ボツキャプション
2007.8.30
「10分後、首をかっ切ってるかもしんないし、1年後、メキシコの空ん中で漂ってるかもしんないし、そんなことは誰にもわからないことだ。ただ、俺が死ぬか生きるかは作品が教えてくれる。」
その内展示される作品のキャプションですが、字数オーバーでボツになりました。それ以前にもあって、それを短くしようと書き直したら、まだ長かった。結局、一言で終らすキャプションになりました。逆説的な意味合いが強い一言です。
今日は病院に行ってきました。持病の。朝4時に起床し、夕方5時に帰宅、さっきまで制作、今は四日ぶりの酒です。
病院では血を抜かれるために人々が列をなし、配給の逆バージョンで「なんだかなぁ」と思いつつも自分も並ぶしかなく、針を打たれても痛みを感じず、感覚が鈍っている最近の自分の甘さを再び痛感する。
最近は人に会い過ぎているため、自己の心身が鈍っている。それは制作にも影響していて、やはり良くはないのだろう。これを契機に「流されて描く」ということを学んでもいいかもしれない。
どちらにせよ、自分は一人で制作していくタイプなのだと再認識する。
「10分後、首をかっ切ってるかもしんないし、1年後、メキシコの空ん中で漂ってるかもしんないし、そんなことは誰にもわからないことだ。ただ、俺が死ぬか生きるかは作品が教えてくれる。」
その内展示される作品のキャプションですが、字数オーバーでボツになりました。それ以前にもあって、それを短くしようと書き直したら、まだ長かった。結局、一言で終らすキャプションになりました。逆説的な意味合いが強い一言です。
今日は病院に行ってきました。持病の。朝4時に起床し、夕方5時に帰宅、さっきまで制作、今は四日ぶりの酒です。
病院では血を抜かれるために人々が列をなし、配給の逆バージョンで「なんだかなぁ」と思いつつも自分も並ぶしかなく、針を打たれても痛みを感じず、感覚が鈍っている最近の自分の甘さを再び痛感する。
最近は人に会い過ぎているため、自己の心身が鈍っている。それは制作にも影響していて、やはり良くはないのだろう。これを契機に「流されて描く」ということを学んでもいいかもしれない。
どちらにせよ、自分は一人で制作していくタイプなのだと再認識する。