Archive for 2014.1

肉への主観

2014.1.31

肉を頻繁に食べます。自分でも焼くことが多いのですが、すると、肉の焼き方がどんどん上手くなるんですよね。

焼き方が上手いって、どんなことだろうと考えているのですが、共通見解として、「柔らかく焼ける」というのはあるでしょう。スジが気にならなかったり、中身がしっとり、外に焼き目がついている、などありますが、味付けも大事ですよね。タレが美味しいとか、塩加減が良い塩梅だとか。

でも、これも人間が作り出した感覚でしかなく、所変われば違う感覚があるんですよね。

なので、自分の加減で一番美味しいと思うものを求めるんです。

物語の力

2014.1.30

最近、一週間に一回、泣いています。原因(?)は、jwaveで流れる「浅田次郎ライブラリー」を聞いているからだ。

友情、家族、恋ーー様々な人間模様があるのに、どれを聞いても涙腺が緩む。わかりやすく、気をてらわず、だから登場人物たちの心情とリンクしやすい。登場人物は人間味があり、後悔を抱え、人目から成功していてもそうでなくても優しい人達なのだ。

聞いていると不思議なことに、「幸せになって欲しい」と思ってしまう。物語というのは、その中での出来事にすぎない。それでも、彼らには僕らが知る前の人生があり、その後の人生があるように感じてしまうのだ。そう、文字だけで生かされているはずの登場人物たちが、しっかりと、そこに生きているのだ。

物語というのは不思議だ。

根っこ

2014.1.29

先日、喫茶店でこれを書いていたのですが、周囲には他人がいます。それで、想像してみたんです。人類がいなくなった世界のことを。それでも僕は、いま、こうやって書き続けているんだろうし(内容は異なりますが)、作品を作り続けていくんだろうね。

どんなにたくさんの方向に同時に向かっていても、根っこの部分がわかっていたら、平気なものだとつくづく思います。

悪い撮影

2014.1.28

心を込められない撮影というものがあります。ほんっとにたまーに、なのですが、本当にそんな時があるのです。

そういう状態に陥るときって、人を撮る時なんです。撮られる人が「撮られるのは当然」という態度にいると、こちらも「こいつのためにならなくてもいいか」という気持ちになるのですが、そういう写真って、後悔しかないんです。

本当に撮るべき写真ではなかったと、後悔しますし、結局「自分のためにならない」んですよね。

人を信じて、自分を預ける

2014.1.26

体のメンテナンスとして月に1回、マッサージに行っているのだけれども、いやはや、どの人も初回よりも2回目の時の方が、僕の体に合わせた施術になっているんです。
 
自分の体を人に預けることは、考えてみたら大変な信頼関係が働くんだろうと思いました。手をほぐされているときに、指は赤ん坊のように、うっすらと閉じている状態になり、やってくれている人の動きに合わせて指が開いていきます。
 
その時に「赤ん坊のようだな」と半眠の状態で思ったのですが、体を預けている信頼関係は、ちょうど母子のようなものかもしれません。

その信頼関係は背術前の会話で、お互いに好きなことを仕事にしていることを話題にしたから、より強く生まれたのかもしれない。

好きなことを選んで進んでいる人は信頼できる。これ、とっても当たり前のことだ。