Archive for 2020.1

サンポノめいしの仕組み。

2020.1.31

「サンポノめいし」をリリースして、話がいろいろやってきます。
これについて詳細に説明していくのも野暮なので、「どうしてここまで費用を下げられたのか」について話していきます。
 
最大の理由が、「依頼ではなく、注文にした」ところです。
基本的にぼくらの仕事は医者の仕事と同じように、患者であるクライアントの話を聞いて、課題を見つけて、処置をしていきます。
現状の課題をクリアする治療的なデザインもあれば、未来の課題リスクを減らすための予防診療的なデザインもあります。
どちらにせよ、クライアントの相談に乗りながら、解決に向かっていくのです。
この課題解決のプロセスによって、クライアント毎の個別の解決方法となり、費用が高くなっていきます。
それは、クライアントが法人であっても、個人であっても同じです。
これを変えたのです。
 
優れたデザインというのは、どんなデザインであっても、一定の基準値以上のクオリティが備わっています。
万年筆であっても、テニスラケットであっても、車であっても、椅子であってもです。
それ故に、ユニークなオリジナリティを求めた「これがいい」と言われる商品群と、基準値レベルが高い「これでいい」と言われる商品群があります。
例えば、万年筆であれば、前者は「モンブラン」さんで、後者は「パイロット」さんかもしれません(ちなみにぼくはパイロットさんのキャップレス万年筆を愛用しています)。
車であれば、「レクサス」さんと「トヨタ」さんでも分けることができます。
さらに、それぞれのブランドの中でも、ハイレベルを求めた商品と、スタンダードを高めた商品があります。
そして、基準値レベルの高い「これでいい」の代表例は、「ユニクロ」さんや「無印良品」さんです。
彼らの商品はユニークさを削ぎ落とした結果、ファッションや生活の基準値を底上げするブランドになりました。
 
ユニクロさんや無印良品さん以降の、一般人の服装や生活意識のレベルは高いと言えます。
それは、昔のアイドルと一般人の服装や髪型を見れば、違いは一目瞭然でしょう。
これが、今ではその違いを顕著に言い表すことが難しくなってきています。
つまり、一般人の基準値が高くなっているのです。
もちろん、今も昔も、極みに達している人たちを比べたら、段違いだというのはわかります。
けれども、差が縮まっているのは、一般人の服装や生活レベルが高くなっているからです。
 
話を戻すと、極みを目指すデザインではなく、ユニクロでスウェットパーカーを選ぶように、決まったデザインの中から名刺を選ぶ方法にすれば、費用が下げられるのです。
そして、この方法で売っていくためには、名刺の完成品が基準値以上のレベルであることです。
これが、町の名刺屋さんや印刷屋さんとは違うところです。
印刷屋で名刺を作ろうとすると、機械的に情報を流し込むだけになります。
すると、それぞれの文字の形にあった、文字間隔の調整がされません。
また、目立たせるところは、徒らに目立たせようとして、大味になります。
さらに、紙質も安価なものを使用します。
この三点から、どうしても基準値が下がった名刺になってしまうのです。
 
つまり、選択式であることと紙質を優れたものにするところまでは決めておいて、文字情報の流し込みはデザイナーの手作業で仕上げていくことにすれば、費用を下げながら基準値レベルを高くすることができるのです。
そのため、価格としては町の名刺屋さんよりも高いと思いますが、それはもうお客さんの金銭感覚に委ねるしかありません。
「ここまでなら商品として提供することができる」と判断できた、最小金額を設定しています。
その上で、「お前が優れたデザイナーかどうかなんてわからんだろうが」と言う人がいたら、それはもう「お客さんにならないで下さい」と言うしかありません。
どんな人を救って、どんな人をハッピーにしたいか、というのは事業をする上で決めていますから。
「サンポノめいし」は、商品の価値がわかる人(わかろうとする人)をお客さんとしています。
そういう人を、ぼくは助けたい。

開業副業支援名刺制作サービス「サンポノめいし」はじめました。

2020.1.30

1月29日は、サンポノから新しいサービスがリリースされました。
その名も「サンポノめいし」。
内容をさらっと言っちゃうと、副業や個人で事業をしている方を対象とした名刺制作サービスです。
本当、これだけです。
 
このサービスをはじめた理由は、普段、ぼくらの仕事は法人企業だったり、ちゃんと稼げている個人事業主だったりします。
副業でも開業でもスタートしたての個人の方は、ぼくらに報酬を支払えるだけの稼ぎはないのが常です。
すると、どうなるのか。
知り合いのデザイナーに頼んで、安くやってもらうか無料でやってもらうのです。
 
ぼくも以前、友人だった人がお店を開業する際に、広告ツールを依頼をされたことがあるのですが、いざ金額の話になった際に「友達と楽しいことをしたかったんだよね」と言って、結局依頼はなくなりました。
このブログの読者なら分かると思いますが、その人がやったことは、ていのいい無賃労働や踏み倒しですからね。
この人は、他の人にも色々依頼していたみたいで、それぞれとトラブルを発生させていたようです。
依頼をする以上は「知らなかった」じゃ、済まないことです。
 
一方で、間違った装いで事業をすれば、事業失敗の確率は上がります。
それは名刺ひとつからはじまります。
ぼくは仕事を失う三要素に「不潔・不健康・不満」を挙げていますが、そのひとつ「不潔」の印象を持たれるのが装いです。
髪の毛がぼさぼさ、爪が伸びっぱなし、ボロボロのジーンズに、汚れた靴の人と、これとは真逆の清潔感のある人がいたら、どちらに仕事を依頼しようと思うかは明白です。
モラハラという言葉が生まれましたが、たとえ口に出さずとも、不潔に思われることは、その人の人格や仕事のクオリティを心配されます。
同じように、自分の好みを周囲にひけらかすような、けばけばしい格好も、安心して仕事を渡せません。
これらは見た目からその人の内面を判断されているのです。
そして、これがデザインに力を入れた方がいい理由なのです。
 
世の中の大企業がデザイナーを大切にする理由は、自分たちの仕事を適切に伝えてくれるのがデザインだと理解しているからです。
身の丈に合わない装いをさせるのでもなく、安っぽい装いをさせるのでもなく、自分たちの思想や哲学と商品を、適切な形で伝えてくれるのがデザインです。
そして、デザインが自分たちの事業の利益を向上させる手助けをしてくれることを、彼らは高いお金を支払ってデザイナーから学び、デザイナーを必要としてくれているのです。
 
けれども、まだ世の中は、身の丈に合わない装いや安っぽい装いのためのデザインをしがちです。
そのために、適切なデザインをすることが、差別化につながるのです。
 
特に、実績がわからないような開業したての頃であればなおさらです。
法人であれば、投資額や融資額は上げられるでしょうが、個人であれば難しいでしょう。
なるべくなら、開業資金は抑えたいのが、大方の願いじゃないでしょうか。
そうであれば、知り合いのデザイナーを騙すような依頼をするのではなく、堂々と注文できた方がいい。
その方が、彼らが事業を続ける上でも、胸を張っていられるのではないでしょうか。
 
業界の仲間が苦しむのも見たくないですし、頑張っている人を応援したいのも、ぼくの本音です。
こういう理由から、「サンポノめいし」をはじめました。
この名刺がちょっとでもお役立てできたら幸いです。
詳しくはこちらからご覧ください。
 
——————————————————————
開業副業支援名刺制作サービス「サンポノ名刺」
選んで作る、うれしい名刺。
商品ページはこちら。
——————————————————————
  

質問力について。パート3。

2020.1.29

昨日のブログで書いたこと。
 
「つまらない質問をするぐらいなら、沈黙に耐えられるようになった方がいい。」
 
ぼくは沈黙がわりかし平気な方です。
そして、用件がなければ、帰りたい人です。
この二つがあると、無駄に人を傷つける会話をしないで済みます。
 
年齢を重ねて気をつけなければならないのが、無駄な説教です。
他人は何かを言いたくて堪らないものだとは以前も書いたけれど、年を重ねれば重ねるほど、つまらない小言は増えるもの。
今のぼくもそうかもしれませんが、違いは、このブログを読みにくる人は、望んできているということです。
そうではなく、たまたま居合わせた現場で、年上の人が年下の人に向かって、つまらない小言を言い続けているケースがあるでしょう。
それが、本当に嫌なのです。
ぼく自身、大人が当たり前としてきたことに対して疑って生きてきたので、そういう気質の人って、年上の人は何かを言いたくなるものですよね。
けれど、直接関係のないことであれば、敢えて言う必要があるかどうかを判断するのも、分別のある大人の対応です。
「言わない」という選択肢も、ちゃんとあるんです。
 
もうひとつ、沈黙に耐えられないでする会話で人を傷つけるのは、つまらない質問です。
これについては、昨日、一昨日と書いたので省略しますが、つまらない質問の大半は「それをあなたが知って、どうなる?」というものです。
 
たとえば、「法人化をいつするのか?」という質問。
ごく稀に質問されますが、そんなことを知って、どうするつもりなのでしょうか。
残念ながら、どうするつもりもないのでしょう。
だから、法人化についてのぼくの考えを話しても、その後、質問が続かないのです。
何度も考えて、その上で経営者は行動を選んでいます。
それはぼくも同じです。
専門家たちに法人化について話を聞いて、法人というものがどんなものか、どんな性質があるのか、どんな仕組みなのか、歴史的にどんなはじまりだったのかなどを調べた上で、ぼくは今、法人化をしないことを選んでいます。
これを考えたこともないような人たちが、沈黙に耐えられないで、自分の興味を満足させるためだけに質問を投げつけてくるのです。
質問を投げつけられたぼくは多大な時間と労力を奪われ、感情も逆撫されるのです。
 
行政関係の仕事であれば、慣習的に法人企業でないと受けられないようですが、そうだとしても間に別の企業を挟んで、そこから業務委託をすればいいこと。
地方創生関係であれば、地域に密着して動いてくれる企業がいた方が、外から支援をするぼくらも助かります。
そういう依頼をしたいがために、「法人化をいつするのか」を質問しているのだったら、ぼくは別に気分を害しません。
けれど、こういう理由なら、不躾に質問するのではなくて、質問の意図を説明しますからね。
やっぱりね、下手な質問をする人というのは、沈黙に耐えられない臆病さがあるんです。
下手な質問をすればするほど、質問者の評価は下がり続けます。
沈黙で得られることは、けっこう多いのにね。

質問力について。パート2。

2020.1.28

会話をする上で、「しないように気をつけていること」がある。
そのひとつに「会話のための会話はしない」がある。
昨日も書いたが、会話のための会話をすると、たいていはロクな結果にならない。
相手の業績を聞くように、自分が満足するための質問しかしなくなるのだ。
 
質問というのは、自分の疑問に相手が答えてくれるものだが、勘違いしてはならないのが、答える権利は相手にあること。
質問をされた方は、どういう答え方をしてもよく、さらに、質問に答えるか、答えないかを判断するのは質問された方がするものだ。
もちろん、質問者の気分を害する答え方をしたり、答えないことで気分を悪くしたのなら、その責任の一端は答えた方にある。
 
だが、世の中、特に日本では、質問者の回答に答えなければならないと思い込んでいる人が多くいるように思える。
もう一度言うが、「答える義務」など、実は存在しないのだ。
たとえ、法定の場であったとしても、答えたくないのなら答えなくても構わない自由が、質問された方にはある。
答えなかったことで有罪になるかもしれないが、その責任を引き受けた上で、回答する・しないの自由を得ることになる(先ほどとは逆に、答えることで有罪になるかもしれないが、ここでの話題とは別の話だ)。
 
なぜこんな話をするかと言うと、質問をすることで相手から奪うものを考えていない人が多いからだ。
これも何度も話しているが、どんな人間の行いにも「感情」「時間」「お金」「労力」のコストがかかっている。
そして、質問した方は自分の疑問を解決して、自分が気持ちよくなるために、誰かに質問をする。
質問をするとき、質問者が支払うコストは「労力」「時間」、場合によっては「お金」だ。
これに対して得られるメリットは解決による満足感の「感情」と、調べ続けることで発生する「時間」と「労力」のコスト減少だ。
 
一方で、質問された方が、質問に回答することで発生するコストは「時間」と「労力」であり、答えている間に稼ぎができない分の「お金」、さらに面倒臭いことに無理やり答えなきゃならないのなら「感情」になる。
これに引き換え、回答によって手に入れられるメリットは、なにもない。
場合によっては、優越感という「感情」や、報酬という「お金」だ。
つまり、質問というのは、回答する方のコストが圧倒的に大きく、回答者のためにあるものではなく、質問者のためにある。
これに気づかずに質問をしていると、下手な質問を繰り返すことになり、つまらない会話を繰り返すことになる。
そして、つまらない質問者は誰からも相手にされなくなる(お金を払えば別だろうが)。
 
回答者において、はじめから高圧的な人は別として、質問者の質問の仕方やタイミング、回答後の反応が悪くて、その後の対応が悪くなるということは多いと思う。
ぼく自身、質問をされて答えたのに、その後何の反応もなかったり、何も聞き入れていない様子であるのに、また同じ人から質問されたら、わざわざ時間を割いてまで対応しなくてもいいだろうと思うことだってある。
そして、人を育てていてわかったことだが、こういった躾のようなことを教えると「厳しい」と捉える人の方が、いつまで経っても改善しない。
「気をつけよう」とする人の方が、配慮のある振る舞いができるようになっていく。
 
質問は会話をはじめるきっかけであるが、その分、使い方を間違うと、自分の首を締める。
コミュニケーションが会話によって成り立っている部分が多いのだから、質問力はとても大事だ。
つまらない質問をするぐらいなら、沈黙に耐えられるようになった方がいい。

質問力について。

2020.1.27

家族や友人から、仕事の業績を質問されるとき、ぼくは決まって「ぼちぼちです」と答えるようにしている。
これは経験上、何を言ってもいい回答にならないし、いい会話にならないことをわかっているからだ。
 
仮に右肩上がりで上手くいっていることを言うとしよう(実際にそうだったとしてもいいし、見栄をはってでもいい)。
そうしたら、相手はこちらの回答を自慢と捉え、自分のすごいところを言って張り合ってきたり、あら捜しをはじめるか、いたずらに持ち上げたり、へりくだって何かを得ようとしはじめる。
 
反対に、うまくいっていないような回答をするとしよう(これも実際にそうだったとしてもいいし、謙遜してでもいい)。
そうしたら、相手は優越感に浸るか、役に立たない人生訓を語り出すかのどちらかだ。
とにかく、他人というのは、何かを言いたくて堪らないのだ。
 
そして、多くの人たちとは違う生き方をしている人や、思想を持って事業をしている会社が失敗すれば、「ほら見たことか」と言いたくなるのが日本人だ。
他人にへりくだって、迎合して、好きでもないことを嫌々やるのが仕事だと思っている日本人からしたら、ぼくのようなタイプは、うまくいくとつまらないタイプでもある。
控え目に言っても、流石に37年も生きてみると、痛いほどそういうものだとわかる。
 
だから、最初の質問では、どちらでもない回答をして、相手の好き勝手に想像させておくのが一番望ましい回答だということを学んだのだった。
これはぼくの処世術のひとつとも言っていいし、ぼくよりも年上の人は、どうでもいい人生訓を語るよりも、こういうどうでもいいことをやり過ごす術をもっと教えて欲しかった。
 
そもそも、業績を聞いてくる人は、ぼくの思想や仕事への姿勢などどうでもよく、ただ、会話のための会話をしたいだけなのだ。
仕事を依頼しようとしている人だったら、相手の業績など聞かずとも、仕事を依頼してくる。
その違いも、完全にあるのだ。
依頼というのは一種の覚悟も必要だから、どうでもいいことを質問している余裕なんてないんだろう。
依頼をしてくる人の質問と、依頼をしてこない人の質問の力強さの差ってあるんだ。
依頼をしてくる人は、ぼくの思想や仕事への姿勢を聞きたがる。
覚悟を持って事業をやっている人ほど、上手くいく、失敗するのは運の要素も絡んでいることがわかっているから、上手くいっている(いっていない)のはたまたまなのか、それとも自業自得と言えるものなのか、見極めようとする質問をしてくる。
人として信用できる人間なのか、を見られているような。
もしくは、自分と生きる上での哲学が重なるのかどうか、というようなことを見られている。
だから、放っておく質問と、真摯に答える質問って、やっぱりあるんだよね。