Archive for 2019

楽しむには、よく寝ておくこと。

2019.11.22

困ったなぁ、と思っています。
何に困ったなぁ、かというと、楽しさがなかったんですよね、今日。
仕事から始まり、漫画と、昼食と、展示会と…という具合に、今日のあれこれを通して、「あれ?楽しくなかったぞ」と。
 
閻魔帳のようにこれらの内容を書いたとしても、楽しくはならないのはわかっているので、そんなことはしませんが、ま、寝ていないのも手伝っているでしょう。
医者からは「よく睡眠をとるように」と言われていますが、はい、すいません、昨日は寝てないっす。
 
昨日のお昼までは、楽しく仕事をしていたのを覚えています。
ラフと呼ばれる下書きをやってて、「すげぇのが描けたぜ!」と興奮して、そのまま制作に入って、やっぱりよかったんですよね。
そこから、まぁ、別件が入って「う〜ん?」というね。
 
それで、漸く今日の気づきですが、「楽しむためには、睡眠が必要」。
夕飯は自炊で美味かったし、昨日の続きで、めちゃんこいい看板作ったりで、楽しいことは色々あったはずです。
でもね、楽しさの波に乗り切れてないんですよ。
「波? あぁ、はいはい」という感じなんです。
よくないですねー、これはよくないですよー。
今日はちゃんと寝て、明日は明日でちゃんとおいしいものを食べようと思います。
それに、温かいお風呂に浸かって、「はぁ〜」と深呼吸をしようと思います。
 
今日はいつもよりも短い内容ですが、これでご勘弁を(誰にやねん)。

Good Person, Good People.

2019.11.21

作れない人が、別の人が作ったものに対して、ジャッジをしている現場に遭遇すると「憐れだな」と思ってしまう。
患者が医師の治療に対して、ジャッジをしているようなものだ。
職業倫理を完全に無視した、そんなとんちんかんなことをしている現場はたくさんある。
こと、我々の仕事に対して、患者である依頼人がジャッジをする現場というのは、大抵クオリティが下がる。
しかも、ジャッジをするという行為によって、物知り顔にならなければいけないのだから、憐憫としか言いようがない。
 
そして、その人がどんな行動に移るかというと、自分の息のかかったスタッフでチームを再編するということ。
こういう現場は数知れないが、見かけても、ぼくは放っておくようにしている(ぼくの制作物であれば職業倫理が込められているので言う必要がないし、発言を求められても一度しか言わないようにしている。その理由は後述)。
そのような人は治らない。
そのような人を雇ってしまったことを、後悔してもらうしかない(本当に困っているのなら、利己的な人が気持ちよく辞めれるような道を与えてあげることだ)。
 
上記のことを、ぼくのブログでも何度か紹介している『GIVE & TAKE』という本の言葉を借りるなら、テイカー(奪う人)は自分にとって都合のいい人で周囲を固める。
採用でよくみかける「条件に合う人を採用する」ということもそうだ。
だから、ほとんどの採用は失敗する。
 
テイカーの逆であるギバー(与える人)は、テイカーの食い物にされるか、賢いギバーならテイカーと距離をとる。
テイカー(奪う人)が社内にいると、ギバー(与える人)がいなくなり、マッチャー(損得勘定で動く人)がテイカーとなる。
だから、テイカーが社内に入ると、テイカーが溢れるようになる。
テイカーは一見すると愛想がいいので、やりとりが活発ないい現場のように見えるが、その中身はそれぞれが利用し合う現場となっているだけ。
テイカー、ギバー、マッチャーはその人の性質だから、治らない。
先述の「条件に合う人を採用する」というのは、損得勘定で動くマッチャーや、自分の人生のために周囲を利用するテイカーが集まることになる。
だから、失敗する。
 
つまり、テイカーがいると、テイカーを引き寄せ、職業倫理も働かず、利己的な議論が活発になるという悲惨なことになる。
採用試験を与えなきゃいけないのなら、サンポノであれば「GIVE & TAKE アセスメント」を受けてもらうだろう。
昔から言っているが、スキルなんて1〜2年で覚えさせることができるんだから、それよりも「いい人」が必要なんだ(ここで「そんなに早く覚えられる訳が無い」と言っている人がいたら、その人の考えているのは「自分が苦労して身に付けたスキルがそんなんじゃ割りに合わない」という損得勘定だ)。
 
ぼくはこの本を読んで、人生に大切なのは、与えること、そして「いい人」と出会うことだと確信した。
お節介に提案したり、テキストを作ったり、お土産持って行ったり、叱ったり、アホなこと言ったり、笑わせたり……たくさんの差別とやっかみを受けた人生でも「笑って死ねるなら、ま、いっか」と思って生きてきたことが、そのままでいいと思えたのだった。
脱線してしまったが、「Good Person, Good People.」、出会ったら奇跡。

企業として当たり前のこと。

2019.11.20

本来、企業の目的というのは「利益を出すこと」だ。
これをみんな間違って、企業の目的を「社会貢献すること」だと、格好つけて嘯(うそぶ)いてしまう。
すると、従業員は低賃金でやることが増えて、労働時間も増えて、苦しむことになる。
経営者自身も、頭の中で考えていることや、経営会議で話すことと、外向けに話していることのギャップに目を背けるようになる。
一方で、利益に支配されて、安く仕入れて高く売ることが、経営者の仕事だと勘違いしている人もいる。
結論から言うと、どちらも間違っている。
 
もう一度言うが、企業の目的とは「利益を出すこと」だ。
もしも、社会貢献をしたいのなら、利益を増やして、納税額を増やせばいい。
足りなければ、さらに寄付をしてもいい。
これは未上場でも上場企業でも同じだ。
 
どうしても、社会貢献という言葉を使いたい人のために、逆算して話していこう。
社会貢献をするために、納税額を増やす。
納税額を増やすために、利益を上げる。
利益を上げるために、いい商品やいいサービスを提供する。
いい商品やいいサービスを提供するために、いい人材を獲得する。
いい人材はそれに見合った報酬や条件が必要になる。
これは、いい商品やいいサービスを適正価格で売るのと同じだ。
 
この一連の流れは別にぼくの主観ではなく、そういう原理であり、変えようがないことだ。
だが、どこかのコンサルに毒された経営者が多いのか、地方に行っても、都心にいても、格好つけの経営者ばかりと出会う。
そういうことを話していたら、同じことを言っている人がいた。
読んでみたら、時間の使い方や川の流れと見立てる人生観など、似ているところが多かった。
その本は、堀江貴文さんの『時間革命』という本。

おいしい料理と、クリエイティブ。

2019.11.19

最寄駅の近くに、ランチがとてもおいしいカフェバーがあります。
カフェ時間は閉まっているから、カフェバーと言っていいのかは疑問ですが、ジャズバーと言ったら夜営業しかやっていないようだし……。
そんな、「こうだ」と言うのが難しいお店なのですが、気難しいということはまったくなく、しかもご飯がめちゃくちゃおいしい。
ぼくはハンバーグか週替わりのランチを食べるのですが、ここのハンバーグは、おいしいです。
ま、いつも通り、「食べればわかるよ」と言うしかないんですが、完全に王道の洋食です。
これに、ライス、サラダ、デザート、そしてコーヒーがついてきます。
「おいしい」っていうのは、単体のおいしさもあるし、バランスのおいしさもあります。
その両方の次元がすこぶる高い。
値段云々よりも、このおいしさを知ったら、行っちゃいますよ。
 
ぼくはこのお店に入る度に、「惜しいことをした」と思うのです。
なぜなら、ぼくがこのお店に入ったのは、この街に引っ越してから一年半が経とうとしていた頃なのですから。
理由は、お店の看板が、まったくおいしそうじゃないこと。
なにがどうとかはここでは言う必要がありませんが、ここに来る度にデザインや写真、イラストレーションの力って、とても大事だと思うのです。
ご飯はおいしい、接客も素敵、雰囲気もおちつく。
なのに、いつも混んでいるわけではなく、時間によっては、お客がぼく一人ということもあります。
 
けれど、このお店が、その状況をどう考えているかは、まだわからないので、ぼくは何も言わないようにしています。
お店の人が、今のお店を最高だと思っていたら、ぼくが何かを言うのは野暮ってもんです。
本当に必要なら、協力するタイミングがやってくるはずです。
流れに身を任せるというのも、大事なことです。

二つにわかれる。

2019.11.18

以前手掛けたロゴが、来年発売されるデザイン系の年鑑に掲載される。
クリエイティブの評価が高く、事業も成長していっている案件と、そうでない案件とで顕著な差が生まれている。
これらの違いは、進め方の違いが影響している。
 
ぼくは度々、専門家を医者として喩えているが、医者の見立てた治療方針に、患者がとやかく注文をつけて、いい治療結果や予防診療が成り立つはずもなく。
この喩え話通りのことが、ぼくの仕事にも起きている。
ぼくは別に凄い人間ではない。
欲望を持たずに、患者(クライアント)の事業を診ているだけだ。
 
その上で、気がついたことがある。
議論が活発な企業ほど、危うい。
何故なら、議論を活発にするのは簡単だからだ。
相手の話すことを信じなければいい。
そうすれば、自ずと反論内容が思い浮かび、詰問できる。
これで、議論になり、勝ち負けが生まれる。
 
そうではなく、雑談が豊かな企業は、成長が見込める。
雑談は脱線しないと、豊かにならない。
つまり、本筋である事業から外れた会話が、時間をとってどれだけできるかだ。
さらに、雑談を続けるには、相手の話したことを信じて、肯定しないと続かないものだ。
街で見かける、子どもの送り迎えのときの井戸端会議なんかは、まさに雑談の典型であり、共感と肯定によって、成り立っている。
そこに、発見を与えると、ビジネスになる。
だから、ビジネスをしたいのなら、雑談が発端になるのだ。
 
ぼくが出会った人たちでも、真っ二つに分かれる。
雑談が弾む人の事業は成長しているし、そうでない事業は停滞する。
ビジネスの人たちは、雑談を勘違いしている。
「儲けよう」という意志が詰め込まれている話は、雑談とは言わない。
第一は雑談、第二に発見を加える、第三にたまたまビジネスとして成立する。
必ず、この順序だ。
なぜなら、発見を加えて市場に出したとしても、運も絡んでくるからだ。
そして、とっかかりとなる雑談を成立させるためには、その話を信じて、肯定するところからはじまる。
 
先の医者の喩え話と同じように、相手の言うことを信じないと、ごちゃごちゃつまらない話で時間が過ぎるということだ。