて、まだ知らない世界があるってことに、ワクワクしている。
そう、ワクワクしたんだ。
 
いや〜、瞳孔開いたわ。
展示会は14日(日曜)までだから、急いで行った方がいいです。
絶対に損はない。