Archive for 2012.2

草稿

2012.2.25

先週あたりから普段以上に制作をしている。つくることが楽しい。背筋は凍る一方、この快感は増すばかり。つらさの度合いも普段以上だが、命は待ってくれないのだ。生きる時間の短さに悔しさを抱く一方、諦めることで生まれる「吹っ切れる」気構え。そういえば、「吹っ切れる」も風にまつわる漢字が使われている。なるほど、その気構えが生まれる時に感じる風が圧倒的であるはずだ。
 
手が動く。モニタ越しの作業でも、モニタに向かって指と手と腕がひっきりなしに動き、まるで踊っているようだ。どうやら、口元に笑みが生まれ、目はさらになっているらしい。あまりにも変幻自在に動いていくので、意識が我にかえり、呆気にとられた。しかし、指、手、腕の動きがあればあるほど、その後の実作業がはかどっている。
 
がちゃ目だ。右目と左目で視力に差があり、観えている景色も違えば、飛蚊の数も大きさも違う。しかし結ばれるイメージ、情景は一緒だ。目という細分化の話から、イメージという統合化の話になり、それが作品になっていく。
 
「生まれてきてよかった」と思って欲しい。「生きていてよかった」は願望が満たされた時に頻繁に感じるだろうが、「生まれてきてよかった」というのは、なかなか感じることはないだろう。しかし、その感情にあるのは感謝の気持ちだ。感謝の気持ちを抱いているとき、人は幸せになっている。そして、他者(他の何か)に向けられる感情でもある。また、その感情を抱いた後、自分に対してだったり他人に対してだったり、何かに対して優しくなっている。つまり、優しさが繋がっていく。これって戦争がなくなる理由になると考えている。

更新

2012.2.20

かなり久し振りですが、ポートフォリオを更新してもらいました。

外壁工事

2012.2.19

住居の外壁工事が始まり、日曜日以外は騒音が発生している。抱えている案件から騒音時に出来るものと出来ないものが自ずと選別されてくるのだが、「観」は後者にあたる。昼間の作業は久し振りで不安もあったが、何とかいけそうだ。しかし、一抹の違和感があるので払拭されたかというとそうでもないが、この変化を吸収していこうと思っている。日々、同じものというのは何もないのだから、その変化を認めれば力になってくるだろう。
 
それとは異なり、工事に伴い、ベランダ周辺の不要物回収場が3日間限定でできているのだが、様々なものが溢れている。その回収場所が僕のベランダから覗ける真ん前なので、一瞥してみたら、その多さに驚いた。ほぼ強制的に置くことを禁じられているので捨てるのか、ちょうど良い機会になっているのか…ただ、不要物を今まで持っていたことは明らかだ。

2012.2.16

「観る」とはどういうことだろうか? 作品を発表するようになってから10年が経ち、数々の展示会を経験してきたが、作品をつくればつくるほど「観る」ことが不確実であるという意識は増すばかりであった。大学時代に心理学・認知科学を学ぶことで、人間における視覚の機能についての理解を深めてきたが、この作品には、「観るとはどういうことか?」という問い、「観ることへの態度」、そして、「僕には見えてしまったが、一般的には見えないであろう、この世に生まれなかったであろうものたち」——それらを描くことによって、「観る」という答えを示したかったのだが……。

答えは——「光の軌跡」だった。見えないけれども見えるものが描画となり、ニードルで削ると紙表面の乳剤が雪の結晶のように煌めく。畢竟、僕は「光を描く人」(写真=Photograph=Photo:光を+Graph:描く=Photographer=光を描く人)だったのだ。写真を意識せずに制作した作品でさえ、写真に導かれていた。生きている人の光を観て、問いが生まれ、答え(作品)を出す、それは肖像写真でもあり、その人における個人史を凝縮し、人が生きた証を共有させる仕事なのだ。

ダイジェスト

2012.2.12

先日のトークショーを見逃した方はこちら