Archive for 2014.5
選択の理由
2014.5.25
最近、忙しさから離れると静かな感傷と出逢う。最後は一人だということ。自分の遺伝子を受け継いだ子が、自分と同じように、病気になるのではないだろうかという恐れが、一人を選ばせる。
情の力を見くびっているわけではない。しかし、自分の血を受け継いだ子ではなく、養子を選ばせる。お金の面で不自由をしている子どもたちが多いという格好の理由があることも拍車をかける。
それでも、情の力の偉大さを知っているので、最終的には一人を選ぶ。
久しぶりに家でビールを飲もうと、コンビニに行く。
ビールの棚には、新発売のものが取りやすい位置に置かれているが、一瞬迷って、親父が飲んでいたビールを買う。いつも通りの選択だ。いつも迷っては、やっぱり選んでしまう。利き酒ができるほど舌は肥えていない。つまり、パッケージで選んでいるということだ。
結局は、情が勝ってしまうことの表れである。
恐ろしいことに、「もしも」のことが起きた後、自分がもっと強い作品をつくれることもわかっているのだ。どこかで、それを望んでいるような気さえしている。今までの人生、先に対価を払ってから、力を手に入れてきた。その仕組みが、これからの人生も続くような気がしているのだ。
それでも、自分の命を対価として払うのは構わないが、他人を対価として使って、力を得ることは、俺の倫理観では難しいことになる。そして、一人を選ぶことが続いている。
考え過ぎかもしれないが、理論ではなくて、情の話だ。
最近、忙しさから離れると静かな感傷と出逢う。最後は一人だということ。自分の遺伝子を受け継いだ子が、自分と同じように、病気になるのではないだろうかという恐れが、一人を選ばせる。
情の力を見くびっているわけではない。しかし、自分の血を受け継いだ子ではなく、養子を選ばせる。お金の面で不自由をしている子どもたちが多いという格好の理由があることも拍車をかける。
それでも、情の力の偉大さを知っているので、最終的には一人を選ぶ。
久しぶりに家でビールを飲もうと、コンビニに行く。
ビールの棚には、新発売のものが取りやすい位置に置かれているが、一瞬迷って、親父が飲んでいたビールを買う。いつも通りの選択だ。いつも迷っては、やっぱり選んでしまう。利き酒ができるほど舌は肥えていない。つまり、パッケージで選んでいるということだ。
結局は、情が勝ってしまうことの表れである。
恐ろしいことに、「もしも」のことが起きた後、自分がもっと強い作品をつくれることもわかっているのだ。どこかで、それを望んでいるような気さえしている。今までの人生、先に対価を払ってから、力を手に入れてきた。その仕組みが、これからの人生も続くような気がしているのだ。
それでも、自分の命を対価として払うのは構わないが、他人を対価として使って、力を得ることは、俺の倫理観では難しいことになる。そして、一人を選ぶことが続いている。
考え過ぎかもしれないが、理論ではなくて、情の話だ。
変わったような変わっていないこと
2014.5.24
「ガンダムUC」を観に行った。ガンダム自体は格好良く、涙腺が緩むところもあるが、台詞に頻繁に出てくる「可能性」というワードが気になった。
このワードが気になるということが、自分が老けたということを物語っているのだろう。
ただ「可能性」を信じるだけで話を終らせるのではなく、「可能性を実現するための具体策」を挙げることがないと、どこか眉唾に聞いてしまう姿勢が出てきている。しかし、だからといって、「可能性」という理想論を信じていないのではなく、むしろ、根幹は理想論といわれるような可能性を信じているのだ。可能性を信じているからこそ、「動く必要性」が切迫してくる。
そんなことを考えていたら、「がむしゃら」を「集中力」と言うようなものだということに、気が付いた。
要は、変わっていないってことだ。
変わったのは、「お金を出させる方法の引き出し」、「人に動いてもらう引き出し」が増えて、徐々に悪賢さが増していることだろう。
「ガンダムUC」を観に行った。ガンダム自体は格好良く、涙腺が緩むところもあるが、台詞に頻繁に出てくる「可能性」というワードが気になった。
このワードが気になるということが、自分が老けたということを物語っているのだろう。
ただ「可能性」を信じるだけで話を終らせるのではなく、「可能性を実現するための具体策」を挙げることがないと、どこか眉唾に聞いてしまう姿勢が出てきている。しかし、だからといって、「可能性」という理想論を信じていないのではなく、むしろ、根幹は理想論といわれるような可能性を信じているのだ。可能性を信じているからこそ、「動く必要性」が切迫してくる。
そんなことを考えていたら、「がむしゃら」を「集中力」と言うようなものだということに、気が付いた。
要は、変わっていないってことだ。
変わったのは、「お金を出させる方法の引き出し」、「人に動いてもらう引き出し」が増えて、徐々に悪賢さが増していることだろう。
ひとつの疑問、たくさんの疑問
2014.5.23
生きるとは何だろうか? とりあえずは、価値あることとして一般的には思われている。そして、倫理的な価値を満たすように位置付けられている。
それでも、生きるとは何だろうか? 科学的根拠を並べて機械と区別されてもいる。家畜や装飾品のために殺される動物もいる。
人間とその他で、生きるというのは違うものだろうか? 死んだとされる人間とも、会うことがある。会ったことがない、遠い時代の人間とも会うことができる。
多くの人がこの問いに挑み、それぞれの答えを僕らは読むことになった。しかし、それは単に、自分以外の誰かが主張している文句に過ぎない。この問いこそが、自分だけの答えを持たなきゃならない問いなのだろう。
生きるとは何だろうか? 僕らが産まれ、育ち、それ即ち「生きる」と呼ばれているものだ。その先に、死を通過し、またその先はどうなっているのか、わからない。
生きるとは何だろうか? とりあえずは、価値あることとして一般的には思われている。そして、倫理的な価値を満たすように位置付けられている。
それでも、生きるとは何だろうか? 科学的根拠を並べて機械と区別されてもいる。家畜や装飾品のために殺される動物もいる。
人間とその他で、生きるというのは違うものだろうか? 死んだとされる人間とも、会うことがある。会ったことがない、遠い時代の人間とも会うことができる。
多くの人がこの問いに挑み、それぞれの答えを僕らは読むことになった。しかし、それは単に、自分以外の誰かが主張している文句に過ぎない。この問いこそが、自分だけの答えを持たなきゃならない問いなのだろう。
生きるとは何だろうか? 僕らが産まれ、育ち、それ即ち「生きる」と呼ばれているものだ。その先に、死を通過し、またその先はどうなっているのか、わからない。