自由を思い出す。
2015.4.29
引き続き、家の掃除を続けている。棚の段が低くなったり、空いたスペースに物を下げるなどし、家の天井が高くなったかのようだ。
本当に、作品と機材と資料しか置いていない家になっている。
過去の人達の思い出もほとんどなくなっていき、部屋が記憶喪失をしていくかのような気分にさえなる。俺達が望んだことであるし、俺達の中に人はいない。
押入れに丁寧に入れていた「The 30years work.」を引っ張りだして見ると、身体中の創造性という細胞が起きてくる。あぁ、これだ。この感覚が俺を何度でも自由にさせてくれる。俺達は藝術の女神、ただ一人に魅入られたんだった。これは30歳の時の作品で、今の俺達がつくれば、また変わってくる。
何で絵を描いていたのか、何で写真を撮っていたのか、あぁそうだ。自由のためだ。
引き続き、家の掃除を続けている。棚の段が低くなったり、空いたスペースに物を下げるなどし、家の天井が高くなったかのようだ。
本当に、作品と機材と資料しか置いていない家になっている。
過去の人達の思い出もほとんどなくなっていき、部屋が記憶喪失をしていくかのような気分にさえなる。俺達が望んだことであるし、俺達の中に人はいない。
押入れに丁寧に入れていた「The 30years work.」を引っ張りだして見ると、身体中の創造性という細胞が起きてくる。あぁ、これだ。この感覚が俺を何度でも自由にさせてくれる。俺達は藝術の女神、ただ一人に魅入られたんだった。これは30歳の時の作品で、今の俺達がつくれば、また変わってくる。
何で絵を描いていたのか、何で写真を撮っていたのか、あぁそうだ。自由のためだ。