Archive for 2013.7
体の、、、 2013.7.30
終わりを考えること
2013.7.28
紀里谷和明さんの短編を観ていて、「あぁ、本当にそうだ」と感じました。主旨は違うかもしれませんが、空がこんなにも青いというだけで僕は幸せになります。以前にも話しましたが、僕は自然の中に入ると、ただ寝そべって何もしません。食料が欲しいときは食料を探しましたが、今のようにその日の内に帰ってくる場合は、寝そべっているだけです。
人間が作った社会システムや偏見、「こうじゃなきゃいけない」という思い込みや恐れの総体を相手にして、せめて自分よりも若い人達が馬鹿みたいな苦労と遭遇しないで済むような社会にしたいと動き、話していること。けれども、自然の中に帰ると「こちらが自分の終の住処だ」と再認すること。
どちらも真実ですし、いつ死ぬかわからないのが人生ですが、終わりを頭の片隅に置いておくのは、順序立てて今を考えることができます。
真面目風だったり、取り繕ったりすることが日本の世の中を流れるのに適しているのでしょうが、でもね、終わりを考えないでいると、裏で批判をしているイエスマンの完成でしょ。だったら、ちょっとした時に、終わりの瞬間、どうありたいか、どういう自分でいたいか、どういう社会にしていたいか、を考えても損はないはずです。
紀里谷和明さんの短編を観ていて、「あぁ、本当にそうだ」と感じました。主旨は違うかもしれませんが、空がこんなにも青いというだけで僕は幸せになります。以前にも話しましたが、僕は自然の中に入ると、ただ寝そべって何もしません。食料が欲しいときは食料を探しましたが、今のようにその日の内に帰ってくる場合は、寝そべっているだけです。
人間が作った社会システムや偏見、「こうじゃなきゃいけない」という思い込みや恐れの総体を相手にして、せめて自分よりも若い人達が馬鹿みたいな苦労と遭遇しないで済むような社会にしたいと動き、話していること。けれども、自然の中に帰ると「こちらが自分の終の住処だ」と再認すること。
どちらも真実ですし、いつ死ぬかわからないのが人生ですが、終わりを頭の片隅に置いておくのは、順序立てて今を考えることができます。
真面目風だったり、取り繕ったりすることが日本の世の中を流れるのに適しているのでしょうが、でもね、終わりを考えないでいると、裏で批判をしているイエスマンの完成でしょ。だったら、ちょっとした時に、終わりの瞬間、どうありたいか、どういう自分でいたいか、どういう社会にしていたいか、を考えても損はないはずです。
そっと置いとく 2013.7.27
やっばいな〜
2013.7.27
「仲間を悲しませちゃいけないな」と思いました。怒られたり、説教されたりなんてことじゃ、僕には響かないことが多いのですが、自分のしていることで相手から悲しみの匂いを感じると、響きます。
笑って死ねる自信と、生き切った感、そして「やりたいことをやる」という意識で動いているため、他の人達、特に仲間や近しい人達に心配してもらうことが多いのですが、その中でも「悲しみ」を抱かせてしまうことがあります。なぜ、そこで響くかというと、「悲しみ」はわざと発信する(言う)ものではなくて、本人が気付かないほどの微量が漂ってしまうものであり、確実にその人は「悲しみ」に心が倒れたことがある人でもあります。
そこから立ち上がるのは容易なことではありません。
にも関わらず、僕の言動で悲しみからの心配をさせてしまうのは、僕は酷いことをしたということです。それでも、僕の「やりたいことをやる」、「楽しくなっちゃう」性質はなかなか変えることができません。なので、上手い折衷点を見つけようと思いました。休んでいる様子を見せるとかね。
「仲間を悲しませちゃいけないな」と思いました。怒られたり、説教されたりなんてことじゃ、僕には響かないことが多いのですが、自分のしていることで相手から悲しみの匂いを感じると、響きます。
笑って死ねる自信と、生き切った感、そして「やりたいことをやる」という意識で動いているため、他の人達、特に仲間や近しい人達に心配してもらうことが多いのですが、その中でも「悲しみ」を抱かせてしまうことがあります。なぜ、そこで響くかというと、「悲しみ」はわざと発信する(言う)ものではなくて、本人が気付かないほどの微量が漂ってしまうものであり、確実にその人は「悲しみ」に心が倒れたことがある人でもあります。
そこから立ち上がるのは容易なことではありません。
にも関わらず、僕の言動で悲しみからの心配をさせてしまうのは、僕は酷いことをしたということです。それでも、僕の「やりたいことをやる」、「楽しくなっちゃう」性質はなかなか変えることができません。なので、上手い折衷点を見つけようと思いました。休んでいる様子を見せるとかね。