人間として
2011.2.27日々のこと久し振りに、夕焼けの町並みをベランダ越しに眺めていた。こういう時は「見ている」というよりかは、「遠くに視線を置いている状態」だ。そんな状態の中にいると、心象は水平線のように微かな揺らぎを保ちながら、静寂へと落ち着いていく。そして、これからのことや、今までしてきたことが頭を通過していくと、身体に鈍痛が芽生え始める。全ては主観であるのにも関わらず、他者の意識へと、行為の意志が向かい始めたり、生物は今この瞬間にも死ぬかもしれない可能性を平等に秘めているにも関わらず、今後の展望へと欲が向かい始めるからだ。そして、戻ることの出来ない時間への後悔の念、どうしようも出来なかったであろうことと救えなかったことへの葛藤。この鈍痛が身体を支配し始める感覚は、我執に囚われそうになる兆候であるのだが、やはりそれがわかっているのだろう。「今、やるべきこと」へと意識と身体が向かい始め、そうこうしている内に今日が終わる。最期の最期まで、人間という動物として考え抜きたいのだ。