Archive for the ‘心の健康’ Category

雨の日のバロメーター。

2018.9.16

雨というのは、こころの健康を測るバロメーターになっているかもしれません。
あまり気分がすぐれないときに雨が降っていると、予定を狂わされたかのような錯覚を覚えます。
けれども、気分がいいときは、「雨の日も風情があるよな〜」なんて呑気なことを思っています。
どちらがいいかと言ったら、そりゃあ呑気なことを言っているほうでしょう。
涼しくなったことを寒いと感じるときも、こころの調子がいいときではないかもしれませんねー。

議論よりも話し合い。

2018.9.15

白熱した議論ではなく、建設的な話し合い。
企業との打合せで話されることは、すべて仮説です。
結果報告だとしても、たまたまその結果になっているだけで、同じ条件を揃えたら同じ結果になるとは限らないのです。
だから、強い言葉はなるべく使わないようにしています。
一側面だけを取り上げたら正しいでしょうが、別の側面から見たら間違っているなんてことは、普通にあります。
それでもぼくらは何かを決めなきゃいけないし、Aを選んだのに実はBの方がよかったね、ということも後からわかったりするものです。
これが事業というもの。
だから、強い言葉で議論の応酬をするのではなく、弱い言葉だとしても、相手と話し合うことの方が、いいチームになっていきます。
白熱した議論ではなく、建設的な話し合い。
だからって、口だけ動かすのも違いますけどねー。

弱い言葉をつかう。

2018.9.12

昔、シャープのツイッター担当者の方の話を聞くことがあって、「弱い言葉を使うことを心がけている」と言っていたのが印象的でした。
世の中の炎上事の多くは、「強い言葉」からはじまります。
これは現実の言葉のやりとりでも同じです。
炎上事の中には、炎上させるつもりはなかった場合もあるはずです。
けれども、相手がどう受け取るのかはわからないのです。
立場や状況もいろいろです。
人生もいろいろ。
こんな、たくさんのいろいろが掛け合わさることを、言葉を受け取る相手や言葉を発する相手が想像しているのかが、鍵なんですよね。
いまのビジネスの現場は、日本語を使っているのに、英語のように端的に伝えるのを良しとしている傾向があるでしょう。
すると、冷たい強い言葉ができあがるのです。
日本語とは本来、述語的なものです。
ゆらゆらゆらゆらしていい言語なのです。
とまぁ、毒にも薬にもならないような話をしてしまいましたが、強い言葉を使っている自分の方が、じつは弱い存在になっているのかもしれませんね。
ぼくも気をつけようっと。

四十九日。

2018.9.9

本日、9月9日は父の四十九日です。
昨日は法事でした。
途中、パラパラと小雨が降りましたが、概ね晴れてくれました。
法要のお経でお坊さんが、父の戒名の読み方を変えていたのが妙におかしかったり。
 
タバコとお酒が好きな人でした。
よく怒る人でした。
説教を頻繁にし、怒鳴る人でした。
女遊びも、ギャンブルもしない人でした。
夕飯時には必ず帰ってくる人でした。
刺身が好きな人でした。
晩酌が好きな人でした。
 
不思議なものですが、人と死に別れるということが当たり前のこととして感じるようになるのですね。
学生の頃に亡くなった友人のことを考えたり、歴史上の先達のことを考えたりしていると、いつの間にか、彼らと話すようになります。
この経験が、生きているのかもしれませんね。

つかれるむずかしさ。

2018.9.1

最近、「ビジネスの健康」の話ばかりになってきていて、窮屈な感じがします。
ひらがなで「きゅうくつ」でいいのにねー。
「体の健康」はインスタグラムに載せている野菜づくりで十分になっちゃったし(記録も兼ねてるし)、「心の健康」はぼくがちょっといま疲れちゃっているというのもあって、あまり思い浮かばない話題なんですよね。
なんで疲れちゃっているのかというと、ぼくの見立てだと「ひとりでいる時間が少ない」ことだと思うんです。
物理的にひとりでいても、誰かしらのことを考えているんですよね。
家人のこと、仲間のこと、依頼人のこと、関係者のこと、うんぬん。
もちろん、依頼人の顧客のこともです。
だからね、ひとひとひと、って感じなんです。
どうでもいいっちゃ、どうでもいいけれど、そうでもない。
人間ってむずかしい生き物だとつくづく思います。
って、まじめな話ですわー。