立ち食いについて。パート2。

2019.4.21 日々のこと

昨日の投稿から「立ち食い」について、「そういえば、立ち食いのはじまりって屋台じゃなかったっけ」と思った。
ネットで調べてみたら、やはり、江戸時代の屋台がはじまりで、天ぷらや寿司もあったと。
「そうそう、寿司の屋台が江戸にほにゃらら…」と曖昧な記憶を持っていたのだった。
大火と呼ばれる大きな火事の復興で、屋台は賑わったと。
復興の仕事の合間に、つるっと食べる感じだったのだろうか。
休日という概念がなかった時代だ。
一日の中に「休む」っていう感覚はあったのだろうか。
こうやって考えてみると、海外の、特に欧米人と比べて、日本人の食事の時間が短いだとか、会話がないと言われるのも分かる気がする。
休んでなんかいらんねー、ということだ。
現代の昼休みも、食事の時間ってだけで、休んではいなかったりするもんね。
特に意味はないんだけどさ、良くも悪くも、これも日本人のルーツなんだよな。

立ち食いについて。

2019.4.20 日々のこと

そういえば、立ち食いが苦手だと気づいた。
立ち飲みも苦手だ。
買い食いはよくやるが、立ち止まって食べるのが苦手なのだ。
いっそのこと、座って食べたい。
昔、コンビニ前の縁石に座って、友人としゃべりながら買い食いをしていたことを思い出した。
一応、地べたではないが、そういう行為をする人のことを「ジベタリアン」と世間が言っていた。
立ち止まるのは苦手だが、座って食べるのは……慣れているということか。
すると、歩きながら食べる「買い食い」は平気だが、立ち止まって食べる「立ち食い」は苦手だということになる。
立ち食いそば屋に入っても、椅子がある場所を必ず確保して食べていた。
だから、テーブルの奥行きが狭い「そば屋」だ。
ふと思ったのだが、牛丼屋と立ち食い屋の違いってなんだろうか。
テーブルの形状はほとんど同じだが、牛丼屋には椅子と机がセットになっていて、立ち食いそば屋では必ずしもセットになっていない。
なんで、「立ち食い」を売りにする店舗は、椅子を置かないのだろうか。
「売りがなくなるから」と言われそうだけど、「立って食べれること」を求めてお客が入るのか?
どうでもいい疑問なんだけどさ、「いきなりステーキ」に入ったことなかったと気づいてね、立ち食いについて考えちゃったのよ。

歳を重ねるほど、自由になっていく。

2019.4.19 心の健康, 日々のこと

肩の荷が下りた。
サンポノのホームページでの紹介文を、「個人経営の事務所ですが、運が良く、縁もあって全国各地からご相談を受けています。」に変えたことだ。
それから自分の役職を「サンポノ店主」としたことだ。
「代表」は法人における人として動けない部分を肩代わりするための役職だし、「主宰」と言うのはこっぱずかしい。
人によって役職の思いはあるだろうが、ぼくの場合は、そんなに改まった名前はいらないとずっと思っていた。
昔、事務所に勤めていたとき、師匠から「雇われていたとしても、江口商店だと思って仕事をするんだ」と言ってもらったことを、ずっと胸に刻んで仕事をしてきた。
だから、自分が関わった仕事の商品は、購入できるものは買ってきた。
自分の店に置くものは、自分が欲しいものじゃなければ嘘になる。
そう思って仕事をしてきた。
だから、自分にとっては「店主」だったり「店長」という言葉の方がしっくりくる。
サンポノ店長、役割はディレクターだったり、写真家だったり。
仕事は、人生という散歩のついで。
歳を重ねるほど、自由になっていく。

バリ島ウブドで学んだこと。パート7。

2019.4.18 心の健康, 日々のこと

「もらい上手」って素敵だと思っている。
プレゼントとも言えないような、ちょっとしたお菓子やお土産をあげたとき、喜ぶのがとても上手い人とたまに出会う。
どこかの国のホームコメディのように大げさに喜ぶんじゃなく、お世辞を使っているようには全然思えない喜び方があるのだ。
何かをあげた方が「こんなんで悪かったな」と思うのではなく、「あげてよかった」と思わせてくれる喜び方。
あげている方が、喜びをもらっているのだ。
だから、「今度はなにをあげようかな」だったり、「なにをしたらあの人はまた喜んでくれるかな」と思ってしまう。
のぼせている、とも言えるだろう。
その瞬間だけ恋をしているとも、言えるだろう。
こう考えて気づいた。
 
「バリの人の喜び方と一緒だ」と。
 
チップを受け取るとき、「当然」という表情でもなく、「恐縮」するのでもなく、サービスをしているときと変わらない「笑顔」でチップを受け取ってくれる。
ということは、サービス、つまり仕事をしているときの笑顔が、男性も女性も可愛いんだ。
これは天性のものなのか、はたまた後天的に身につけられるものなのか。
日本だけにいたら分からなかったことだけれど、バリに行ってそうだったサービスの人、そうじゃないサービスの人を見ることができて、後天的に身につけられると思っちまったんだな。

変わる意志はあるか。

2019.4.17 ビジネスの健康, 日々のこと

昨日の投稿は、おそろしく暗いですね。
ただ、こういうことも自分なんですよねー。
いつもキラキラ、ギラギラしなければならないとは限りません。
たまには、思いっきり暗くなることも必要でしょう。
けれど、忘れちゃいけないのが、この自分だけでは、人から仕事を頼まれる力持ちにはなれません。
力のある人と、力のない人。
自分が依頼をする立場だったら、どちらに依頼をしたくなるかは明白です。
それは生活者を相手にする仕事でも、企業人を相手にする仕事でも変わらないです。
 
仕事で依頼人と会っていて、頻繁に言うことですが「変わる意志があるか」ということ。
ぼくらと会うということは、前提として「困りごと」があるということが多いわけです。
ぼくらが何かを作るとき、表面的な部分はもちろん変わります。
けれど、依頼者である本人や企業が変わらない限り、同じ困りごとが再び発生します。
根本治療をして、根っこの部分から変わらない限り、同じ症状に陥るのです。
企業における「困りごと」は、「利益」に結びつくことが多いでしょう。
だから、稼げない企業というのは、変わらない企業ということでもあります。
 
老舗と呼ばれるお店だって、同じことをしているように見えても、ちょっとずつ変えているもんです。