草稿

2012.2.25日々のこと

先週あたりから普段以上に制作をしている。つくることが楽しい。背筋は凍る一方、この快感は増すばかり。つらさの度合いも普段以上だが、命は待ってくれないのだ。生きる時間の短さに悔しさを抱く一方、諦めることで生まれる「吹っ切れる」気構え。そういえば、「吹っ切れる」も風にまつわる漢字が使われている。なるほど、その気構えが生まれる時に感じる風が圧倒的であるはずだ。
 
手が動く。モニタ越しの作業でも、モニタに向かって指と手と腕がひっきりなしに動き、まるで踊っているようだ。どうやら、口元に笑みが生まれ、目はさらになっているらしい。あまりにも変幻自在に動いていくので、意識が我にかえり、呆気にとられた。しかし、指、手、腕の動きがあればあるほど、その後の実作業がはかどっている。
 
がちゃ目だ。右目と左目で視力に差があり、観えている景色も違えば、飛蚊の数も大きさも違う。しかし結ばれるイメージ、情景は一緒だ。目という細分化の話から、イメージという統合化の話になり、それが作品になっていく。
 
「生まれてきてよかった」と思って欲しい。「生きていてよかった」は願望が満たされた時に頻繁に感じるだろうが、「生まれてきてよかった」というのは、なかなか感じることはないだろう。しかし、その感情にあるのは感謝の気持ちだ。感謝の気持ちを抱いているとき、人は幸せになっている。そして、他者(他の何か)に向けられる感情でもある。また、その感情を抱いた後、自分に対してだったり他人に対してだったり、何かに対して優しくなっている。つまり、優しさが繋がっていく。これって戦争がなくなる理由になると考えている。

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