専門家と素人。

2019.12.30ビジネスの健康, 日々のこと

先日の医者と俺とのやりとり。
 
医「今日は採血ですね。この1ヶ月で何かやりました?」
俺「ふふふ、伊右衛門飲みましたよ(得意気)」
医「ん?」
俺「(あれ?なんかマズったか)悪玉コレステロールを下げる伊右衛門を飲み続けました」
医「そんなこと私は言っていないですよね?よく寝て、甘いものを控えて、適度な運動をするようにと言いましたよね?」
俺「…は、はい。おっしゃる通りでございます」
医「そんな高いもの買っちゃって。ま、江口さん健康だから大丈夫でしょう。じゃ、採血しましょうかね」
 
これが専門家とのやりとりだ。
お金を払うのが素人だからと言って、専門家の言いつけを守らずに、素人が勝手なことをすれば叱られる。
ぼくはこの先生を気に入っている。
叱られたのに、病院を出る頃には元気になっているのだ。
 
この話と近からず遠からずの話をすると、納品後、クリエイティブの素人であるクライアントにすべてを任せてしまうと、軟派なものになる。
独立してから3年が過ぎ、関係性が長期になってきた案件では、先方が作ったものが増えることで、全体が軟派な印象になってきてもいる。
その分、先方は手足をバタつかせてきたという「いい意味」もあるが、泳げない人が手足をバタつかせても溺れてしまうように、高質な印象が薄れていく。
どこかで高質な硬派なもので、背筋を伸ばす必要がある。
 
関わっているクライアントを眺めていると、少しずつテコ入れをした方がいい段階になっている。
軟派になれば、評価は「頑張っているね」というものになるから、そういうことも兆候になる。
価値のステージに辿り着けない事業は、努力していることが評価となる。

それすら気がつかずに、子どものように自分たちでやりたがるクライアントもいるが、この数年を通して、いい大人が子どものようでありつづけるなら、ぼくらも少しずつ離れていく。
ぼく以外の人が離れていく姿を、ちらほら見かけるようになった。
悪い事例と言うと聞こえは悪いが、そういう別れ方は起きちゃうのが自然だ。
いい事例は、ちゃんと外のテコ入れを受け入れる。

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