考えた挙句、つまらなくなる。

2018.12.19 ビジネスの健康, 日々のこと

いま進めているデザインで不安だった色が、写真を入れた途端、活き活きとしてきました。
最初の段階では完成形が見えていたはずなのに、手を動かしているうちに見えなくなっていました。
正確には、見えるものが増えてきたことで、遠くにある旗印が見えなくなってしまっていたということです。
 

こういうこと、依頼人はよくあります。
いろいろ考えた挙句、ユーザーが混乱したり、つまんなくなる案を、依頼人が話すことは多いのです。
いろいろ考えすぎてしまい、関係各社の都合もあって、案はどんどんつまらなくなっていきます。
そこを「つまらない」と言うのが、ぼくの役目だったりもしますが、自分ごとになると、ぼくもわからなくなることもあるわけです。
 

「あっ」と気づいた瞬間、完成しました。
 

頼まれ仕事でもそうじゃなくても、いいものができたとき、寿命が減る感覚があります。
「あぁ、疲れた」
これを言うこともできないほど、疲れています。
この感覚がないものは、たとえ周りから褒められても、「あ、そんなものか」となってしまいます。

話す行為。

2018.12.18 日々のこと

すべては「話す行為」なんじゃないか、と思いました。
唐突ですが、ふと思ったのです。
悪い人じゃない、むしろいい人なのに、なんか一緒にいたくない。
ま、そういう人がいるとして。
プライベートであれば、「クセのある人だから」と言って、話題にしそうだけれど、仕事においては、もうちょっと現実問題というか、そんな部分での話し方に要因があるような気がします。
 
先日、歯列矯正の先生から、人間の平均的な頭の骨格について教わりました。
その中で、目の位置というのは、地面と水平になるようにできていることを知りました。
この位置が水平でなくなると、その人に会っている人は不快感を覚えるらしいです。
人から怖く見られたい人が、顎を上げて上から見下ろすようなことです。
 
「話す」という行為には、いろいろな要素が組み合わさっています。
声質、言葉の選び方、呼吸(間)の取り方、相槌の取り方、話す順序、声の大きさ、滑舌の良し悪し。
音声電話やTV電話であれば、機器の調子もあるでしょう。
直接の会話なら、さっき話題にした目線、服装や表情などの見た目から、匂い、身振りなんかもあるでしょう。
メールであれば、メールの書き方が話し方になるわけですし。
あ、この文章もそうですね。
 
すべて「話す」という行為に集まって、その人の印象を決めてしまっているよなぁ、と思ったのです。
世の中には、根っからの悪い奴というか、人を陥れることに喜びを見出す人もいる。
けれど、そんなに悪い奴じゃなく、いい人なのに、会いたくないなぁと思ってしまう人って、「話す行為」を改善したら、会いたい人になるんじゃないだろうか。
 
この文章を読んでいる人の、ぼくの印象もあるわけだ。

「続けること」と「初心者になること」。

2018.12.17 ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

今年から茶道を習っています。
習っていると言っても、まったくの初心者で、ひとりでお茶を点てることもできないです。
楽をさせていただいても、毎回、足は絶望的なほど痛くなります。
 
でもね、「習う」っていうことがいいのです。
茶道の楽しさはまだ分かりませんが、習うことの楽しさを感じています。
この歳で、初心者になれるのです。
36歳にもなると、自分の仕事のことは食えるレベルになったり、人からチヤホヤされるレベルになります。
 
これは、どんな職業でも同じだと思います。
続けてきたから得られることです。
会社に居続けている人なら、その会社内で活きる能力が成長しているので、それはそれで重宝されます。
どんなことでも続けていれば、いいとこまで行けるものです。
 
でも、ほとんどの人が「自分の努力」や「工夫」に焦点を当てて、「単に続けたこと」を軽く見るんですよね。
だから、多くの人が得意気になってしまうのです。
ぼくにもそういう気質はあります。
そして、たったひとつのチヤホヤされることで、それ以外のいっぱいある分野のことも精通したような気になっちゃうんです。
そんなことはないですからねー。
 
ぼくはクリエイティブ業界にずっといますが、それ以外の業界については、まったくのずぶのど素人ですから。
いま茶道のことを語っても、嘘になっちゃうでしょう。
でもね、初心者として習っていくと、不思議と、自分の業界と似ているところと、似ていないところも見えてくるのです。
 
これは、ぼくが何かを続けてこなければ、得られない感覚だと思います。
さらに、実際の現場に飛び込んで、初心者にならなければ、得られない感覚です。
続けてきたことと、初心者になること、この二つが交わって、はじめて生まれる感覚なんです。
プロだからって、自分の業界で初心者になれないことはないですからね。
この感覚、好きなんだよなー。

書いては消して。

2018.12.16 日々のこと

たまーに起きることですが、ここの内容を書くときに、書いては消してを繰り返すときがあります。
どうしてもつまらない内容になってしまうときや、特定の誰かを傷つけてしまうときです。
つまらない内容というのは、書いているぼくが読んだときに、つまらないと感じるだろうということです。
 
もう一つの筆を止めるのは、いまだからできるような気がしています。
特定の誰かを傷つけてしまう内容というのは、書いている最中、つまらないかどうかはどうでもよくなってしまうものです。
読み手としては、つまらないはずです。
それにも関わらず、ストレス発散なのか、自ら筆を止めるのは難しくなるものです。
 
どうやって止めるような意識になれたかというと、やはり、それだけたくさんの人を傷つけたということだと思います。
誇れることではありません。
けれども、傷つけたという意識がなければ、傷つけることを続けていたでしょう。
おそらく、人が大人になるということはこういうことだと思うのです。
できないことを知るのも、大人になることですね。

味覚違い。

2018.12.15 日々のこと

昨日、「妻のために焼きリンゴぐらい作りたいものです」と書いていたら、今日の朝(投稿では昨日)、焼きました、リンゴ。
朝、二人ともあまりお腹が減っていなかったので、「じゃあ、朝食は焼きリンゴにしよっか」ということで。
 
ぼくが皮を剥いていたら、横から「あれ?皮、剥いてたっけ?」と妻。
「剥いてたよ」と言いながらも、自分でも疑問に思い、半分は皮を残したまま焼き始めました。
いつも通り焼いて、最後に蜂蜜のお酒を、少しだけ加えて完成です。
 
「うま〜い」と言いながら、ハーゲンダッツのリッチミルク味を乗せたり。
パクパク食べながら、妻の一言。
 
「皮、ない方が美味しいね」
えぇ〜、俺、皮ありも美味しく感じていたのに〜。
味覚とは、難しいものです。
 

ぼくが焼きリンゴを作っているあいだ、妻はコーヒー豆を挽いて、いつもとは違うやり方で、コーヒーを淹れてくれました。
いつもよりも時間がかかる淹れ方なので、濃くなりそうですが、お湯の量をいつもよりも多めにしたとのこと。

「いつも通り、美味しいね」とぼく。
「いつもよりも、美味しい気がする」と妻。
再度、味覚とは、難しいものです。
 
ま、両方とも美味しいってことは同じだったので、一件落着。