Archive for 2018.7

父の話。

2018.7.31

父が亡くなって三日が経ち、改めて、すごいなと思いました。
先週の木曜日に、結婚予定の恋人を入院している父に紹介して、翌日の金曜日に父は亡くなりました。
土日に通夜と告別式をして、今日は普通に仕事。
仕事人間だった父らしい最期でした。
 
父とのいい思い出を考えてみたけれど、幼少期の足の裏にのっけてもらった飛行機遊びと、このことが思い浮かびます。
その間のことはいい悪いよりも、お酒とタバコと怒る姿しか思い浮かびません。
それから、朝早くにシャワーを浴びて、10km近くもママチャリで職場に通う姿です。
仕事が終わったらそのまま家に帰ってきて、酒とタバコ。
「そういうこと」なんでしょう。
 
考えるうちにいろいろな要素を挙げてきて、論理的に「いい思い出」にするよりも、「そういうヒトだった」と思っている方が嘘がないです。
父や母、祖母のおかげで、ぼくは放蕩息子でいられたわけですしね。
この仕事をしていると、脇道に逸れた回数の多さが役に立っていますし。
誰が欠けても、人生は変わっていたということですね。
 

仕事を奪われる組織。

2018.7.30

色んなマネージメントがあるでしょう。
色んな会社運営やチームづくりがあるでしょう。
最近ではコミュニティの作り方とかね。
 
この流れだと、悪いことを言うと思うでしょう。
その通りです。
 
ヒトが集まったときのうまいやり方なんて、中心となるヒトのやり方に合うか、合わないかです。
色んな組織を見てきましたが、縦型の組織でも、横型の組織でも、円錐型でも、球体型でも同じです。
頂点や中心にいるヒトに合うか、合わないかです。
 
仮にそのヒトが対話を重んじているとしましょう。
でもね、そのヒトの話し方が気にくわない、なんてこともあるのです。
そんなヒトのことをなんの偏りもなく評価できると、評価するヒトはみんな思いたがるのです。
分け隔てなく評価できる仕組みを作っていたり、作るように改善したりと、思いたいのです。
でもね、そう思っているのは、「評価しているヒトたちだけ」なんです。
だって、「仕事ができているヒトたち」の理想像があるでしょう。
仕事を怠けるのも仕事だと思わないでしょう。
怠けるのも仕事だと思っていても、思わなくても、評価するヒトたちと、評価されているヒトたちが思っていることが合っているかどうかは分からないのです。
 
つまり、色んな企業のやり方が参考にされているけれど、結局は「合うか合わないか」です。
これがわかると、「学生時代だったら友達にならないけれど、仕事においては尊敬する」よりも、「友達と仕事をした方がいいかもな」とも思うわけです。
本当に偏りもなくヒトを評価できるのなら、機械的にならざるをえません。
機械的になるのなら、機械の方がヒトよりも優れています。
耳触りのいい組織の話を聞くと、AIが人間の仕事を奪うのではなく、AIに仕事を奪われるような組織にしていると思うんですよね。

専門店のつよみ。

2018.7.29

この年齢(36歳)になって「何も知らんな」ということを、普通のこととして受け止められるようになっています。
何も知らないということからはじまって、専門家に話を伺うことが、当たり前のこととしてできるようになっています。
 
検索で調べた後に、専門家のヒトに話を聞きにいく。
自分も若輩者ながら専門家だから、別の専門家に話を聞くときの聞き方は気をつけているかもしれません。
もっと若いときの方が、思い込みが激しかったり、間違いを正せなかったりしたかもしれません。
 
何かを購入するにしても、お店にいる販売員という専門家に話を聞いて、選んで、購入する。
自分の要望だけでは選ばなくなっています。
要望を伝えるだけではなくなっています。
 
ということは、専門店ってなくならないかもしれません。
「何かに長けている」というのは、けっこうな強みですよね。
「何でもかんでも強いです」は、ありえないってことかもしれません。
 
ある程度は広くある必要があるでしょう。
広さはある程度、そして、ある一点がとても長けている。
そういうお店やヒトって、とても強いなぁ、と思いました。
 
そうそう、「年をとったら頑固になる」ってこともありますね。
強い一点に関しては、頑固になるってことか。
「ここだけは、譲れないよ」っていう気持ち。
若作りはしていないのに、老けない、そんな年の重ね方と近いかもしれないなぁ。

50代後半以上の凄さ。

2018.7.28

いや、ほんとに(何が?)、先人ってすごいなぁと思います。
タイミングとか、粘り方とか、もうね、僕なんて赤子同然のもんですよ。
 
見えるようになるのか、わかるようになるのか、引き合わせるのかはわかりませんが、常人とは違いますよね。
僕も色々わかるようになって来ていると思います(それが仕事になっていますからね)が、非じゃないんだよなぁって。
 
50代後半以上の先輩方の見え方って、40代までのそれとは、何か大きさな差があるような気がしています。
今の時代だと、数字で評価しにくい分野にあたるから、まったく評価されていないと思うんですが、やっぱりね、退職間近や退職後の再雇用の方々が、カチッとハマる役割ってあるんですよ。
 
直接の仕事じゃなくても、本当に感服いたします。

イラつくのもヒトの仕事。

2018.7.27

虫の居所が悪いときは誰にでもあるでしょう。
こんな書き始めなのだから、いまのぼくはまさに虫の居所が悪い。
 
こういうことを書いていて改めて気づくけれど、現代ではイラついている感情を見せないのが美徳となっているでしょう。
美徳というよりも、タブーになっているような気がしています。
 
品行方正とまではいかないが、キラキラしていたり、豆腐のような白さを求められているようなね。
この結果が、インスタ疲れのようなものでしょう。
SNSでキラキラしている自分、理想の自分を見せることが、いつの間にか負担になっているような。
理想を言えばきりがないはずなのに、みんな理想郷にしかいないはずの人物になろうとしているでしょう。
自分がなろうとしているだけならまだいいが、他人も理想郷の人物になれないと許されなくなっているような流れになって。
現実に存在しないから理想郷なのにね。
 
ぼくはイラついているとき、少なからず漏れ出していると思います。
そんな状態のぼくに、イラつきを増長させるようなちょっかいを出されたら怒鳴りますし。
触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものです。
あ、火に油を注ぐとも言いますね。
 
なんで、慣用句として残っているのか。
ヒトの周りの道具は進化しているかもしれないけれど、ヒト自身は人類誕生から何ら能力は変わっていないんですよね。
イラつくのもヒトの仕事なんでしょうかねー。