Archive for 2011.2

人間として

2011.2.27

 久し振りに、夕焼けの町並みをベランダ越しに眺めていた。こういう時は「見ている」というよりかは、「遠くに視線を置いている状態」だ。そんな状態の中にいると、心象は水平線のように微かな揺らぎを保ちながら、静寂へと落ち着いていく。そして、これからのことや、今までしてきたことが頭を通過していくと、身体に鈍痛が芽生え始める。全ては主観であるのにも関わらず、他者の意識へと、行為の意志が向かい始めたり、生物は今この瞬間にも死ぬかもしれない可能性を平等に秘めているにも関わらず、今後の展望へと欲が向かい始めるからだ。そして、戻ることの出来ない時間への後悔の念、どうしようも出来なかったであろうことと救えなかったことへの葛藤。この鈍痛が身体を支配し始める感覚は、我執に囚われそうになる兆候であるのだが、やはりそれがわかっているのだろう。「今、やるべきこと」へと意識と身体が向かい始め、そうこうしている内に今日が終わる。最期の最期まで、人間という動物として考え抜きたいのだ。

人間の問題

2011.2.27

 「The Outerspace」を見れるようにしました。現在、開催中の「写真/仮想のイメージとしての可能性」ではダウンロードをしちゃいなよ、という意識で行っているので、白盤の方では画像を2種類のやり方でダウンロードが出来ないようにしています。けれども、こういうことってイタチごっこで、贋作や盗作と同じように最終的にはモラルの問題、つまりは「人間の問題」です。

白盤: http://www.maroon.dti.ne.jp/sdc/html/

物の寿命

2011.2.26
 「物」というのは10年が限界なのだろうか? 今朝、寝間着から服に着替えようとした時に、ベルトが半分ちぎれそうになっていることに気付いた。たしか、このベルトは中学か高校に進学する時に買ったものなので、12年以上は使用されていることになる。何度も補修し、革は色が退色しているどころではなく、元々の色さえ黒だったのか、茶だったのかわからない。加えて、本革が起毛してしまっており、スエード素材だったとも言えそうだ。そんなベルトがもう寿命なのだ。

 現代においては、服は何でも寄付することができるが、ここまでボロボロになっているものは送れない。それは、これも補修を続けて最終的にはソールがごっそりと抜けた11年もののオールスターや、穴が開き、絵具がまんべんなく付着してしまった14年もののEDWINのジーンズ、袖口が解れた先にこれまたごっそりと破れた10年現役だったBLUEBLUEのパーカーなどと同じように、寄付も買い替えもできないアイテムなのだ。そんなアイテム達を使用出来なくなったから、「ありがとう」と捨てることも何故かできないもので、未だに手元に残っている。

 僕は基本的に、使用出来ないものは手元に残しておきたくない性分であり、仕事道具以外のものは家に物がないような生活をしているのだが、これらは残しておきたくなってしまうのだ。いや、正確に言うと、捨てようとすると何か後ろめたい気がして、その結果に残してしまっているのだ。しかし、これはスニーカーをコレクションしている人のような「履く用」と「観賞用」を分けた結果残っているものではなく、いわば、自分の一部のような気がしているのかもしれない。そして、別のものを新しく買いながらも、手元に残しているのだ。それら、新しく使用される物達と今まで僕を育ててくれた物達が入れ替わる時期なのかもしれず、新しく手元にやってきた物達も手入れをしながら、10年近く使用出来れば嬉しいかぎりだと思っている。そして、昨年から履き始めた新たな靴やジーンズが、徐々に僕の体に馴染み始めていることに、心を弾ませている。

白盤リニューアル

2011.2.20

http://www.maroon.dti.ne.jp/sdc/html/index.html

先週から始めた白盤のリニューアルですが、漸く一段落しました。昨年の今ぐらいはまだまだソースを読むこともできなかった身分でしたが、月日が経つのは早いもので、アナログと同様まではいきませんが、必要なものが「見える」ようになっています。これで本来の意味で黒盤との相互作用性を高めることが出来そうです。

是非、チェックしてみてください。

レビュー

2011.2.16

「アートスケープ」の飯沢さんのレポートに、前回の秦さんとの二人展について書いてもらっています。

http://artscape.jp/report/review/1229363_1735.html