Archive for 2019.7

病みそうになったらボケろ。

2019.7.31

凄いことを発見してしまった。
「病みそうになったらボケろ」だ。
ボケとツッコミのボケから笑いは起きる。社会人になって、上手く人生が回らずに、病んでしまった人がいるだろう。
 
そういう人たちの話を聞いていて、学生時代に共通していたのは、ツッコむ側だったことだ。
学生時代というのは、関係性が壊れないと約束されているところがある。
だが、社会人は簡単に関係性を壊せる。
だから、知らん奴にツッコまれる筋合いがなく、下手なツッコミはムカつかれる。
そして、素人のツッコミは、下手な指摘だ。
少々の年上、先輩程度であれば、下手な指摘はムカつくだろう。
そして、下手なツッコミ専門だと、会話の糸口も掴めなくなる。
 
だが、ボケ側は会話のはじまりを作ることができ、笑ってくれる環境や、喜んでくれる環境があればいい。
反りが合わないと感じたら、笑ってくれる環境を探すことができる。
上手くツッコんでくれる人と出会えたらラッキーだが、そんなセレンディピティは期待していないだろう。
 
ボケというのは、そのままお笑いのボケでもあるし、発表だっていい。
何かを作る、何かを書く、何かを発表する。
こういうのはボケだ。
けれど、書くときは批評じゃダメだ。
批評はツッコミだから、お前に言われる筋合いはねぇ、となる。
(ぼくが批評家嫌いなのは、仲間なら知っているだろう)
作るものは、すべてオリジナルで発表できるものだ。
 
すると、学生時代、ツッコミしかやってこなかった人は、どうすればいいかわからないだろうが、イジられることを良しとすればいい。
最初は嫌かもしれないが、イジられたときの返しが上手くハマると、それがキャラクターとなる。
そして、笑いになる。
病みそうだと思ったらボケる。
くだらなさ過ぎて笑っちゃうぐらいボケる。
最近、そんなアプリを作りたいと考えていたが、やっぱ笑いって、世界救うわ。

積み重ねは打率。

2019.7.30

同じ時間を過ごしてきた人同士が、その後、全然違う状態になるというのは、珍しいことではないだろう。
同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校、同じ高校、同じ大学、同じ会社……同じ〇〇を挙げようと思えば、ある程度は挙げられる。
全部が同じところに行っていたというのは珍しいかもしれないが、六年間や三年間、同じ環境で過ごしていただけでも十分な気がしている。
それでも、別々の岐路を選び、選んだ結果の積み重ねで、同じ環境で育った人でも全然異なる人生になる。
 
「積み重ね」というのは、「打率」とも言い換えることができるだろう。
選んだ結果だけで決まるのなら、本塁打を狙うしかなくなるが、選んだ結果の積み重ねなら打率を上げていくようなものだ。
そうやって考えてみると、日常のことや仕事のことを、ヒットやアウトで考えてみるといいかもしれない。
 
掃除をしないでホコリやゴミを溜め込むのはアウト。
仕事を休むのはアウト。
陰口を言うのはアウト。
助けを求めるだけはアウト。
 
掃除をするのはヒット。
コツコツ仕事をするのはヒット。
感謝をするのはヒット。
人を助けるのはヒット。
 
毎日、ヒットしか出さないってことはないだろう。
体調が優れず、仕事をしても仕事仲間に迷惑をかける日は、仕事を休んだ方がいい。
こういう場合は、どちらにせよ、アウトなのは変わらないが、早く体調を回復して打率を上げるしかない。
それでも、アウトを減らすことはできるはずだ。
たとえば、疲れ切って掃除ができないとしても、不満や陰口を言うことは絶対にしないとか。
仕事をやっていなくても、その間、仕事につながるような努力をしているとか。
全人類を助けることはできなくても、席をゆずるとか、荷物を持ってあげるとか、落とし物を届けるとかはできるんじゃないだろうか。
自分がお客だとしても、お店の人にお礼を言うこともできる。
一緒にいる相手を不快にさせないように、身支度を整えたり、不潔にならないようにしておくとか。
こうやって、ちょっとずつ人生の打率を上げていくことが、人生をよくすることにつながるような気がしている。
 
少なくとも、ぼくのような生き方で、仕事の依頼がきて、美味しいご飯を食べていられるのは、こういう小さなヒットの積み重ねをやってきたからじゃないだろうか。

英語で書くと。

2019.7.29

英語で文章を書いていると、日本語特有のしがらみがない書き方になるので気持ちがいい。
英語で書いていると言っても、日本語をGoogle翻訳して、なんか変だなと思った箇所をWeb辞書で調べながら書く感じだ。
だから、あまり長いと修正ができないから、修正しやすいように短く日本語を書く。
すると、日本語のまどろっこしさや、この言葉を使うとまずいといったことがなくなる。
英語だとこの言葉を使うとまずい、ってこともあるだろうが、それは書き手が日本人だってことで考慮してくれるだろうと、勝手に思っている。
ま、逆の立場なら、そうじゃんって。
英語スキルの低さが功を奏して、日本語のしがらみをなくしてくれる。
でも、話すことは下手すぎるから、やっぱり話せる方がいいよな〜、と常々思う。

天気の話。

2019.7.28

ちょっと意味もないことを書きたいと思って、そういうときは天気について書くといい。
天気の話というのは、ぞんざいに扱っているようで、ずいぶんと橋渡しをしてくれるすごい奴だなぁと感心する。
先日の木曜日や金曜日あたりには、「いや〜、ようやく晴れましたね〜」という言葉が、東京だけでどれだけなされただろうか。
雨には悪いけれど、この言葉を言い合うことを、どれだけ人々が望んでいたか。
「いや、俺はそんな誰もが言うことは言わないぜ」という天邪鬼だって、この言葉の影響を受けている。
言ったっていいんだ。
言わなくてもいいんだ。
でも、こういう時は、素直に言っちゃった方が、安心できるってもんだ。
思えば、誰もが他人の反応を気にしている世の中になって、相手の良い反応が高い確率で予測できる言葉って、そんなにないだろう。
だから、天気の話には悪いけれど、ぼくらは天気の話にたくさん頼るんだろう。
これほど頼りになるものって、他にあるだろうか。
天気の話は「え〜、もう疲れたよ〜」と言っているかもしれないし、「任せとけー!」と腕まくりしているかもしれない。
案外、すかしているかもしれない。
天気の話と上手に付き合っていけるのが、いい大人でもあるよな。

熱量を高く揃える。

2019.7.27

チームや組織で何かをやるとき、熱量が揃っていないと、やり続けるのは難しい。
バイオリズムのように、好不調の波はあるかもしれないが、一人だけ熱量が異常に高くても駄目だし、低すぎても駄目だ。
モチベーション(動機)は揃っていなくても構わないが、モチベーションの熱量は揃っていないと、高い人が頑張り、低い人のことを不満に思うようになる。
 
そもそも熱量が低いと、活動量も少なくなる。
だから、チームメンバーの熱量が揃っていても、低いレベルで揃っていては、事は進まない。
つまり、高いレベルで熱量が揃っていないと、物事は進まないし、続けることができなくなる。
 
短期間で成果を出そうとすると、熱量が高いままチームを動かすことができるが、成果がでなくなるのはどの事業でもあり、短期間で勢いよく成果を出そうとしているチームほど、暗礁に乗り上げると熱量は急激に下がる。
すると、一人、また一人とチームからいなくなる。
 
事業というのはほそーくながーく続けた方がいい。
もちろん何年も赤字というのは困るが、十分な黒字化を果たしたら、少しずつ利益向上を目指した方がいい。
抱いた大志は、そんな簡単に達成できるものじゃないだろう?