Archive for 2018.8

デザイン経営について。

2018.8.31

省庁から「デザイン経営」について発表されたり、いろいろなところで「デザイン的な考え方」がもてはやされています。
こういうのって良い面もあれば、悪い面もあります。
仕事がしやすくなる反面、デザインが万能薬のような誤解を生みます。
ぼくも行く先々の依頼人から「デザインと経営」について質問をされますが、そもそも両者を分けて言っていることが間違いで、経営はデザインの要素があるものです。
これはすべてのことに言えます。
道路ひとつとっても、車線の幅や色や引き方、標識の絵柄や素材や角度、立てる位置ひとつとっても「立てる計画」があり、これらはデザインです。
縁石の素材や高さ、ガードレールの素材や形状や間隔はさることながら、留め具や留め方だってデザインです。
上記のことの根本には「どうしたら、誰もが健全かつ円滑に交通可能になるのか」という考えがあり、これはデザインそのものです。
つまり、デザインとはどこにでも存在しているものであり、効果的に機能しているかどうかなだけなのです。
「自社の欲望をなくして考えること」
これが一番のデザイン経営ではないでしょうか。

歯医者のこと。

2018.8.30

こんなことを言うと、その道の人を嫌な気分にさせてしまうと思うが、ぼくは歯医者のことが好きではありません。
嫌いでもなく、苦手でもなく、歯を健全に保つことを諦めて、歯医者にされるがままにしています。
どうやら僕の歯は虫歯になりやすいようです。
炭酸ジュースを飲んでいなくても「好きですか?」と尋ねられたり、歯磨きをやってみせたら褒められるのに虫歯になったり。
朝と夜、可能なら昼も歯を磨いているのに。
それにも関わらず、挙げ句の果てには歯が欠けたり。
被せ物が取れることも多い。
こんなんで保険外治療をしたら年間いくらかかるか分かったものではないです。
せめて矯正をしようと思って家人に相談したら、反対されるし。
もうね、歯に対しては自分というものを持たないようにしています。
それでも、こうやって書くってことは、なんとかしたいと思っているんだろーなー。
良い感じの虫歯治療って、ないんですかねー。

そういうこととしか言えないこと。

2018.8.29

自己肯定感について考えていた。
答えのようなものが見つかったような気がして何かを書こうと思ったけれど、筆は止まっている。
筆を止めたまま考えていると、そもそも答えなんてあるのだろうかとさえ思えてくる。
「これこれはこういうことだ」「こうしたらうまくいった」で語られていることは、その状況のことを語っているにすぎない。
おそらく、聞き手や読み手はこのことを分かっていると思う。
けれども、話し手や書き手になった途端に、100%正しい公式のように言ってしまう。
これが人間というものだ(こういうことね)。
もちろん、この性質はぼくにも備わっている。
こんなことを考えていたら、ぼくが仕事で信用するタイプを思い出した。
「やってみなきゃ分からないこと」は「やってみなきゃ分からない」と言ってくれる人だ。
そして、ほとんどのことは、やってみなきゃ分からない。
とても当たり前なことだけど、仕事となるととても難しいことだ。
言っていたとしても、逃げるために言っていたらダメなんだぜ。

夜の甘いかおり。

2018.8.28

もう何度目だろうか、夜にパンを焼くのは。
小麦アレルギーがわかってから、ぼくはパンを食べなくなりました。
食べなくなってはじめの数日はトーストにバターとジャムを塗ったり、カツサンドの美味しさを思い出しては我慢の日々でしたが、いつの間にか「なくても平気」になるのです。
けれども、生活にパンという選択肢がなくなると米ばかりになり、これはこれで飽きるものです。
そこで見つけたのが「米粉パン」です。
自宅で作っているのですが、はじめのうちはパンからは程遠く、むしろ餅と言った方が近しいものができていました。
それが、試行錯誤も一年が経つ頃に、バランスに気がつくのです。
はじめはパンケーキ。
これをふっくらとさせていって、さっくり、しっとりと。
この考え方を広げていって、二年目の去年、今のパンにたどり着いたのです。
いまでは、部屋に充満する甘い香りが、しかときこえています。
小麦のパンをトーストするかのような、「しあわせの香り」がいまもあるというのは嬉しいものです。
アレルギーがなければ出会う必要もないけれど、アレルギーがあったら出会った方がいい心地かな。

頼まれ仕事がなくなったら。

2018.8.27

ありがたいことに今は依頼がつづいてる状況だけれども、この先依頼がすべてなくなったとする。
そのときに何をするか。
技を磨いた方がいい。
これに尽きる。
もしも、営業活動が頭に浮かんだのなら、営業マンになった方がいい。
磨いた技は、これから出会う人を喜ばすことができる。
今、依頼人に喜んでもらっている能力のほとんどは、頼まれ仕事をしていなかった頃に磨いた技だ。