Archive for the ‘ビジネスの健康’ Category

片付け仕事に向いている日。

2020.2.5

やる気のでない日というのはある。
ここ2、3日はそんな日だった。
このブログに唯一のルールがあるとすれば、格好つけずに、正直に書くことなので、今日は「やる気のでない日」について書こうと思った。
 
こういう日でも幸か不幸か、時間は進んでいく。
会社員だとしても、経営者だとしても、個人事業主だとしても時間は進んでいく。
しかし、「やる気のでてる日」のようには進まないのだ。
考え事をしても冴えているわけではないし、筆が走るわけでもない。
だが、当人にとって大したことじゃない仕事なら、淡々と進められるものだ。
やる気のでない日と遭遇したとき、ぼくは淡々と進められる仕事をするようにしている。
 
こういう仕事は、やる気のでてる日には、目もくれなかったり、やりたくないなぁと思うような仕事だ。
機械的に進められる作業仕事であり、経理仕事だったり、クリエイティブ仕事のための準備だったり、ホームページなどの気づいていたけれど手を回さなかったところなどだ。
 
こういった「後回しにされた仕事」というのは、緊急性が高くなく、それでいていつかはやらなきゃいけない仕事だから、放っておきやすいのだが、放っておきすぎると自分を殺しかねない毒となる。
だから、毒となる前に片付けるわけだ。
 
そう、「片付け」というのは、やる気のでないときにやるのが一番いい。
どんなにやる気がなくても、進めれば進めるだけ、終わっているのだ。
考え仕事のように、袋小路に迷い込むことなどないのだから、片付け仕事は達成感もある。
こういう日を諦めるのではなく、ちょっとでもいいから達成感を持って終わる。
ちょっとの積み重ねが、今のぼくの能力になっているのだ。
 
もしも、片付けの秘訣があるとすれば、「作業を細切れにしておく」ことだろうか。
積りに積もったゴミ屋敷の片付けを一気にやるのは大変だが、「今日はここまで終わらす」という作業範囲を決めておくと、途方にくれることもなく、片付けられる。
ぼくは何をするのにもいきなり手をつけることはなく、「どうやって片付けようか」と俯瞰してみて、おおよその目安をつけてから手をつける。
 
ここで大事なのは、二つある。
一つ目は、俯瞰するのはある程度で終わらすことだ。
あまりにも長い時間考えていると、一歩を踏み出すことが怖くなるし、計画通りに進まないことでネガティブな気分になりやすくなる。
これを避けるためにも、ある程度の見切り発車は必要だ。
計画通りに進むことなどないのだから。
 
二つ目は、一気にいけるなら、一気に行くこと。
一つ目と近いが、どんなに簡単なことでも、二の足を踏めば踏むほど、最初の一歩は出にくくなる。
自分にとって大したことないと思われることなら、一気にやってしまうことだ。
どうせやる気のでない日なのだから、やらない理由は見つかりやすい。
こんな状態なのだから、二の足を踏んでいる間に、一日が終わってしまうものだ。
だったら、「やる気はでないけれど、やっちまうか」という態度でもいいから、一歩踏み出すことが大事だ。
 
やる気のない日ほど、発見があったりもするのだから。
足を止めないこと。
流れを止めないこと。
これが、積み重ねになるのだ。

教えるときに必要なもの。

2020.2.4

人に何か教えているとき、斜めの方向から回答をもらうときがあります。
自分が予期していなかった回答や質問。
そういうものがやってきたとき、アリだと思ったら、「それもアリだね」と素直に言うようにしています。
 
ぼく自身、人から何かを習っているとき、斜めの方向にある回答や質問をしてしまうことがあります。
まぁ、これは「習う現場」であれば、当たり前に起きることなので。
このときに、すぐに拒絶や否定をする人もいます。
 
これは教え方の違いでもあるので、この人には自分のやり方があるのです。
こういう現場を何度か目撃して、自分の教え方との違いに気がついたのです。
それで「この違いはどこからくるのだろう」と考えてみました。
ぼくが教えているのは、表面的に見れば「デザイン」「写真」「ビジネス」「交渉術」「コミュニケーション術」などです。
しかし、内奥まで考えてみると「応用力」を教えているのです。
 
高いスキルのデザインを習ったとしても、応用力がなければ、他の仕事に活かすことはできないです。
もっと言えば、教えた内容が仕事に活きることも大切ですが、日常の時間の方が、包括的な人間生活として多くなります。
だから、デザインを教えていても、仕事で活きて、最終的には自分の人生を拓いていくために活かされる内容を教えています。
 
そうすると、時間はかかっても、どこに行っても通用する人材が育つのです。
ここには教える側の根気と器が大事なのです。
活かす応用力は、雑談の中に隠れているものです。
仕事雑談、これを教えるときに盛り込みます。

事業のつくりかた。

2020.2.3

昨日、「あんまり、自分のやっていることを素晴らしいことだとは思わない方がいいです。」と書きました。
これは仕事で会う人に度々言うことでもあります。
 
仕事で人と出会って、その人の事業を説明してもらうとき、必ずと言っていいほど、人は自分の仕事に価値があるように話します。
当然と言えば当然なのですが、これが度を超えると、人を傷つけても平気になっちゃうんですよね。
 
ぼくは福祉関係や地方創生関係の人と会うことが多いのですが、その人たちに顕著に見られる傾向があります。
「反対にあるものを否定して話す」のです。
福祉であれば対象者以外の人や暮らしを否定し、地方であれば都会を否定します。
その上で、自分たちの行いや事業がいかに素晴らしいかを話すのです。
 
目の前にいるぼく(他人)を説得したいのはわかりますが、これではぼくの心は動きません。
むしろ、反対を否定する片棒を担ぐのは御免です。
そして、対岸にあるものを否定しながら話をしている人たちって、楽しそうに話さないんですよね。
笑っていないんです。
表情が強張っているんですよ。
 
こういうとき、ぼくは最初に書いたことを話すのです。
すべてのことは「自分がやりたくてやっているだけ」です。
どんなに素晴らしい事業も、どんなにつまらなそうに見える事業だとしても、みんなやりたいことをやっているだけという意味では、同じです。
苦しい状況、面倒臭い状況を避けるために、つまらない仕事を選んでいたとしても、「避けたい」と思っているのは自分自身なのです。
そういう意味では、人格者も犯罪者も同じです。
これを覆したかったら、機械になるしかありません(AIが欲望を持ったら知りませんが)。
 
自分の事業や行いが価値あるものと思う前に、人を幸せにしているのかどうかを考えた方がいいです。
誰かを傷つけたり、誰かに我慢を強いて、他の誰かを幸せにしていたら意味がないですからね。
みんなが平等に弱者になって死んでいく、そういう世の中は息苦しいでしょう。
すべての営みは、立派なことじゃないんです。
すべての営みは、自分がやりたいからやっていて、だから楽しくて、だから、誰を幸せにしているかが大事なんです。
みんなが平等に弱者になるんじゃなくて、誰も傷つけないで、誰かを幸せにする方法。
これが事業になるのです。

サンポノめいしのフォント選び。

2020.2.1

今日は珍しく(?)フォントの話です。
知らない人もいるかもしれないので説明すると、フォントというのは文字の種類です。
Windowsを使っている人でいうと、「MSゴシック」や「Century」などがあるでしょう。
あれがフォントです。
 
先日リリースした、「サンポノめいし」で選べるフォントは2種類あります。
明朝体と言われる、筆で書いたときの溜まりや払いがあるフォントと、ゴシック体と言われる溜まりや払いがないフォント。
さらに、明朝体からは「筑紫明朝」を、ゴシック体では「中ゴシック」と「Helvetica Neue」を組み合わせて、それぞれ選定しています。
 
明朝体とゴシック体のフォント選びはデザイナーに依るところがありますが、基準値レベルの高さで選ぶのなら、選択肢は限られます。
その上で、使用目的や使用媒体、印刷方法の制限もかけていけば、さらに選択肢は少なくなります。
 
筑紫明朝は、長文用フォントとして可読性が高く、オフセット印刷でも写植時代の名残りを表現できるフォントです(写植についてはまた後日話します)。
インクの溜まりや払いをしっかりと表現しながら、窮屈にならないで、ゆったりとした心地よさがあります。
一見すると、長文がないように見える名刺ですが、ロゴで効果を発揮するようなフォントを選んでいると、住所表記などがとてもアンバランスで窮屈な見え方になります。
そのために長文用フォントを使用した方がいいのですが、味も素っ気もないのでは、自分(自社)という看板を伝えるのにいかがなものか。
このあたりの絶妙なバランスを叶えてくれるのが、筑紫明朝です。
 
一方のゴシック体。
明朝体ではなく、ゴシック体を選ぶ理由のひとつは、機能性です。
明朝体で表現されてしまう品の良さは、場合によっては、事業内容とミスマッチになることもあります。
優れた機能性、利便性を売る場合は、必要以上に品格を売りにするのは鼻につき、かえって邪魔になります。
こういう場合はゴシック体を選ぶのですが、ちょっとした品格はアクセントとして大事なところです。
 
これを叶えてくれるのが、中ゴシックとHelveticaです。
中ゴシックは、ゴシック体の中でもフラットになりすぎず、若干のインク溜まりなどがあります。
さらに、文字のフォルムとして全体的に小さめに作られているので、文字としても窮屈にならずに、可読性を高めてくれます。
例えると、美味しい蕎麦に薬味のアクセントがピリッと効いている感じでしょうか。
こういう安心感が、中ゴシックにはあります。
この中ゴシックに合わせるのが、Helvetica Neueです。
日本語ゴシックの半角英数字は、どうしても日本語よりになってしまい、欧文だけで並べたときのバランスが悪くなってしまいます。
たとえば、URLやメールアドレスなどです。
どうしても、欧文の美しさが弱くなってしまうと言ったらいいのでしょうか。
これを解決してくれるのが、Helvetica Neueです。
 
日本語が多くなってしまう日本語名刺に、邪魔にならずに欧文を使うためには、日本語フォントを基準として欧文フォントを合わせる方法になります。
そして、ちょっとしたアクセントがある中ゴシックには、Helvetica系のフォントが似合います。
Helveticaの他にも、ゴシック系の可読性の高い代表格に「Universe」「Avenir」「Frutiger」などが挙げられますが、今回の中ゴシックと合わせるのなら、HelveticaかFrutigerを選びます(ぼくはね)。
その上で、Helveticaを合わせる理由は、Frutigerよりもクセが少ないこと。
Frutigerが遠くからの視認性を高めるために誕生した背景から、今回の「名刺」商品においてはクセがほんの少しだけ強いのです。
そのために、Helveticaを採用しました。
 
以上が、サンポノめいしで使用しているフォントの選定方法です。
一口にフォントと言っても、フォントが生まれた背景や浸透具合から利用用途は様々です。
ぼくらデザイナーは簡単に選んでいるように見えてしまいますが、こういった知識を積み重ねて、そう見えているのです。
こうやってフォントについて知ると、世の中に出回っている名刺のフォント、それで合っていますか?と疑問を投げたくなるものもたくさんあるでしょう。
いいものに触れる機会が多ければ、フォントの名前を覚えなくても、身体に染み込まれているものです。
変な使い方を見れば、何かが気持ち悪くなります。
あなたはどうですか?
 

サンポノめいしの仕組み。

2020.1.31

「サンポノめいし」をリリースして、話がいろいろやってきます。
これについて詳細に説明していくのも野暮なので、「どうしてここまで費用を下げられたのか」について話していきます。
 
最大の理由が、「依頼ではなく、注文にした」ところです。
基本的にぼくらの仕事は医者の仕事と同じように、患者であるクライアントの話を聞いて、課題を見つけて、処置をしていきます。
現状の課題をクリアする治療的なデザインもあれば、未来の課題リスクを減らすための予防診療的なデザインもあります。
どちらにせよ、クライアントの相談に乗りながら、解決に向かっていくのです。
この課題解決のプロセスによって、クライアント毎の個別の解決方法となり、費用が高くなっていきます。
それは、クライアントが法人であっても、個人であっても同じです。
これを変えたのです。
 
優れたデザインというのは、どんなデザインであっても、一定の基準値以上のクオリティが備わっています。
万年筆であっても、テニスラケットであっても、車であっても、椅子であってもです。
それ故に、ユニークなオリジナリティを求めた「これがいい」と言われる商品群と、基準値レベルが高い「これでいい」と言われる商品群があります。
例えば、万年筆であれば、前者は「モンブラン」さんで、後者は「パイロット」さんかもしれません(ちなみにぼくはパイロットさんのキャップレス万年筆を愛用しています)。
車であれば、「レクサス」さんと「トヨタ」さんでも分けることができます。
さらに、それぞれのブランドの中でも、ハイレベルを求めた商品と、スタンダードを高めた商品があります。
そして、基準値レベルの高い「これでいい」の代表例は、「ユニクロ」さんや「無印良品」さんです。
彼らの商品はユニークさを削ぎ落とした結果、ファッションや生活の基準値を底上げするブランドになりました。
 
ユニクロさんや無印良品さん以降の、一般人の服装や生活意識のレベルは高いと言えます。
それは、昔のアイドルと一般人の服装や髪型を見れば、違いは一目瞭然でしょう。
これが、今ではその違いを顕著に言い表すことが難しくなってきています。
つまり、一般人の基準値が高くなっているのです。
もちろん、今も昔も、極みに達している人たちを比べたら、段違いだというのはわかります。
けれども、差が縮まっているのは、一般人の服装や生活レベルが高くなっているからです。
 
話を戻すと、極みを目指すデザインではなく、ユニクロでスウェットパーカーを選ぶように、決まったデザインの中から名刺を選ぶ方法にすれば、費用が下げられるのです。
そして、この方法で売っていくためには、名刺の完成品が基準値以上のレベルであることです。
これが、町の名刺屋さんや印刷屋さんとは違うところです。
印刷屋で名刺を作ろうとすると、機械的に情報を流し込むだけになります。
すると、それぞれの文字の形にあった、文字間隔の調整がされません。
また、目立たせるところは、徒らに目立たせようとして、大味になります。
さらに、紙質も安価なものを使用します。
この三点から、どうしても基準値が下がった名刺になってしまうのです。
 
つまり、選択式であることと紙質を優れたものにするところまでは決めておいて、文字情報の流し込みはデザイナーの手作業で仕上げていくことにすれば、費用を下げながら基準値レベルを高くすることができるのです。
そのため、価格としては町の名刺屋さんよりも高いと思いますが、それはもうお客さんの金銭感覚に委ねるしかありません。
「ここまでなら商品として提供することができる」と判断できた、最小金額を設定しています。
その上で、「お前が優れたデザイナーかどうかなんてわからんだろうが」と言う人がいたら、それはもう「お客さんにならないで下さい」と言うしかありません。
どんな人を救って、どんな人をハッピーにしたいか、というのは事業をする上で決めていますから。
「サンポノめいし」は、商品の価値がわかる人(わかろうとする人)をお客さんとしています。
そういう人を、ぼくは助けたい。