Archive for 2014.3

家にいないで考える

2014.3.31

喫茶店には色々な種類があると思います。日吉で行く所も決まっていますし、その他の地域で行く所も、大体似通ってきます。そして、行かないところや、入ってもすぐに出てきてしまうところも似ています。
 
本当は家が落ち着けば、それにこしたことはないのでしょうが、家で仕事のことを考えるというのは、なかなか難しいものです。家庭の臭いがしますし、何よりも、家事に目が向いてしまうのです。学生時代に、試験勉強をしようと思ったら、部屋の掃除をしてしまっていたのと同じかもしれません。

花粉症が続いています。

2014.3.30

花粉症のことを「アレルギー」と考えると、とても恐ろしいもののように思えます。薬が効かずにいると、鼻だけでなく、リンパや体全体の調子が悪くなり、意識さえ遠のいていくかのようです。
 
昨日、外の席でご飯を食べていたら、どんどん調子が悪くなり、全ての記憶が重い石のような気がしてきます。自戒、他戒が必要だと、思いました。

過去の自分の答え

2014.3.29

こうやって毎日、日記を書いていると、過去に書いたものを見ることがある。「あの頃はどうだっただろうか?」と覗いてみると、過去の自分の言葉によって、今の答えを得たりするのだから、あながち馬鹿にできない。

僕が年功序列をあまり有り難わないのは、こういったことが起きるからだ。答えの選択肢は年齢とともに増えるが、整合性のある答えを選択できているかといえば、存外そうでなかったりするものだ。

2014.3.28

読んでいる本を牛丼屋に忘れ、数時間後取りに戻ったら、裏表紙に汁が付着して乾いた状態になっていた。
 
一瞬、「?」と思ったが、怒りというものではなく、違和感だった。
 
「本」ということにおいて重要なのは、「書かれている内容」である。臭いは邪魔をするが、異臭がしなければ読むことに問題はない。
 
本当に、どうでも良いことは気にしなくなったなぁ。

2014.3.27

「信じる」ということについて、よく質問される。
 
「争いはなくなると信じているか」、「○○は実現できると信じているのか」など。実際にそうだ。僕は信じているし、そのように言動を選んでいる。しかし、疑問を投げ掛ける人達が考えるリスクや不可能性もわかる。
 
なので、最近ではこう考えるようになっている——「やりたいのか、やりたくないのか」。
 
リスクを考えていても、実際問題として、やりたいから、作りたいから、できると信じているのだ。
 
これが、何よりも強い、内発的動機付けだ。