Archive for 2018

自分を変える方が簡単。

2018.12.31

今週、朝の支度を済ました後、掃除を日課にしていました。
大掃除をするのでもなく、毎日、どこかしらを掃除していただけです。
朝の瞑想を日課にしなくなってから、何か物足りなさも感じていたのですが、掃除はいいですね。
今のところ。
 
掃除機をかけたり、玄関を掃いたり、トイレ掃除、拭き掃除。
拭き掃除は窓や家具、コンロなんかで日にちを分けてもいいです。
それまでも風呂掃除は毎日していましたし、普段も週に一回は掃除をする日を決めていたのですが、それを毎日分けてやってみています。
掃除をしてから、仕事を始めていたのですが、調子は良かったと思います。
 
きっかけは、一年前から妻と一緒に住むようになって、一人暮らしの頃では考えられない散らかり方が増えたこと。
具体的なことは避けますが、子どもを持った親の気分ってこうなのだろうと思いました。
色々試行錯誤して改善できるかと思ったけれど、人を変えるよりも自分を変える方が簡単なことを思い出し、そこからまた試行錯誤していました。
そして、小学校の掃除の時間を思い出したのです。
掃除の担当場所は週毎で変わっていたけれど、掃除の時間は毎日あった。
それをやればいいんじゃないかと思ったのです。
 
真面目に部活動をする学生ではなかったので、毎日は流されるように遊んでいましたし、浪人生になってからは、そのときの本分をやるような人間になってしまっていました。
だから、仕事を毎日する人間だったのです。
少なくとも、仕事に関わることを毎日やってしまう人間だったのです。
そこから、ちょっとだけ離れてみようかとも思いました。
でも外は寒いので、家の中でできること。
妻に話しかけられても平気なこと。
そうやって考えても、掃除に行き着くのでした。
 
いつまで続くは分からないですが、物は試しです。

電車に乗ってまで。

2018.12.30

昨年あたりからの変化に気がつきました。
 
電車に乗ってまで食べに行く飲食店が増えている。
 
先日のストウブ料理のお店コーヒー豆屋さんもそうですが、根津の釜飯屋とスイーツのお店、広島のあなご飯と牛スジ煮込みの小料理屋さん。
まだ全然多くはないけれど、増えてきているなぁ、と気づきました。
 
そして、書きながら気づいたのは、どれも一種類にこだわっています。
小料理屋さんは種類も多いですが、シメと言えばあなご飯というお店です。
スイーツ屋も種類は3種類程度のお店なのです。
でも、めちゃめちゃうまい。
お店の方の対応も、めちゃめちゃ素敵。
店内は、年季が入っていても、汚らしさはないのです。
新しいイメージがあってもなくても、汚くないことが大前提なのは飲食店ですもんね。
 
だから、すべてのお店が提供しているものも接客も違うの中、共通項を挙げようとすると、味と接客の美しさ、この二つしかないです。
おそらく、この二つが組み合わさってくれないと、電車に乗ってまで食べに行きたいとは思わないのだな。
そういえば、渋谷のベトナム料理も美味しいな。
会計処理をしていると、食べ物の話ぐらいしか思い浮かばない。

あ、そうか。

2018.12.29

歳のせいなのかは分かりませんが、本を読んでいると自分と似た考えと遭遇します。
古典を読めば、ほとんどがそうです。
ここから先はあんまり考えない方がいいと思うのですが、その人たちと自分を比べてしまう瞬間があります。
「同じことを考えているのに、俺はこの人よりも稼いでいないだろうし、有名ではないのはなんでだろうか」というような。
もちろん、似た考えを持っていてしても、進む道は違うのが人間ですし、有名になったところで、ロクなことにはならないことは、自分もよく知っています。
「自分のやりたいことができていたら、いいのか?」と尋ねてみたら、「やれているのか?」という疑問が浮かびます。
 

昨日気づいたのは、足りていないところです。
「飢え」の部分が足りていないということで、これを補充しようとすでに動いていますが、補充できたところでプラスに転じるかは分かりません。
それでもやるんです。
ちょっとでも光明が差したからね。
その先に、「やりたいことをやれている」と言えるようになるのかすらも分かりませんが、言えなかったとしても、まぁそれも人間の人生ってやつでしょう。
ネガティブなのか、ポジティブなのか言い難いですが、良い意味で「真ん中」って感じがするんですよね。
あ、そうか、分からないから面白そうなんだ。

飢えが足りない。

2018.12.28

ようやく分かりました。
今年続いていた不調のような感覚の正体です。
「渇望」していないんだ。
満足したのかと尋ねられたら、「満足していない」と答えられます。
つまり、自問の仕方が間違っていたんです。
「飢えているか?」
そう自分に聞かなきゃいけなかった。
「飢えていない」と答えてしまう自分がいることに気がつきました。
これだった。
たくさんの挑戦をしているけれど、挑戦では、飢えないってことを発見しました。
必要なのは「飢え」だ。
 

来年は、物理的に一人で孤独と向き合う時間を、もっと持つ必要があるんだろうなぁ。
家で仕事をしていると、夜になれば妻が帰ってきて、物理的な一人の時間は終わります。
いい部分も悪い部分もあるってことです。
 

以前もブログに書きましたが、あるお店が気に入っています。
ストウブという鉄鍋料理のお店で、電車に乗ってまで食べに行くお店です。
ランチメニューに書いているのはパンのみなのですが、パンを食べることができない旨を伝えたら、ご飯を炊いてくれたお店です。
前回は男性と女性が一名ずつで働いていたのですが、今回は女性のみでした。
お米がちょっと固かったけれども、スープに浸して食べれば、これが絶品。
食べ終わったら「固くなかったですか?」と心配そうに尋ねられたのも愛嬌です。
骨つきのチキンをむしゃぶりつき、軟骨まで食べ、固い骨しか残らないまで食べ尽くした。
ナイフとフォークのあるお店だけれども、手でつかんで食べる気持ち良さがあるんだ。

師走だぜ。

2018.12.27

一日中、会計処理をしていると、頭の働きがぼぉっとしてきます。
そうです、毎年恒例のこの時期がやってきました。
依頼人たちも正月休みに入るこの時期に、一年分の会計処理をするのです。
こういうことが得意な人もいるのでしょうが、ぼくにとっては苦痛です。
 

今日の限界がやってきたので、昨日の残り物の夕飯を食べていたら、歯列矯正用のゴムが取れちゃって、明日の午前中に歯医者に電話しなきゃいけない仕事が増えました。
歯医者は明日の午前中で年内はおしまいでって……テンパる体力もないほど、もう疲れ果てていますね。
 

仕切り直そうと湯船に浸かったのですが、頭を巡るのは悲観的なことばかり。
こういうときは年に数回あります。
いままでと今年の違いは、ここからぐるっと逆転することがなかったことです。
弁証法的な突き抜け感が、今年は一度もなかったです。
じりじりと進むことを覚えたのか、それとも単に悪い方向にむかっているのか。
どちらにせよ、変化があった年でした。
 

ちょっと時間を置いてから、再び書き始めました。
気づいたことがあったのです。
来年は「自分が何をしたかったのか」を考えてみようと思います。
来年じゃなくたっていい、もう今年から考え始めます。
しがらみも生まれてはいますが、昔のしがらみと違うのは、みんないい奴ってことです。
だから、「自分が何をしたかったのか」ってことを考えつつ、みんなのことも考えてみようと思います。
もう今から考えちゃいますよ。