Archive for 2015.6

やる気スイッチ。

2015.6.27

この疲れは何だろう。「やる気スイッチ」を入れることが難しいというか、どこを触ってもスイッチが見当たらないような疲れだ。
 
制作に集中していないのかもしれない。身体を動かすことが少ないのかもしれない。外に評価を求めてしまったのかもしれない。
 
いつでも天は俺と繋がっているし、藝術の女神は俺を見ていてくれているし、作品のための器に俺はなれている。
 
そう感じていることを思い出していくうちに、「あぁ」と笑みがこぼれる。スイッチは見つかった。

「攻殻機動隊 新劇場版」。

2015.6.21

「攻殻機動隊 新劇場版」を観た。僕らが昔観た「GHOST IN THE SHELL」の前日譚であり、若い日の公安9課が見ることができる。僕の勝手なイメージだが、シリーズを通して描かれる主人公・草薙素子は「近寄りがたく、行動的で何かスゲェできる人」という典型的なリーダータイプだ。それが、今回の新劇場版やそれに至るための「ALONE」シリーズで描かれる草薙素子は、リーダーだが、僕の知っている人物よりも若気の至りや弱い部分が垣間見られて、僕らに近づいてくれた気がしている。
 
そのことで、「ゴースト(魂)に従え」、「未来をつくれ」など強い言葉を発することにも親近感を覚えるのだ。完全無欠の人物が発する言葉よりも、弱さを通過した人が話す言葉であり、草薙は仲間に助けられることで、自分だけでは出せないパフォーマンスを発揮することで弱さを乗り越えてきたのだ。
 
それが十分わかる内容であるとともに、映像も音響もとても素晴らしいじゃないですか!! 配信されたらまた観ようと思った。

優しい時間。

2015.6.20

久しぶりに包丁を研いで野菜を切った。包丁を研ぐのも、食材を切るのも久しぶりだったけれども、ちゃんと身体は覚えているのだ。久しぶりにパセコン(乾燥パセリのみじん切り)も料理に振りかけ、食卓がちょっとだけ温かくなった。
 
何故そのようなことをやってみたかというと、優しい気持ちになったからだ。それで気がついたのだが、この1〜2年の間で肉を焼くぐらいしか料理をしなくなったことと、心に余白がなくなっていたことが関係しているのかもしれない。
 
それが、柔らかな気持ちになっていっていることに気がつくと同時に、「料理を作ろう」と思ったのだから、食材を触るということに畏敬の念というか、感謝の気持ちが入っているのだろう。
 
食材が身体を作っているように、気持ちも、俺を作っているのだな。

変わらないのか。

2015.6.13

海が見たい。川が見たい。木漏れ日を見たい。自然の中に久しくいないと、自分が自然物であるということさえ忘れ、自然を求めるようになってしまう。
 
しかし、見るということは五感であり、自分の感覚なのだ。つまり、自分次第で目の前にないものでも、実際に見たと感じることが出来る。
 
いつものように、このことを思い出し、社会の中にいても海を見て、川を見て、木漏れ日の下で昼寝をすることが出来る。そうすることで社会の中にいても、自分の心を救う術を持っているが、悲しいかな、実際に行った方が身を委ねることがしやすくなるのだ。「ない」ものを「ある」ものにする感覚を使っている分の感覚を使わないで済むからだ。
 
そうして分かったことがある。CPUの性能が上がるように、俺は、自分の感覚使用量の性能を上げたいのだ。もしくは、性能が上がらないのなら、最期は自然の中で暮らしたいのだ。何故、ないものを見ることができる能力を持っていながら、最期の場所を自然に求めていたのか、単純に能力の問題だったのだ。ということは、たとえ自分の性能がバージョンアップしたとしても、結局は同じことを求めるのだ。
 
社会を作り変えることに興味がなくなったら、俺は社会の中で生活している意味がないんだ、ということに今、気がついた。

人間の仕組み。

2015.6.12

何のために人間同士は争い続けるのだろうか、と疑問を持つこともあるが、現状を変えたことで、変わる前の世界で甘い汁を吸っていた人たちが甘い汁を吸えなくなったら、それは側から見たら争いに見えるのだろう。
 
当事者にならなければ、そんな風に見えてしまうのだろうと思いつつ、当事者になれば、変化を起こすということは、「甘い汁を吸えなくさせる=食っていけない状態にさせる」可能性ということを忘れないようにしたい。
 
変化した世界に適合せよ、というのは、今の社会と態度は変わらないということになるのだから。単純に住みやすくなる人間の種類が異なるというだけである。
 
それを求めて、僕らは動いているのだが。もしくは、救うべき価値のある人たちが、今の社会では食っていけない苦労をしている可能性を持っているのだ。