Archive for 2015

今年最後の更新。

2015.12.31

「COOL RUNNING」の今月の更新も終わりました。早いもので、連載も50回を超えて、来年から5年目に突入します。更新作業を終えて、バックナンバーを読んでいると、僕らの稚拙さを如実に感じる。恥ずかしいがこれは事実だろうし、だからこそ、5年も続けて進化している姿に心が踊るのだ。
 
先日、大学の先輩の家でホームパーティーをしていると、「大学を卒業して10年も経つとハゲとデブが増える」という話で盛り上がった。生憎、僕は体型は変わらず、皺だけが増えている。
 
昨日は、友人の店で顔見知りだけで呑んでいると、その中の一人が「30代のうちにヌードを撮りたい」ということを話してくれた。その話を聞いて、「30代には30代の美しさがあって、40代には40代の美しさ、そして50代、60代にもそれぞれの、、、」ということを話したのだが、あぁ、この人の記録を撮ってみたいとも思ったのだ。
 
正月には、毎年、姪の写真を手軽に撮っているが、毎年増える写真を見ていても変化や成長が如実に見てとれる。
 
僕らも変化していくし、これからは肉体的には成長ではなく衰退していくのだろうが、それでも、一分一秒、何かしらの成長を目指したいと思った。
 
来年も、よろしくお願い申し上げます。
 
エグチマサル

気づく。

2015.12.26

新宿に行き、群衆の中にいると、すべてが嘘のように感じた。新宿にはネットで見つけた商品の実物を見に行ったり、本屋に入ったりしたのだけれども、何にも心は惹かれず、ここには自分を満たすものはないんだと気がついた。
 
そして、新宿界隈に足繁く来ていた頃が遠い昔のように感じた。
 
その時、私の中で、今までは終わったような気がしたのだった。過去からつながって今に至るけれど、あの頃の濃度はもう薄くなってるのだ。それでいいのだと気がついた。これからを作っていこうと思ったし、もっと身軽にしていいのだ。
 
ここに無いのなら、どこかへ行けばいいんだ。

年賀状

2015.12.19

来年の年賀状ができて、ただいま印刷中です。今年と昨年から引き続き、A2サイズのポスターが付いてきます(現在HPのトップページに出てきてます)。今回は初めての横位置になりますが、基本的なフォーマットは変わらないので、どこかラクをしているような気持ちにもなります。
 
もちろん、飽きもあるでしょうが、この程度の頻度だったら、飽きているのって身近な制作者だったり、それを使う企業だけが感じていることでもあります。だからフォーマットを変えるタイミングが早すぎると、根っこのところが見えなくなってしまうことも多々あります。
 
なので、根っこのところがブレていないように見せつつ、飽きも解消することが我々の腕の見せ所でもあります。横位置にするとか、ストーリーを持たせるとか、プロモーションの要素を入れていくとか、12枚揃うと光るとか(この年賀状は光らないけどね)、7枚揃うと願いを叶えてくれる龍が出てくるとか(この年賀状はでないけどね)。
 
まぁ、いつも私たちは何かしら面白くなるようなことを企んでいるってことです。あっという間の師走ですが、これからもよろしくお願い申し上げます。
 
エグチマサル

体が覚える、リセットする。

2015.12.13

先日、急な不調で、さすがに3ヶ月連続は何かあるかもと思い、病院に行く。問診票を記入しながら体温を測ると、「34.9℃」という見たこともない数値に愕然としました。その日は胃腸薬を処方してもらったのだが、低体温のことを聞くと、不規則な生活とストレスという答えが待ってました。
症状が出始めた頃のことを考えれば、原因がストレスであることは想像できる。
 
そんな病院でのやりとりを今週始めにしてから、温かいものを食べたり、湯船に浸かったり、足湯をしたり、睡眠を長くとったりしている。すると体というのはしっかりと反応するもので、徐々に体温は上がってくるようだ。
 
しかし、一度、低体温の癖がついているようで、以前よりも空腹や疲労を感じるときの消耗具合がはなはだしい。体というのは正直なものであるし、覚えてしまった状態をリセットするのは、覚える期間よりも長くかかるようだ。
 

今、やりたいこと

2015.12.6

引き出しの整理をしていて、数年前に「作品の力が信じられる世の中にしたいです。いや、します。」と書いた書類を見つけた。たしかに周囲にもそう話していたし、そのために動いていたのも事実だ。
 
しかし、この言葉を帰る場所にするのを忘れながら動き続け、世界では「デザイン思考」や「ハックデザイン」というように、名前は違えど私たち藝術家が求めていた世界になりつつある。昨日、先の自分の言葉と再会して、自分の望んでいる世界にたどり着こうとしていることに気がついた。「見た目」の大切さと、その見た目を現実化するための工学的思考と心理的思考の大切さに社会が気づき始め、これらを実践するために費用と長きの研究を共にしなければならないことを知り始めている。そして投資価値を見い出し始めている。
 
この世界を私は望んでいたのだ。ここが帰る場所だったことに気がついたとき、「今、やりたいこと」を失っていることに気がついたのだった。そのことが寂しくもなければ嬉しくもなかったことに静かに驚いた。「何をしようか」と考えてみて、とりあえず、自分の周囲にいる人間に与えることをしてみようと思い、温かい料理をつくった。 
 
そして、よりフレキシブルに動けるホームページにリニューアルしようと思った。