Archive for 2009.4

本日のこと

2009.4.28

1つ目

レトルトカレーが食べたくなり、選んでいるときに頭の中をよぎったこと。
「日本的カレーライスへの不満項目として頻繁にあがっていると予測される、“ライスが余ってしまうようなカレールーの少なさ”」
そのことを考えると
「日本的カレーライスにおける、ライスとカレールーの最高のバランスとは?」
という疑問が浮かんできた。

視覚的には黄金比でライスにカレールーがかかっている場合が一番美味しそうに見えるらしい。
では、実際に食べる時にもっともよいバランスはどの程度の場合なのだろうか。
これは個人次第と結論を導きやすいと思われるが、“ライスが余ってしまうようなカレールーの少なさ”が、日本的カレーライスへの不満として聞かれているように思われるので、ある程度においては“もっとも良いバランス”があるのではないだろうか。

おそらく調査方法はアンケートよりも実際に食べてもらうことの方が信頼性が高いと思われるが、被験者の味覚やその時の空腹度合いも考慮しなければならないだろう。そして、カレーライスが嫌い(飽きる)にならない程度に食べなければならないと思われるが、そこが一番難しいのではないだろうか。

2つ目

チャリンコに乗っているときにY字路、T字路が続いている道で、自動車×6、自転車×2、原付×1がそれぞれ面向かってしまったのだけれども、滑らかに進んでいるようにみえた。それぞれが咄嗟の判断をしての結果なのだけれども、確かなのは「判断」があっての結果ということ。
そして、「判断」の結果、滑らかに進んでいるようにみえた、ということ。
「判断力」とそのための「選択肢を考えられる能力」の必要性を再認する現場だった。

3つ目

『光学装置の記憶』のpart3の色合わせをしていたら、以前よりも若干遅くなったということ。
これには「可能となったことが増えたこと」と「不純なことが過ぎたこと」が理由に挙げられるだろう。
深刻なのは後者であり、良い方向に働けば「間接的にプラスになった」ということにもなるが、取り戻すのに時間がかかったということはやはり悪影響だったと思わざるをえない。

やはり、直接的に作品とかかわることをおろそかにしてはならない。
時間的にも、肉体的/精神的密度においても。

泣いちゃうぐらい喜ばしい話

2009.4.22

読んでもらうことを前提に書いているとはいえ、最近の話は少々重いらしいので、心が弾むものを。

ここでも何回か登場している大場つぐみ先生、小畑健先生の『バクマン。』内で、主人公達が遂に連載決定したのです!

読みながら、
「オォォォォォーーーーーーーーッ!!!」っと喜んでしまいました。
周囲にいた人たちごめんね。

そんで、何が良いって言うかというと、主人公達と競っていた人たちや、ライバルの漫画家が格好良いのです。
男は漢の背中に惚れるというのでしょうか、粋なんです。
僕は漫画家さんの業界は知らないし、主人公達の努力は本編ではかなり割愛されていると思うのだけれども、彼らはかなり努力をしていると思うのです。

この本編に直接現れていない努力量は予測でしかないのだけれども、トントン拍子にきていると思われている人たちほど見えないところで努力や泥臭いことをしているもんだと思うので、(話の中ですが)連載が決まったことにこっちも喜んでしまったのです。

おめでとうございます。

それとは別の話ですが、今度の展示の創作と「光学装置の記憶」の創作をしているのですが、例によって、作品が進むということは次回作の構想も着々と進みます。

少し先のことになりそうですが、楽しみにしていて下さい。

偶有性の後

2009.4.19

『MD現代文小論文』という受験参考書を読んでいた。

別に再び大学受験を目指す訳でもなく、受験時代には別の参考書を使用していた。
何故、いまさらこのような書物を読んでいたかというと、古本屋で105円ということと冒頭に書かれていた「もうひとつの<自由>-思考のヒント-」という受験生用の講演に加筆したものが良かったからだ。

読んだ後の感想としては、さすがにこの先にいるけれども、実感として整理しやすくなる内容だった。

その中のひとつ「偶有性(他でもありえた)」っていう言葉について話していこうと思う。
この文章の中での偶有性は、生死についての偶有性を特に取り上げているのだけれども、文章に登場してくる生死の偶有性に直面した実体験者と同様に僕も直面せざるを得ない状況というのがあった。
それが、最近もある人に言った「人の生死に必然というのはなくて、あっけなく死に、あっけなく生き残るというとても微妙な偶然性にあります」という考え方に結びついている。

それはご先祖達や夭折した人たち、自ら絶った人たち、そして、僕にも同様のことが当てはまり、僕が墓参りになどに行く理由の1つは、この生死の偶有性を希薄なものにしないために、わかりやすい場所(墓石)に行くというものが挙げられる。
「もしかしたら僕もそっち側にいたかもしれないけれども、今、僕という存在が認識している限りでは僕はこっち側にいる」という結果を形骸化させないためともいえる。
そして、この生死の偶有性に直面し認められないでいるとアイデンティティーが揺らぎ、離人症のような症状が発症する(そのような人を例に挙げている)。

おそらく僕はこのような生死の偶有性を認め、その上、もしくは中で生きていることを(選んだのではなく)認めている。
だから、作品のために生きていることへ何の抵抗も抱かないし、「作者のため」という逆転が生じそうになると途端に不快感に襲われるのだろう。

このような生き方が一神教圏の人々にみられる生き方だというのは重々承知しているが、それを知ってか知らずか、はたまた僕を心配してかただたんに疑問に思ったからかはわからないが「どうして海外に移らないの?」という質問には嬉しさと悲しさが入り交じる。

このような質問などには、僕が生命体として生き残ることに比重が置かれているように思え、先ほど挙げた「作者が生き残るため」という逆転が起きてしまう。やはり僕は、作品のために僕の生死などもそこら辺に転がっているだけでも構わないという考え方に行き着くので、その土地でなければ創れないような作品でなければ移住する必要性が見つからないのだ。

解りやすい単語で言うと、正義、信念、信仰などというのかもしれないし、僕が向こうにいったときに先にいった者たちが会話や議論をしてくれるなんていうロマンチックなことは信じていない。

ただあるのは、無惨だろうと栄光だろうと単なる結果と、それを解釈する人間だけだ。
だから僕が結果だけになった時に残った人々の間でロマンチックなことが起きるなんて信じておらず、生きていると認識しているうちは作品のために生きることにしか考えが行き着かないので十分だ。

その深度を深くしていきたいのが今の指向だ。

自由と解放

2009.4.16

大判プリントで一日が終る。

色々な暗室やアトリエなどで創作をしても、普段と変わらずに進められるのは私の長所かもしれないが、やはり自分の暗室でプリントをするのが一番かもしれないと思った。ミヒャエル・エンデは『自由の牢獄』で、自由すぎることの不自由さを述べているが、自由意志の在処を考えるまでもなく、選択故の自由の時点において「自由」というよりかは「解放」という言葉の方がしっくりくる。それ故、私が「自由」について話をするときは「どこまで解き放つことができるのか」というような言い回しをする。

というのも、より多くの人が許してくれる「自由」というのは、私にとっては「自由」ということではないことの方が多く、私が「自由」のようなことをすると大抵の場合、「自由」であることを許してくれた人の範囲を飛び越えてしまう。すると、その人は私に対して「制限」や「禁止」を強制してくるので、私にとっては何一つ、「自由」ではなくなるのだ。

だから学生時代の藝術系科目での「主題は何でも(自由で)O.K.です」というようなことを言われても、私だけ強制されることが常だった。

そんな時に、「先生のいう「自由」とはどのことを言うのですか?」と尋ねると、「何でもいいからやり直してくれないかな」という解答にならない返答を受けていた。

このようなことを繰り返すうちに、言葉を疑い、考える癖のようなものが身に付き、それが性格のようにもなってしまったが、別段、後悔はしていない。

しかし、その性格のようなものが、「幸せ」をしっくりと抱くことが出来ないことにもなっている。

「幸せ」のためにやるのではなく、「やらなきゃならないことをやるだけだ」という使命/理が私に作品を創らせている。

school of ・・・!

2009.4.14

表面的な話だけれども、フィルムの過程で最近は進んでいる。

すると不思議なことは続き、『最期の自然』からミスプリントが発生していない。

「ギフト」シリーズっていうだけあって、2008年で終了となるような作品ではなかったのだけれども、それ以降、現実問題として「ギフト」シリーズの創作ができない状況になっている。自分では幸か不幸か判別しにくい状況ではあるが、ある人曰く、「それがギフト(才能)じゃん」とのこと。

なるほど。

話は変わり、昨夜、PCで作業をしていたらBSから『スクール・オブ・ロック』が流れてきたので作業を止めて見入っていた。友人から「いいよ」と言われていたがそのまま見ていなかったら・・・とても良い映画だった。
ロックンロールの解釈はちょっと違うようにも思えたのと、ありふれた内容の話なのだけれども、それがまたシンプルで、その痛快さはロックンロールだった。

おそらく、今のこの時期に観るというタイミングもとても大切だったのだろう。

教えるのも学ぶのも大変だよねって話。

話は戻り、フィルムの過程で近々、大判のサイズをプリントする。ここで興味深いのが、写真の大判というのは他の美術媒体よりもおそろしく小さいことである。美術が藝術として認知されるようになった現代以降において、写真家が美術家や藝術家として認知されるためには、彼らのいる土俵にさえ上がらなければならない。そこを通過してこそ、新たな価値観を生み出すことができると考えられるとともに、身を守ることに必死になるよりも、土俵に上がり、多種多様な者達と闘う方が楽しくないか?