『DAYS』はおもしろい。

2019.4.28ビジネスの健康, 日々のこと

『DAYS』というサッカー漫画が面白い。
群を抜いて不器用な主人公を中心とした物語がメインになるが、所々で挟む三年生の引退話がとてもいい。
部活の三年間だから、三年生=負ければ引退なのだ。
 
こういう状況は、社会人になって、仕事をするようになると少なくなる。
むしろ、「失敗を次に活かす」とか「失敗は失敗じゃない」というチャンスの方が多くなる。
これを知ってか知らずか、『DAYS』に出てくる高校生たちは「本当に全力を尽くしたか」と、自分自身に問いかけることが多い。
他のスポーツ漫画でもこういうシーンは多いけれど、『DAYS』はかなり多い。
 
愚直な主人公を筆頭に、主人公が在籍する高校の選手たちは、サッカーの名門校なのに、「自分が持っていないもの」を自覚し、周りから影響を受け、愚直に成長していく。
「センスがある」とチヤホヤされる選手でさえ、努力のシーンというか「持っていない」シーンが出てくる。
そして、「自分は本当に全力を尽くしたのか」と疑問を持ち、成長を目指し、ひたすら練習を繰り返す。
失敗したら、悔しい。
力になれなかったら、悔しい。
そういったことも、どんどん出てくる。
悔し涙を流す主人公につられ、ぼくも、けっこう泣いている。
 
そうして気づいた。
ここで出てくる若者たちは、ぼくらの姿だ。
 
ぼくらの仕事は「売上」や「利益」という結果が出る。
けれども、ぼくらの仕事がこれに貢献しているかどうかという数値は出ない。
(数値を出している所もあるようだが、経済学をちょっとでも習えば、これらの数値の妥当性が低いことはすぐにわかる)
だから、売れたときは「ぼくらのおかげ」と感謝されることはない一方で、売れなかったときは「ぼくらのせい」になることが常だ。
クリエイティブという職は、そういう職業だ。
 
心血注いで作った商品も、売れなければ廃止、つまりそこで終わる。
四六時中考えて、手を動かして関わったものでも、売れなかったら製品は販売終了で、企画はなくなり、企業は倒産する。
そして、離れ離れになる。
「もっと長く商品を販売できたんじゃないか」、「もっと企画を続けられたんじゃないか」と、考える余地がなくなるほどやっても、結果がすべてなのだ。
だから、商品や企画と長く一緒にいられるように、彼らとの生命の時間が続くように、この不安をなくすように、ぼくらは毎日考え、手を動かし、成長のための練習を欠かさない。
締切という時間がくるまで、やりつづける。
これをぼくらはブラッシュアップという。
だから、ブラッシュアップなんて格好つけて言っているが、これは愚直な成長を試し続けることだ。
 
『DAYS』に話を戻すと、負けたら終わりの他にも、三年という期間が来たら終わるのも部活だ。
 
どんな理由であれ、関わった商品や企画が終わるのは悔しいものだ。
老舗の看板商品も、つねに進化を続け、ラインナップを変えるシリーズだってある。
売上という結果がよくてもだ。
どんなものでも終わりがある。
進化のために、自分から終わりを告げるときもある。
リニューアルなんてまさにそれ、「リニューアル前のものは、俺が終わらせたんだ」と、肝に命じている。
 
『DAYS』を読んでいると、まるでぼくらのようだ。

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