Archive for 2010.11

白盤更新

2010.11.28

http://www.maroon.dti.ne.jp/eguchimasaru/html/

白盤のトップを変えました。

「The Outerspace」をちょっとだけ。

ジョグ

2010.11.21

 

 筋トレやストレッチは以前からしていたが、走ることを再開した。速筋を鍛えてから、遅筋を鍛える。

 

 学生時代、男だったら誰でも憧れる(?)「最強」の二文字を手に入れるために鍛えたり、僕らはどうしようもない学校に通っていたので、体育教師の機嫌が悪かったり、何か問題があるたびに「1.坊主、2.走る、3.筋トレ」のどれかを強制させられた。僕は長距離も筋トレも嫌いではないので、面倒臭いことをさせられるよりかは、ラクな気分でいたが、そうでもない人達の方が多かったのだろう。

 

 しかし、久しぶりに走るとすぐに下腹部が痛くなるのだ。けれども、そんな中に頭をよぎったのが、「きついのは誰でも同じだが、つらいと感じるのは自分自身だ」という村上春樹さんの著書「走ることについて語るときに僕の語ること」に出てくる言葉だった(たしか、この文句も誰かの引用だった)。

 

 学生時代に走っていたときもきつかった。どうしようもないぐらい、きつかったと思う。しかし、つらいと思ったことはそれほどなかったように思うし、一人で黙々と進めることに僕は楽しみを見出す性質だ。

 

 そして、下腹部の痛みを抱きながらしばらく走っていると、いつの間にか痛みが消えており、何も考えない気持ち良さが全身に行き渡り、足を出し、腕を振り、呼吸をするのが自動的に進む。しかし、肩で呼吸をするなどのフォームが崩れそうになると、警句のように「肩で呼吸をするな、フォームを崩すな」という言葉がリピートされ、体に染み付いた過去の自分を思い出す。「積み重ねてきたものは決して裏切らないのだな」と思いつつ、警句のように聞こえる言葉に苛立ちを覚え、姿勢を戻し、足を出す。

 

 走る距離も決めず、「途中で歩くかもしれない」と思いながら走り始めたが、結局、隣町まで走り、一度も歩くこと無く、家までの往復距離を走り切ってしまった。2kmぐらいだと思っていた距離も計測をしてみると4kmを越えており、距離感覚の衰えに呆れてしまった。これに懸垂を加えたいし、横浜まで走りたいと思った。

 

 得手不得手は誰でもあるので、誰かに走ることを勧める気は毛頭ないが、僕にとって体を鍛えること、走ることは何も考えないで済む貴重な時間であると共に、心身ともに自分の甘さを痛感することのできる行為なのだ。

自然物の人工化

2010.11.15

 今月初めに贈っていただいた洋梨が食べ頃になってきた。果物は好きだ。しかし、店先に並ぶ果物の値段を見ると、どうも高価過ぎるように思えてしまって、僕は果物を買ったことがない。もらうか、人の家でご馳走になるかのどちらかだ。

 

 果物は自然になる。僕らが買おうとする果物は生産者、つまり人が作っているのだが、自然の力によって実がなっていることには変わりがない。美味しいから、人が作るようになる。より効率的に、より美味しく作るために土地の権利などを確保する。個人が確保しなくても良い、とりあえず自然物を相手にしているのに人間が所有するのだ。

 

 これが加速すると、ミネラルウォーターの話になってくる。ミネラルウォーターを販売するために、自然の水源を所有し、高いエネルギーを使ってボトルを製造、輸送する。水源を確保するということは、好き勝手にその水を飲めなくなるということだ。しかも、その土地に住んでいる人間や動物がだ。その水を飲むためには、わざわざボトルに詰められた状態になった商品を買わなければ飲めなくなる。

 

 だが、日本の水道水はかなり綺麗だそうだ。子どもの頃は浴びるように飲んでいたし、ミネラルウォーターを飲むようになってからの方が、悪習慣、夜型の生活が始まったような気がする。昨年から水道水に戻しているが、やはり、朝型の生活や無駄なものを持たないようになっていったのも、そのぐらいの時期だったように思う。

凄い先輩たち

2010.11.7

 たばこと塩の博物館「和田誠の仕事」展へ。温かみとユーモアがあるが、それでいてピリッとする色と色の境界線。現代が「ヘタ上手い」が流行っているとして、大抵の人が単なる下手で終ってしまっているのとの違いはここなんだろうな、と思いながら観ていると、和田さんが作業している現場を録ったビデオが流れている空間にやってきた。ビデオの内容は学芸員(?)と話しながら作業が進むのだが、僕が気になったのは和田さんの手だ。筆を握り、鉛筆を握るその手は、皺があり、肉付きがよく、絵を描くためにあるような手のように見えてしまったのだ。長年描き続けた人の手なのだろう、先日観た「ドガ」展と同様に、残ったものの深い強さというのを感じるこの2週間だった。