Archive for 2019.4

線を引く。

2019.4.30

『DAYS』の努力を、ぼくらに当てはめて考えると、「線を引く」ってことだろう。
これは写真を撮ることしかしていなかった頃でも、大事にしていたことだ。
線から形にしていけばデッサンになり、デッサンは絵になる。
実際に手を動かしつづけた方が、頭の中でイメージもしやすいし、変更もしやすい。
線には、デッサンのように写す線と、デッサンとは関係なしに描く線がある。
どこかのレベルから描く線ができるというのはなく、どちらの線も、人が本来描くことのできる線であり、どちらも同時に成長させることができる。
ディレクターと呼ばれるようになって、「いまだにこんなこと(練習)を続けているのか」と言われることが増えてきた。
だが、この練習の数は、絶対に俺を裏切らない。
絶対だ。
怪我をしても、病気になってもだ。
線を引けば引いた分だけ悔しさがある。
線を引けば引いた分だけ発見がある。
だから、おもしろい。

『DAYS』はおもしろい。パート2。

2019.4.29

今日も引き続き、『DAYS』の話になりますが、「だっておもしろいんだもん」ということで、お付き合いいただけたら嬉しいです。
昨日、「『DAYS』の登場人物たちが、まるでぼくたちみたいだ」と書きましたが、その後、ひとっ風呂浴びてさらに気がつきました。
 
「足りない自分に気づくから必死になる」
 
『DAYS』の登場人物たちも、クリエイティブという仕事をしているぼくらも「足りない自分」を知っているのです。
こういう仕事をしていると、センスの塊のように思われたり、「すごいですね〜」なんて理由もなく褒められたりもしますが、自分としては「他の仕事ができない無能な自分」をわかっています。
 
例えば、ぼくはレジ打ちの仕事ができません。
昔、生鮮食品店のアルバイトでレジ打ちをしたとき、すぐさま「もっと効率よくできないか」や「これは人間の仕事なのか」と考えてしまい、仕事になりませんでした。
今でこそセルフレジがありますが、当時はそんなものありませんでした。
だから、「レジをお客にやらせる」なんて発想は、バカの極みだったのです。
こういうことはたくさんありました。
その度に、年上の方々からは、生臭な若者、口うるさい若者と言われました。
当時は実現可能な方法もわからなかったから、当然といえば当然なんですが。
 
そうやって、自分のできないことを自覚し、できることを伸ばしていった結果が、クリエイティブなんて言われる職業だっただけです。
この仕事だから、四六時中、仕事ができるだけなのです。

『DAYS』はおもしろい。

2019.4.28

『DAYS』というサッカー漫画が面白い。
群を抜いて不器用な主人公を中心とした物語がメインになるが、所々で挟む三年生の引退話がとてもいい。
部活の三年間だから、三年生=負ければ引退なのだ。
 
こういう状況は、社会人になって、仕事をするようになると少なくなる。
むしろ、「失敗を次に活かす」とか「失敗は失敗じゃない」というチャンスの方が多くなる。
これを知ってか知らずか、『DAYS』に出てくる高校生たちは「本当に全力を尽くしたか」と、自分自身に問いかけることが多い。
他のスポーツ漫画でもこういうシーンは多いけれど、『DAYS』はかなり多い。
 
愚直な主人公を筆頭に、主人公が在籍する高校の選手たちは、サッカーの名門校なのに、「自分が持っていないもの」を自覚し、周りから影響を受け、愚直に成長していく。
「センスがある」とチヤホヤされる選手でさえ、努力のシーンというか「持っていない」シーンが出てくる。
そして、「自分は本当に全力を尽くしたのか」と疑問を持ち、成長を目指し、ひたすら練習を繰り返す。
失敗したら、悔しい。
力になれなかったら、悔しい。
そういったことも、どんどん出てくる。
悔し涙を流す主人公につられ、ぼくも、けっこう泣いている。
 
そうして気づいた。
ここで出てくる若者たちは、ぼくらの姿だ。
 
ぼくらの仕事は「売上」や「利益」という結果が出る。
けれども、ぼくらの仕事がこれに貢献しているかどうかという数値は出ない。
(数値を出している所もあるようだが、経済学をちょっとでも習えば、これらの数値の妥当性が低いことはすぐにわかる)
だから、売れたときは「ぼくらのおかげ」と感謝されることはない一方で、売れなかったときは「ぼくらのせい」になることが常だ。
クリエイティブという職は、そういう職業だ。
 
心血注いで作った商品も、売れなければ廃止、つまりそこで終わる。
四六時中考えて、手を動かして関わったものでも、売れなかったら製品は販売終了で、企画はなくなり、企業は倒産する。
そして、離れ離れになる。
「もっと長く商品を販売できたんじゃないか」、「もっと企画を続けられたんじゃないか」と、考える余地がなくなるほどやっても、結果がすべてなのだ。
だから、商品や企画と長く一緒にいられるように、彼らとの生命の時間が続くように、この不安をなくすように、ぼくらは毎日考え、手を動かし、成長のための練習を欠かさない。
締切という時間がくるまで、やりつづける。
これをぼくらはブラッシュアップという。
だから、ブラッシュアップなんて格好つけて言っているが、これは愚直な成長を試し続けることだ。
 
『DAYS』に話を戻すと、負けたら終わりの他にも、三年という期間が来たら終わるのも部活だ。
 
どんな理由であれ、関わった商品や企画が終わるのは悔しいものだ。
老舗の看板商品も、つねに進化を続け、ラインナップを変えるシリーズだってある。
売上という結果がよくてもだ。
どんなものでも終わりがある。
進化のために、自分から終わりを告げるときもある。
リニューアルなんてまさにそれ、「リニューアル前のものは、俺が終わらせたんだ」と、肝に命じている。
 
『DAYS』を読んでいると、まるでぼくらのようだ。

つなげるのはおまけ。

2019.4.27

ふと思った。

「つなげるのは、おまけでいいんじゃないか」

ちょっと大げさに言ってしまうが、世の中は空前の「つなげるブーム」なんじゃないかと思った。
シェアや拡散は機能として完全にそうだが、人を紹介することがビジネスになってしまうこと、また、それが人としての価値になってしまうこと。
食物や地球環境の話になれば自ずと「つなげる」という話題は出てくるし、出さないで話を進めると、持続可能性を無視したことになりそうで、どこかバツが悪くなりそうだ。
人々の過ちを直して、いい部分を「つなげる」なんてのも、戦争関係で言われている。
「未来につなげる」なんて無味無臭のキャッチコピーも、至る所で使われているだろう。
ぼく自身もそんなことを言ったことがある。

だけど、ふと思った。
ここに挙げた話をするとき、全員、笑って話していないじゃんって。
そりゃそうだ。
「つなげる」ことを前提で話したら、話している自分は脇役になり、つなげる相手が主役になる。
こんなことを常日頃から繰り返していたら、毎日がつまらなくなって、つまらないことを繰り返している自分をフォローするために、真面目な顔して話さなきゃ居心地が悪くなる。
この場合のフォローは、つまらない自分をつなげるためか。
上記に挙げた話題は、全部立派そうに聞こえるけれど、こういう話をする人たちのことを、つまんなそうに話す人だなーと思っていた。

それでわかった。
「お前の人生はお前が主役。つなげるのはおまけ」
もっと楽しめ、ってことだ。

イレギュラーな予定変更。

2019.4.26

昨日の投稿で歯列矯正のワイヤーのことを書きましたが、水曜日は歯医者が休みだったので、木曜日にワイヤーを直してもらいました。
以前から予約しているわけではないから、急遽予約を入れてもらったわけです。
すると、ぼくの方は、急遽予定を変更しなければならないわけです。
そして、変更された予定には相手がいるので、その人たちも予定を変更してもらうのです。
こういうことが起きると「自分の体はひとつしかない」という、当たり前なことを痛切に感じます。
「アシスタントを雇ったらどうだろうか」といつも考えますが、代打で平気な打合せと、平気じゃない打合せがあるから、根本的な解決にはならないんですよね。
代わりがきかないから仕事になっている部分もありますし。
体が増えるわけでもありませんし。
イレギュラーな予定変更を快くできない相手とは仕事しませんし。
けれど、世の中にはこういう人たちがいることも事実です。
そう考えると「やっぱり、運と縁がいいんだなぁ」と呑気なことを本気で感じるのです。
似たようなことでいうと、忙しいときの「一日は二十四時間しかない」もそうだな。