Archive for 2014.10

『二十二世紀写真史』のその後。

2014.10.26

写真家の秦さんが『二十二世紀写真史』を出版した。これは、昨年の2〜3月にかけて、秦さんが同世代の写真家たちと対談し続けた内容が書かれている。当時はustreamで配信もしていて、話す内容によって秦さんのテンションが違うのが、正直すぎて、僕は好きだった。しかし、同時に「怒濤の日々だな」と心配したのも事実だ。そこには僕も参加していて、もう随分昔のような気がしていたので、「昨年」と書いて驚いた。それほどまでに、この1年は早かったのだな。
  
僕個人としては、その時に話した内容と、今の気持ちは、それほど遠くはないだろう。ただ変わったのは、ビールの後に焼酎ではなくて、ウィスキーの水割りを呑むようになったぐらいかもしれない。
 
後は、その時に話していたことの速度が上がってきているということだろう。
 
今の気分としては、「もっといける」と「好きなことやりながら死ねるのが最高でしょ」ということ。ホント、今の気分なので、明日は違うかもしれないけれど。
 
というのも、僕らには「過去」があって、「今」があって、「未来」をつくっていくでしょ。だから、あの時に話したのは過去で、出版が今で、その後の二十二世紀を僕らはつくっていきます。それは、どんな人でも、どんな職業でも同じなので、今生きている人にも、これから生まれてくる人にも、もう死んじゃった人にも、皆に読んでもらいたい本になっています(はずです)。
 
とにもかくにも、秦さんと出版に携わった方々、お疲れ様でした! また、呑みましょうね〜。

「金のため」も1つの選択肢。

2014.10.25

ふと思ったのだが、「金のため」という選択肢を持っておく必要もあるだろう。昔は、「金のために作品を作っているのか?」と悩み、倒れたこともあった。その当時は、「金のため」というのは一種の悪だと考えていたし、それ以降も「これを最上位の価値と思っている人を、否定するつもりはない」程度に思っていた。
 
だが、その選択肢を無理に最上位に持ってくる必要性はないが、それでも、「金のため」という選択肢を持っておく必要があるかもしれないと感じているのだ。
 
特に今、その選択肢を持っていないために、完全に逃げ道や心の担保が足りなくなりそうな状況だ。「時間」、「労力」、「金銭」、「感情」のコストとメリット——あぁ、そうだ。昔のガツガツしていた頃とは違い、安心しているために、僕は今、「金銭」のメリットを、全く失っていた。
 
昔の感覚を、ちょっとだけ取り戻していこう。

自分のやりたいことをやる素晴らしさ。

2014.10.19

堀江貴文さんの『ゼロ』を読み、とても共感した。日本の「空気感」を変えたいと思い、そのために自分に適した方法で動いていることが書かれており、「同じ種類の人間だな」と感じた。
 
彼も偏見と闘ってきたし、今も闘っているのだろう。だからこそ、「成功者の足を引っ張る空気感」に気付き、その被害を他の仲間達に経験させたくないのかもしれない。もし、そうなら同じだ。
 
昨年、アメリカに行って良かったのは、その空気感が感じられなかったということだ。もちろん、大なり小なりの差はあるのだろうが、それでも、成功者に喝采を送り、同じ目線で話をするのが当然であった。
 
機微に気付くこと、仕事の丁寧さなど、日本にもたくさん良い所はあるが、閉塞的な空気感は変えたいのだ。自分のやりたいことを一生懸命にやっていれば、集中している内に時間が過ぎるのだから、誰かの足を引っ張ろうなんて暇は生まれない。そして、足を引っ張ろうなんて妬み根性を教えるのではなく、自分の好きなことを信じて行う素晴らしさを、僕ら大人は伝えていく必要がある。

ビジネスモデル。

2014.10.18

そういえば、ぎっくり腰でお世話になった医者に感心した。WEBの口コミ評価で僕は選んだのだが、お世辞にも先進的でもないし、立地的にも恵まれているわけでもない、所謂「町医者」であった。しかし、受付で「一時間以上お待ち頂くことになります」と言われるほどの、人気振りである。
 
院内を見渡せば、爺さん、婆さんで埋め尽くされているのだ。井戸端会議のようでもあり、見知らぬ人にも話しかけているようでもあり、何ともフレンドリーな患者さんである。
 
しかし、なぜここ? この地区にはたくさんの整形外科があるのに、わざわざ立地としては悪い方に入るここがなぜ混むのか——答えは簡単だった。
 
送迎車が絶えず走っていたのだ。1台しかないようだが、到着してはすぐに出発することを繰り返しており、地区内であれば、やり過ぎなほどである。それでも、爺さん婆さんが車に乗り込んだと思えば、別の爺さん婆さんが出てくる。こりゃあ、休む暇がないわ。
 
そして、家にいては一人かもしれない爺婆も、ここに来れば「話し相手」が見つかり、足の悪い自分を送迎車が運んでくれる。都会に暮らしていると、孤独というのは、一番の敵になる。そこを上手いことケアしている医院。なるほど、こういうビジネスモデルもあるのだな、と感心した。

転んでも、ラッキー。

2014.10.14

ギックリ腰二日目。結論から言うと、「やっぱり俺はラッキーだな」と思ったのだ。予定は全てキャンセルにしてしまったけれど、元々、今日は休みにしていたし、ゴロゴロする日を久しぶりに手に入れているのだ。ちょっとヤンママが入っている看護師さん達は可愛かったし、かねてから心配していたヘルニアは思い過ごしだったとわかった。

風呂場は直らないけど、久しぶりに湯船に浸かることも出来ているし、スマホを変えたことでFFで懐かしい気分を味わえた。

転んでも、ゴロゴロ転がって楽しんでやるぜ。