Archive for 2008.4

21:52

2008.4.30

佐々木健一氏の『美学辞典』を読み終える。読み始めは「序」にもあったように、必要度の高いものから読んでいたが、読み進めて行くとなるほど後の項目は先の項目を引き継いでいたり、より深い理解を得ることが出来るように並べられていた。そして「あとがき」を読み終えて、この「辞典」の素晴らしさが、辞典としての機能的な部分だけではなく、佐々木氏の人柄や書くに至る真摯さからにも表されていたということを感じたのだった。それは、このような書物を読んだときに得る知識獲得ないしは充足による満足感というよりはむしろ、素晴らしい作品と出会えたときに感じる無限の創造性のようなものだった。

足が・・・

2008.4.29

小品の下地作りと資料を進める。本当は「ギフトⅡ」の方も進めたかったけれども、足の疲労感がとれなかったので断念。というのも昨日は資料探しと展示をみるために歩き続けてしまったためで。旅をしていたときは日にもっと歩いていたけれども物理的に旅をしていないと、どうしてもなまってしまうのか、はたまた心持の問題なのか。おそらく、両者だろう。
精神的な旅というのがあるが、苦しくも志向性がある限りでは時間やその他の日常生活における感覚から離れることができる。昨日の歩きは精神的な旅とはまた別ものだが旅のような感覚もあったため、結局長い時間を歩き続けることに至った訳だ(途中、異国情緒溢れるストリートを通ることになったり、外国の方々とすれ違うことが多かったのも理由の一つかもしれない)。快い疲労感とはほど遠いズッブリと浸かった疲労だったが、夜に友とのビールと定食は当然のように美味しかった。

創造か?

2008.4.24

相変わらず制作。

基本に立ち返ろうということで、基本となることやら昔のものやらを読む。すると過去の自分が良いなと思ったものが今ではつまらないものと思えてしまい、それは成長だろうか退化だろうか。ある側面から言うと成長の証だろうが、やはりそれは一方ではなくなったものがあるのだろう。
とはいえ、制作ではなく創造ができていたのではと思えることもあり、作品の速度は増すばかり。

「コトー先生」に連日泣いている。

最新号の『PHaT PHOTO』の飯沢耕太郎さんのコラムに名前を挙げてもらっています。今回は名前のみですが、期待して頂けてるということは嬉しいことです。

からっぽ

2008.4.22

「Photo/Graph シリーズ」の5作目もバーニッシュをあと一回かけるだけになり、個展の作品群も順調に完成しつつある。それとともに「ギフトⅡ」や「止揚」も少しずつ進めている。

昨年からの展示では先を見据えての展示が多く、空っぽになるということがなかった。そのため(それだけが原因ではないだろうが)、種々雑多なものが溜まりに溜まってしまい抑うつ的になってしまった。今度の個展では久しぶりに空っぽになれるだろうか。恐ろしくなれる気もしているが。

これとはあまり関係ないが、2年前に読んだ重松清 氏の『疾走』の「からからからっぽ」という言葉が私の中に残っている。どうしたら主人公の少年が救われるかを考えながら読んでいたが、やはりあぁなるしかそれはなかったのだろうか。いまでもわからないのだ。

PC

2008.4.18

連日、パソコンでの作業が続いているため更新もします。PCというのが一般的にはパソコンのことだが、この分野だとポリティカル・コレクトネス(政治的矯正)になってしまう。しかもそこから作ることも時代錯誤になりながらも未だニヒリズムの道具として使用されるか、もしくはそれらを知らないことを開き直ってのナルシズムに陥るか・・・それが現状だ。この分野はとても狭い。それを認めてようやく第一歩ではないだろうか。