Archive for 2009.1

好み

2009.1.31

最近、酔っ払ってしまうとかなり断片的なことしか覚えていない。

普段、あまり自分のことを書いていないので少しばかり自分の好みのことを。

僕は知恵のある人が好きだ。正確には知恵を使える人だ。知識があっても、知能が平均値ほどだとしても、自分の得た知識などを知恵として運用できない人といても疲れてしまう。会話をしていてもその会話から成長しようともしていないし、どうせなら、僕もその会話で成長したいと願うにもかかわらず、それが出来ない人というのは、残念ながらいるし、多い。

おそらく僕は口数が少ない人だと思うが、そんな人といるときは、口元は和んでいないし、目も和らいでいないと思われる。しかし、知恵のある人と一緒にいて黙っていても、僕の表情は柔らかなものになっているだろう。
その空気感からも自分が膨らんでいくのがわかるからだ。

それは、知能が高い、低いということではなく、一般的な尺度において「低い」と枠組みされてしまった方々からも僕はかなり多くの事を教えを受けている。そして極めて「高い」とされている方々からも同様に多くを学ばさせて頂いている。そんな貴重な時間を使えるのに、毒にも薬にもならない時間を浪費したくはないのだろうと思う。
そして、昔、友人から言われたことに「生き急いでいる」という言葉があったが、そうかもしれないな、とも思っている。

そして外見(?)にも自分の好みというのがあるはずだ。友人曰く「可愛い人」らしいが、「麗人じゃないの?」と疑問を持つ。より詳細な部分としては・・・また後日ということで。

話は変わり、トップページのnews欄にもありますが、次回の僕の関わる展示は、countzeroという写真barでの個展です。おそらく「エグチマサル」という作家、写真家、藝術家に貼られたレッテルからはほど遠い作品だと思いますが、それらがいかにくだらなく、「作品は作品である」ということをいつも通りにしています。

御高覧、よろしくお願い申し上げます。

空(くう)を切る

2009.1.29

展示予定の作品が一段落したので、再び『最期の自然』、『drunker drunker』に取り掛かる。下絵があったにもかかわらず、一枚がなかなか進まなかった。描いては溶かし、描いては剥がし、しまいには支持体であるプリントが駄目になるんじゃないかというぐらい溶かし、剥がしを繰り返した。

「そこじゃない」、「俺の声を聴け」、「だからそこじゃないんだ」などと作品から言われていたが、ひたすら動いた。どれほどの空を切ったかわからないほどだったが、澄んだ動きになったのではないだろうか。

結局、「ここだろ」という気付き方をし、乾燥後、再び重ねるだろう。

晴れてくれないと展示予定作品が進まないんだよ。

瑠璃の気配と流れる汗

2009.1.28

夜明け過ぎに携帯電話が鳴っていた。鳴り終わると同時に起床し、着信履歴を見やると知らない方かただ自分が登録し忘れた方なのか、番号が出てきていた。誰だい?と思いながら、2ヶ月後だったら既に起床している時間になっているのにね、とも思いながら、布団の中でもぞもぞしていると汗をかいていることに気付く。たしか夢の中ではかなり大多数に対して暴れ、叫び、走っていた。夢の外でも汗をかいていた。

日の出の時間が遅くなると、その分、自分の起床時間が遅くなるのは体に正直に生きているのか、それとも、物臭への言い訳なのか。

DMもそろそろ完成なので、展覧会の告知もそろそろできそうです。

乞うご期待。

久しぶりのカクテルは、小春の香り。

2009.1.25

友人に教えてもらったT大の卒展に行く。かなり急ぎ足で観たので確実な印象ではないのかもしれないが、視覚能力について理解していないのか、それとも信じていないような作品ばかりであった。ここ十数年の流れをそのまま汲んでいるような作品しかなく、学部生の方がまだ強いものだったと思われる。

それは、僕が人から尋ねられる、「何故、ティルマンス風の展示をしないの?」、「何故、映像を撮らないの?」などの質問への回答と同様の事を思わされた。

その後、プリントをしながら自分の立ち位置を考えていたのだけれども、結局、全ての始まりは「光」なのだった。そして、「写真」、「Photograph」という媒体が僕に寄り添っていてくれることを感謝したくなった。

それは置いといて、2009年最初の展示が決まりました。詳細は後日報告します。

BAKUMAN。1

2009.1.10

朝から創作をしていると夕方あたりに頭痛と腰痛でどうにもなくなり、配達物が届くまでカメラを持っての散歩。

何気なく立ち寄り、何気なく前に立ったコンビニの単行本売り場に『バクマン。』(原作:大場つぐみ先生、漫画:小畑健先生)を見つけ、そのまま立ち読みをする。小畑健さんのマンガはおそらく『魔神冒険譚ランプ・ランプ』(今回調べるまで『魔神ランプ・ランプ』だと思っていた)から読んでいる。単行本の中に、『バクマン。』のネームが載せてあるのだけれども、大場つぐみさんのを見ていると、「これってあのマンガじゃ・・・」と思い、調べてみると、その噂はあるがどちらとも公表はされていないようだった。その噂の真偽は別段大事なことではなく、マンガも藝術同様、良いか悪いかのそれだけだ、と思っている。

今回、大切なのはそこではなく、この単行本に収録さている話が本誌に掲載されているときと今読んでいるときの台詞への感じ方の違いである。感応する台詞は大体同じだが、そこでの意識の向け方が異なるのは、やはり自分の心持が変化してきているからだろう。しかし、やる気を出させてくれるということでは、その時も今も同じであり、単行本を読み終えるとすぐに創作に取り掛かっていた。

と、いうことは、もうお気づきであると思われるが、僕は久しぶりにマンガを買った。

家には一冊だけマンガが置かれている。