Archive for the ‘体の健康’ Category

近所の中華料理店。

2020.1.25

今週から行き始めた近所の中華料理屋さんがあるのですが、ここが美味しいんです。
中華料理にしてはあっさり目で、家庭的な味とお店の味の中間にあるような、ほっとしつつお店で食べている満足感が味わえます。
今週は2回行っちゃいました。
 
突出したいいところがあるわけではないのですが、ホールを任されている娘さんのホスピタリティや、味の落ち着き方、禁煙による匂いのなさ、それに明るさがいいんでしょう。
食べていると、「あぁ、こういう仕事いいよなぁ」と、職種は違えど、目指すあり方のひとつだと思わせてくれるのです。
 
おしゃれカフェのようにいきった感じもなく、老舗料亭のような背筋の伸び方もなく、かといって、薄汚さもないのです。
差別化とか、特長を伸ばすとかよりも以前に、基本的にいいよなぁ、と言えるお店です。
だから、わざわざ電車に乗って行くようなところでもないのですが、家族で行くにはすこぶるいいお店です。
 
もっと言っちゃいますが、営業時間は11時〜14時と15〜17時まで。しかも餃子は15時からじゃないと注文できない。
ん? 15時から17時って、早めの夕飯なのか、遅めのお昼なのか、そこで餃子つきで食べるの?
っていう具合に、ぼくはまだ餃子が食べれていないのです。
絶対に、美味しいだろうに。
 
こういうお店にもデザイナーが必要?
バカ言っちゃいけませんよ。
それこそ、野暮ってもんでしょう。
もう十分、デザインは果たされていますよ。
町だけでいいのか、外からもお客が必要なのか。
全然違いますからね。

歯列矯正からの学び。

2020.1.9

お付き合いのある人たちは知っているけれど、ぼくは今、歯列矯正をしている。
36歳の頃から初めて、ちょうど一年が経った。
ぼくが矯正治療を始めた理由は特殊らしく、これは専門家選びにも役立つ気がするので、今日はその話をしようと思う。
 
早速だが、ぼくが矯正治療を始めた理由は、口の中に疲労感を感じるようになったからだ。
年々、その疲労感は増してきて、インターネットで調べていくうちに歯列矯正に行き着いた。
「口の中に疲労感」と聞いてピンとこない方は、肩が凝ったときに感じるような疲労を、口の中でも感じていると思っていただければいい。
 
歯列矯正に行き着いたその後は、通える範囲での矯正歯科を調べ、ある程度目星をつけてから何ヶ所かカウンセリングに行ってみた。
すると、ぼくの症状を聞いた医師たちは、口を揃えるかのように「初めて聞いた」と言っていた。
実際、ぼくは左上の歯が一本少なく珍しいケースだった。
中学時代に地元の埼玉から電車を乗り継いで、お茶の水の大学病院にまで通って、生えてこない永久歯を抜くという経験をしていた。
大人になってから知ったのだが、永久歯が生えてこなかった人はそのまま放ってく人の方が多かった。
だから、こんな経験しているぼくは、けっこうなユニークケースだったのだ。
 
けれど、大事なのは、ぼくの口の中を見て、症状を聞いた歯科医師たちの対応だ。
ある医師は、初めて聞いた症状にも関わらず、一般的な方法を述べるだけだった。
一方で、「初めて聞いた症状=ユニークケース」と判断し、AプランとBプランを話してくれる医師がいた。
もうおわかりだと思うが、ぼくは後者の医師に依頼をした。
 
処置を含めて、すべての物事はうまくいかないことがある。
それがユニークケースなら尚更だ。
だからこそ、ぼくら専門家はどんなときも、いくつかのプランを想定している。
さらに、もしかしたら想定したプランはすべて失敗するかもしれない。
それでも、別の対応策を考えつくかどうかが、良き専門家とそうではない専門家との分かれ道だ。
もちろん、その中には「諦める」という選択肢もあるだろう。
 
ぼくらのデザインという仕事にも言えることだが、たとえばホームページ制作において、他の案件で制作したレイアウトを、そのまま持ってきて、絵柄やテキストを差し替えて完成ということは本来ありえない。
しかし、こういうテンプレート商売をしている事務所は存在しているし、けっこう多い。
本来ならば、似たようなケースはあるかもしれないが、ケース毎に行うべき処置は異なる。
そういう意味では、すべてのケースがユニークケースだと言った方が適切であり、その都度対策を考えて、やってみて、それでまた対策を考えて、やってみてを繰り返すことで、経験値と言われる暗黙知が積み重なっていく。
 
話を戻すと、歯列矯正を始めてから一年が経ったが、経験者たちが語るようなひどい痛みというのは経験していないのに、歯並びは改善されてきている。
毎回、どんな処置をして、今後、どういう処置をしていくか、ちゃんと説明をしてくれる頼もしい人たちだ。
 
このように、ぼくが依頼する人を選ぶとき、ぼくの問いに対して真摯に答えてくれることは、ひとつの目安になっている。
 
ちなみに、費用でいえば、そこは一番高かった。
毎回調整料金は払うし、基本料金も他と比べて高い方だ。
けれど、ぼくは満足している。
本当の意味での費用対効果というのは、安く買おうとするのではなく、提示された価格に対してちゃんと支払い、意味のある成果をもたらしてくれることだ。
そういう意味で、ぼくはお客だが、関係性は対等なのだ。
説明してくれた内容を信じて、任せている。
だって、ぼくは処置できないんだから。
これが大事。

苦手を通り越して。

2019.12.3

この季節になると毎年書いている気もしますが、ぼくは寒いのが嫌いです。
苦手を通り越して、嫌いなのです。
寒さで手足の指がかじかむことも、肌が敏感になることも、筋肉が固まって痛めやすくなることも、体が震えることも、喉を痛めやすくなるのも、すべて嫌いです。
大学の頃、雪国の無人駅のプレハブ小屋で一夜を過ごしたときの、寒さで眠りにつくことができなかったこと。
雪道を10km以上も歩いたこと。
本当に、すべてが寒かった。
その後、歳を重ね、筋肉を痛めやすくなってからというものの、さらに寒さが嫌いになりました。
だから、寒い地域に住むことは、ぼくにはできません。
 
こういう話をすると、対策をすれば寒さも平気と言う人がいますが、それは寒さが平気な人なのです。
暑いや寒いというのは、ほとんどの人が感じる感覚です。
それを得意とするか、苦手とするかは人それぞれです。
さらに、好きか嫌いかも、それぞれです。
苦手だけど、まぁ、平気という人。
そういう人が、対策をすれば平気という人です。
けれど、ぼくは「嫌い」なのです。
寒さに加えて雨も降って、雪も降って、日光が射さない日なんて、ぼくにとって最悪です。
この世の終わりかよ。
ジーザス、オーマイガッ!
 
季節性のうつ病があると言われているけれど、いっそのこと抗うつ剤が欲しいほどです。
調べてみると、これになると食欲が増進されるらしく、「食欲の秋」ってまさにそれじゃん、とさえ思ってしまいます。
正月にぶくぶく太るのも、もしかしたらそれかもしれない(いや違うか)。
とりあえず、季節性のうつに効くらしい、ビタミンDを摂取すべく、昼飯から鍋にして鮭やらきのこやら、全部食っちまうぜ。
さらに、ベイクドポテトも作って、脳味噌を快楽に導いてやるぜ。
焼きリンゴも作って、ジャム入りヨーグルトに、熱いお茶を飲みながらアイスも食っちまうぜ。

知っていること、知らないこと。

2019.11.27

気づいたことがあります。
ぼくは、料理が好きなんだ。
焼肉も好きだけど、ステーキも好き。
ステーキも好きだけど、ハンバーグも好き。
だけど、感動レベルでいうと、ハンバーグが一番記憶に残っています。
同じ店で、メニューの中から選ぶ時、ステーキを選んだり、焼肉を選んだりして、もしかしたらハンバーグを選んだときは少ないかもしれないけれど、ぼくは最期の晩餐で選ぶとしたら、あの店のハンバーグと言うかもしれない。
そんな店は、ハンバーグだけです。

これは肉だけでなく、魚も同じです。
刺身も、寿司も、煮魚も、天ぷらも好きだけど、あぁ、あそこの煮魚や天ぷらが記憶に残っている。
絶対に、寿司や刺身の方が高級な価格のものを食べているのに、記憶の軍配は、調理されている方に上がります。

その代わりと言ったらなんですが、不味いものを食べた時の不機嫌さは、自他共に認めるものがあります。
食材への侮辱と、人間の欲望の最たる行為である料理を不味く作るなどというのは、それまでの人類の歴史を冒涜している気になるとか(ならないとか)。
単に不味いものを食べることが不快なだけかもしれないですが。
不味いものを食べた場合、次の自炊のタイミングで同じ料理を作って、おいしく食べるという癖まで持ち合わせています。
悪趣味と言われても仕方がないけれど、気づいたらそうしていた、いわば性癖のようなものです。
 
だから、料理をすることが好きというよりかは、調理されたものが好きなんでしょうね。
今は人の手の通った料理の方が好きですし、そういう味が好きです。
旨味も大事だけれど、食べた後に疲れない味の方が記憶に残ります。
抽出されて凝縮された旨味成分だと、疲れちゃうんでしょう。
本当に、自然と調理済み弁当やファストフードを食べる頻度は減りました。
これらがうまいってことは知っているんですけどね。
あ、マックシェイクは夏に食べちゃいますねー。
アイスはコンビニでもおいしいですよねー。
自分で作らないから、作られた味しか知らないってことなんでしょう。
知っているから求めてしまう。
知らないからこれで満足する。
デカビタCやネクター、チチヤスソーダやレモンスカッシュもそうだな〜。
全部、清涼飲料水やんけ。

肉の底力。

2019.11.25

消化の日でした。
そんな日が暦にあるのかは知りませんが、ぼくにとっての日曜日は、消化の日でした。
土曜の夜に、とってもおいしい焼肉をご馳走になって、調子に乗って、普段食べない量をパクパク食べたんですよね。
そんで朝起きたら、体中がだるいのなんのって。
肩は痛いし、お腹は張ってるし。
もちろん、焼肉には責任はないです。
朝起きても、体が重くて起き上がれず、しばらくの間、布団の中でごろごろしていました。
暫くすると、お腹が空いてくるのですが、下腹部に空きがないんです。
なので、朝ごはんは妻が淹れてくれたハーブティーだけです。
その後、色々やってから、お昼に蕎麦を食べたら、ちょっと気持ち悪くなってしまって、午後は読書と昼寝と英語の宿題を少し進めるだけでした。
 
こうやって考えていると、改めて「肉」の底力って、すげぇなと。
体というのは人ぞれぞれですが、ぼくの許容量を超えた肉を食べてしまったんでしょう。
この底力の塊を、ぼくの体が消化し、吸収するのには、丸一日必要だったわけです。
寿司や刺身を食べてもこんなことにはならないだろうし、鍋を食べてもならなかったでしょう。
やっぱり、肉ならではの出来事なんです。
一枚一枚の力は小さくても、数を重ねていって、腹の中で塊となった肉の底力。
ぼくの体と肉弾戦を繰り広げていたことでしょう。
胃や腸だけでなく、筋肉組織や関節に至るまで、数々の器官を総動員して消耗して、ようやく、肉の塊はぼくの体になったのです。
 
いや〜、昔の人たちもこうやって肉を喰ってたのかなぁ、としみじみしちゃいました。