Archive for 2010.4

ハウツー

2010.4.26

 何を大事にしているかを聞かれることがある。その度にいつも思うのだが、優先順位はつけられるが、大抵どれもつながっているので1つだけあげるということは難しい。と、いうことで羅列してみます。上位4つは企画の最初から最後まで常に考えています。

・何がその本質なのか見誤らない

・それが良くなるにはどうしたらいいのか(最良の結果は何か)

・それが悪くなるにはどうしたらいいのか(最悪の結果は何か)

・それは本当に本質なのか

・仕事を完遂するためにコミュニケーションは必要ないが、そんな人間ばかりではないので、コミュニケーションをとって周囲のモチベーションを上げていった方が、仕事は上手くいく(良い結果になる)

・コミュニケーションをとっていると、雑談からも良いヒントがやってくる(良い結果になる)

・雑談を省くと、目的のための会話になり、考える力を失う(その内に悪い結果になる)

・考えて話をすれば、相手の話も聞くことができる(良い結果になる)

・考えて話をすれば、話が脱線しても本質に関わるヒントを得ることが出来る(良い結果になる)

・思ったことを話しているだけでは、相手はいなくなる(悪い結果になる)

・思ったことを話しているだけでは、本質の話を聞き逃す(悪い結果になる)

・話をしない堅物そうな人間よりも、話をするどろ臭い人間の方が、実は頭がいい

・大人の事情を優先させて遂行するよりも、本質を考えて話をして遂行した方が、結果的に良いことが起きる(大人の事情はパターンなので思考せずにこなすことができ、その結果、仕事が円滑に進んでも成長がない(その内に悪い結果になる)。しかし、考えて話をして仕事が暗礁に乗り上げても、考えての結果なので、成長があり、納得ができる(良い結果になる))

・物作りを生業に選んだ人間に、それほど悪い人間はいない(大人の事情を優先させてきた人間でも、本質の話をし続けていると案外、伝わる)

・それでも伝わらず、どう考えても自分が悪くはない(本質を見誤っていない、筋道を立てて話をしているなどの)場合、大抵、その話は流れてしまうが、そんな人の対処法を考えることができると思えば、成長のチャンスになる(良い結果になる)

・けれども、本当に自分は悪くはないのかと考えてみると、対処法が間違っていたことに気付くので、結果的に成長している(良い結果になる)が、そんな人と仕事をしても大抵、その人の利潤で終ってしまうので、話が流れたことを幸運に思う(損をせずに考えることが出来たので良い結果になっている)

・もちろん、そんな人ではなく、本質を考え、最初の4つを考えることが出来る人と仕事をすれば、手放しで最良の結果になっている(とっても大変だけど)

 学生時代から作家として個人でやってこれたことのメリットは、これらのことをいち早く気付けたことだろう。スキルと呼ばれる技術や知識は、頑張れば一気につくからだ。

やる気と恋と青春だ!!!

2010.4.25

 最底辺であることを認知すると、すげぇ楽しい。上に行くしかないっていうのと、上に行けるっていうことがわかるからだ。これ以上興奮することはあまりないのではないだろうか。一番になることよりも、自分自身を超えていけるっていうことが興奮剤になる。しかも、そんな時に限って、様々な要素が自分の近くにやってくるのだ。後は自分次第だと言われているような気がして、言い訳も努力も自分自身にかかっている。すげぇ、興奮する。

 そして、そんな時に限って、近くの古本屋に『あひるの空』がズラッとあるのだ。立ち読み、立ち読み、涙、立ち読み(そろそろごめんね)、興奮。これで、やる気に火がつかなきゃあ俺はアホだ。

 キレイな女性に「がんばってね」と応援されたら、もっとガンバルのになぁ。

作品のことを書いてもらっています

2010.4.24

 「希望の光」を運ぶのを手伝ってくれた女性が、コメントを書いてくれました。
 ↓
 http://d.hatena.ne.jp/veryholiday/20100422

 飯沢さんが『これが写真だ!』のような本の中で、昨年の秦さんとの2人展のことを載せてくれています(アートスケープさんや日本カメラさんに書いていたものだと思います)。

 どちらもありがとうございます。

 余談ですが、「希望の光」の最初は、この(↑)展示中に1人で暇だった時にネタ帳に書いていた「世界地図」というものです。講師をさせていただいたワークショップ中に、縫うことを試していたりなど、実は1年がかりのプロジェクトでした。そして、作品を観ると、5年がかりだったということが実際にわかります。ただ、運び出す時は色々と諸事情が重なるので、情熱がなければ運び出すことはないでしょう。本当に情熱のある人は「情熱、成長、お金(物質、環境)」など三本柱で働きかけます。嘘をついている人間、浅はかな人間、腹黒い人間というのは、この辺りを少しつっつけばボロを出します。

 それと、私の関わる作品に「完成」というのはほとんどありません。善くなるという確信が得られたら、どんどん善くしていくので、作品においては「一段落」という形をとらせていただいております。ですので、作品を買ってくれたコレクターさんにも、その旨をお伝えして、いつでも貸して頂けるようにしていたり、待ってもらったりと、少々面倒臭いやり方をとっています。作品を単なる商品として扱う現代美術業界では、あまり無いやり方ですが、昔は当たり前にあったことです。作品のことを第1に考えられる人が増えて欲しいと思っています。

 

恐ろしいと思った

2010.4.21

 「希望の光」を広げさせてもらって全貌を観ていた。創作過程では全貌を予測しながら創作しなければならなかったので、繋がっているのかどうかが問題だったが、流石の一言だった。しかし、それよりも、今までの作品以上に作者の能力を超えたものになっており、「自分が創作した」という事実と「他の誰かが創作した」ような錯覚の差が大きかったというのが、正直な第1印象だった。そして、狼狽していたのも事実だ。

 見続ければ見続ける程、その差は大きくなっていったのだが、作品からは強大な包容力と生命力を受け続けている感じがして、次第に「やる気になれば何でも出来る」という希望が芽生えていた。そしてタイトルをハッと思い出した。

 ー 希望の光 ー

 何とも出来すぎた話のようにも思えるし、数あるタイトル候補の中から、このタイトルを選び抜いた自分自身を誉めたい気持ちになったのだった。加えて、「Gift」、「GiftⅥ-Photo/Graph-」、「GiftⅧ-Hope of light-」、最後のは意図せずに単発で考えていたのだけれども、繋がってしまっていることにも気付いたのだった。そして、藝術が光を対象としていたということは『「ギフト」シリーズについて』でも書いており、偶然にも無意識的にも繋がっていたことに震えた。

 ※希望の光:約1085×235cm

不況も人間がいるからこそ

2010.4.19

 人と話していても、マスメディアから流れてくる言葉にも「不況」という単語が頻繁に登場する。しかし、その度に思うのだが、「不況」というものが宇宙人襲来のように突然現れたり、手放しで存在しているとその人たちは思っているのではないだろうか。どちらも不正解であり、不況というのは、人間が存在してはじめて生じる現象なのだ。そして多くの文化人が批判しているように、資本主義が全盛になるにしたがって不況の規模が大きくなり、生じる頻度が上がっている。資本主義では「お金」が第一になるのであるから、人を育てることや人間が成長することよりも、低賃金で労働してくれる人や即戦力を求める。お金が第一なのであるから、そのことが簡単に直接のお金儲けに繋がるのだから当たり前である。しかし、人間が成長しないということは、考える力が育たないということであるから、お金に関する利益で人を裏切ることが当たり前になったり、考える力がないのにお金さえあれば一国一城の主になることが出来てしまうのだ。それゆえ、現代は有史以来、奴隷が最も多い時代となっているのである。この流れの結果が、不況なのである。つまり、考えることをしない人間の多さが不況に繋がるのである。

 そして、考える力がない大人たちを子どもたちが見続ける。その結果、将来の夢に「お金儲け」を挙げる子どもが増えていくのだ。そんな子どもたちが大人になるのだから、お金儲け狂騒は進み、現代以上に不況は増大していくだろう。それを防ぐためには、一人一人が考える力を持つ必要があるのだが、そのためには「育てる」ことが必要なのだ。

 その論理がわからずに、不況の中、いかにして自分が生き残るかしか思い浮かばない人と話すと、自分の無力さを感じるとともに異様に疲れる。私は私以上の存在が好きだ。しかし、私以上の高知能指数は求めないが、せめて成長する気持ちがある人と話をしたいものだ。そんな人が少ないのはわかっている。では何故、私は話をするのか。答えは簡単だ、関わった人が少しでも考える力を持って欲しいからである。しかし、成長しようとしている人と出会うのは、極稀であり、無駄に年齢を重ねている人間と話をすると異様に疲れる。

 これが私の我儘であるのならば、やはり私は一人で全力で考えて生きて、死を選ぶしかないだろう。生きることよりも死ぬことの方が有意義になるのであれば、どちらを優先するのかは明白である。それが出来るのは、人間だけだ。