最近のVlog。

2019.12.6 動画, 心の健康, 日々のこと

しばらくの間、Vlog(動画のブログ)を先頭に固定しています。この投稿の下に、いつものブログが更新されています。
 

絵に描いた餅も、描くための手が必要。

2020.1.17 ビジネスの健康, 初心者のためのデザイン心理

今の日本のビジネスの現場を表すと、「手を動かさない人の言葉が幅を利かせている」ということだろう。
ブルーカラーやホワイトカラー、ナレッジワーカーと、色々な分け方を、色々な人たちがしているように、この差は大きくある。
もっと言えば、殿様と武士や、王様と兵士のように、昔からあったこととも言える。
武士の中でも、指揮する人と前線で戦う人とが分かれていたり、前線で戦う人でも歩兵と騎馬兵などの、たくさんの差があったはずだ。
 
けれど、昔と今の違いで言えば、命の掛け方だろう。
争いごとだったから仕方がないのだが、昔の人たちは、兵士も王様も負けたら死ぬという意味では、同じところに立っていた。
指揮する者と前線の者も同じであり、前線の方が命を落としやすい、という差だった。
そして、前線で貢献したものは、ちゃんと表彰されていたから、漫画『キングダム』の主人公のように、大将軍を目指して前線で戦うことができたわけだ。
これが、どれだけ前線で戦っても大将軍になれないのなら、人はあそこまで命をかけられるのだろうか?
 
今の日本のビジネスの現場を見ていると、この仕組みがなくなっているように見える。
元も子もない話をすれば、会社というのは、経営者が得するものなのだ。
さらに言えば、前線に配置されなければ配置されない方が、得する仕組みになっている。
そういう社会だと、どうなるか。
人は経営者になることを望み、そうでなければ、上役になることを望むようになる。
リスクという点で言えば、責任を取らされるのは前線にいる人たちであり、表彰されて、経営層に入るなど、夢のまた夢である。
「アルバイトから店長になった話」というのがあるが、フランチャイズ店の店長に、それほどの力がないことは、周知のことではないだろうか。
 
何が言いたいかというと、ぼくが手を動かすプレーヤーで居続ける理由は、腕を錆びさせないためだ。
どんな基礎的なことでもいい。
手を動かし続けることで、いつも新たな発見があり、技術や知識を教えることができる。
手を動かせる人が一人でも多く育つことで、いま前線で戦っている人が少しでも報われる仕組みになっていけばいいと思っている。
 
そう思うようになったのは、デザイン事務所に勤めたことがきっかけだ。
こういうことを考えているとき、事務所に勤めていた当時の、事務所の社長との会話をいつも思い出す。
 
社長「昼飯は食べたんか?」
江口「まだです。今日はコンビニになりそうです。」
社長「わしは昼飯がコンビニとか〇〇(ファストフード店)というのが嫌なんや。生きた心地がしないんや。」
 
ぼくは関西弁を話さないし、当時の記憶だから、正確性は欠けるかもしれないが、その時、ぼくは絶句したことをハッキリと覚えている。
断っておくが、コンビニ飯を馬鹿にされたことが絶句の理由じゃない(美味しいけれどね)。
昼が過ぎようとする頃のトイレで、昼飯から帰ってきた彼と遭遇したときの会話だ。
ぼくはあの事務所で、良いも悪いもたくさん経験させてもらった。
 
その会社が何を売りにするのかはそれぞれだし、経営者がどういう思想を持っていたって自由だ。
だが、ぼくが事業者である以上、関わってくれる人が報われるような仕組みを提供したいと思っている。
報われたと思うかどうかは相手次第なのでどうしようもないが、少なくとも、関わってくれた人へ、配慮のある振る舞いをしたいと思っている。
口の悪さや無知や立場を理由に、相手を傷つけていいことなどない。
 
手を動かさない人が指揮をとっても、兵士は無駄死にしやすくなる。
指揮者というのは、手を動かせて、頭も働かせられる人がなった方が、無駄死にが減り、功績も讃えやすくなる。
『キングダム』にロマンがあるのは、ここなのだ。
新規事業にアンダードッグ効果が必要と言われるように、手足を動かして、前線で奮闘する人たちは応援したくなる。
作るためには、手足や体、臓器が必要。
絵に描いた餅も、描くための手が必要なのだ。
忘れちゃいけないこと。

両方大事なこと。

2020.1.16 日々のこと

新しいiMacを買って、今まで使っていたMac Book Proのデータなどを移行しようとしたときのこと。
 
#mac移行アシスタントメモ。
1. 旧mac→新macによる移行アシスタントで、新macのosアップデートを求められて、画面の指示に従ってosアップデートをしても、osアップデートが失敗する場合。
2. 旧macのターゲットディスクモードを解除して、旧macと新macを繋いでいるケーブルを外すと、新macのosアップデートが成功する。
3. 新macのosアップデートが成功したら、旧macと新macをケーブルで繋いで、旧macをターゲットディスクモードにする。
4. すると、macの移行アシスタントを再開できる。
 
#旧macのターゲットディスクモードの解除方法
1. 旧macの電源ボタンを長押しして、旧macの電源を落とす。
2. 旧macと新macを繋いでいるケーブルを外す。
3. 旧macの電源ボタンを押して、旧macを起動する。
 

新しいiMacを買って何に感動しているかって、「ケーブルの少なさ」です。
今更かよ、と自分にツッコミを入れたくもなりますが、デザイン系でラップトップを使っていたら、外部ディスプレイが必要になってくるわけです。
そして、スピーカーがついていないディスプレイを買った日にゃあ、スピーカーも必要になってきますよ。
しかも、外部キーボードは、昔の有線のものを使っていました。
ということは、電源コードも含めると、今まで合計7本のケーブルを使っていたのが、1本になったわけですからね。
そりゃあ、すっきりします。
 

すっきりしたついで(?)ですが、洗濯機も買い替えました。
今までのは、一人暮らしを始めたときに買ったものですから、17年と10ヶ月は使っていたことになります。
途中の12年は外置きでしたから、外装はボロボロになり、洗濯コースのボタンはすべて剥がれていました。
それでも、使えていたんです。
でも、今年に入ってから、洗濯をすると「キキ」って鳴るようになってしまってね、買い替えを決めました。
 
そうしたら、びっくりです。
新しい洗濯機で洗ったら、脱水力が違うのなんのって。
洗濯物が乾くの早いじゃない。
もしかしたら、ちょっと綺麗になってる(?)なんて思ったり。
 

再び、このすっきり流れ(?)ですが、3、4ヶ月ぶりに髪の毛を切りました。
いつも自分で切っているのですが、風呂場でやるもんで、めちゃくちゃ寒いこの時期は億劫になります。
でもね、髪を切って、思いましたよ。
すげー、さっぱりする!
髪の毛って、瘴気(しょうき)を吸うというか、考え事や悩み事、迷った事なんかの搾りかすを吸っていると思います。
だから、仕事の忙しさに翻弄されている人って、髪の毛がぼさぼさになるでしょう。
あれって、頭が瘴気を吸いすぎて、とっちらかっている状態なんですよね。
いや〜、この流れで切ってよかったです。
 

一見すると、全部バラバラのことですが、よ〜く読んでいると同じ内容のことです。
アンティークとは違ったことですが、汚れや疲れが溜まってしまったものは、ちょっとずつ新しくしていく必要があります。
思えば、道具を磨くというのも、表面についた汚れを落としていくことと、栄養を与えることの二つが同時に行われていて、磨くことの積み重ねでアンティークになっていくわけです。
ぼくらは髪の毛を切ったり、爪の手入れをしたり、お風呂に入ったり、栄養のあるご飯を食べたり、感動して心の栄養をとったりして、アンティークに向かっているんです。
新しくしていくことと、年輪を重ねていくこと。
両方大事なことです。

判断基準を事前に持っておく。

2020.1.15 ビジネスの健康, 心の健康

ヒロシさんの『働き方1.9』を読んだことについては以前書きました。
その本の中で、「最悪の状況を想像して天秤にかける」みたいなことが書かれていましたが、ぼく自身も選択肢があるときはこれを行います。
そのときにやっておかなければならないのが、自分にとっての最悪な状況を常日頃から考えておき、その答えを持っておくことです。
 
なぜこんなことをしなきゃならないかというと、選択肢を選んでいるとき、人は自分にとって都合がいいものを選びやすいからです。
そのため、選択肢を与える人がいる場合、大抵は「相手にとって聞こえがいい」ことを言うもんです。
そうして、選ぶ本人は自分にとって都合のいい選択肢を選んでいるつもりでも、実は相手にとって都合がいいものを選ばされていただけだった、ということになるからです。
 
こういうとき、人はよく「騙された」と言うもんですが、ぼくの考えでは、「どちらも悪い」です。
正確に言えば、TPOによって、悪い割合は変化しますが、ただし、大前提としてコミュニケーションにおいて一方的に悪くなる側がいるというのもおかしな話です。
これは何も性善説や性悪説という話ではなくて、相手の話していることを「聞き取り」「解釈」し、「判断」する能力があるかどうか、なのです。
そこで、「自分にはそんな能力がない」と言う人がいたら、それは弱さを売りにしすぎです。
「人は弱く、他の人と協力しあって生きていかなければならない生き物です」という類いの説教とは違う種類の弱さです。
というのも、他の人と協力しあうためには、自分も相手に何かを与えなきゃ「協力しあう」にはなりません。
与えるのがお金であれば「サービス」になりますし、他の人ができないことや苦手なことを肩代わりするのなら「協業」になるでしょう。
仕事であってもなくても、これが協力というものです。
でも、一方的に弱さを売りにして、頼ってばかりいるのは、相手を利用しているだけです。
 
つまり、「騙された」と言う人って、その分、誰かを利用し続けた人が、別の誰かに利用されたということでもあるのです。
 
ぼくも誰かに利用されたという経験はあります。
むしろ、山ほどあります。
仕事で言えば、ヒアリングや初回ミーティングまでして、そのままいなくなる、ということもありました。
事務所に勤務していたときは、当時の社長案件でロゴまで作らされて、そのままバックれられるということもありました(今でも覚えていますが、年末の忙しい時期です。しかも、当時の社長はぼくらに謝罪もしませんでした)。
これが友人であれば、相談だけして、言いたいことだけ言って、ケロっといなくなるなどです。
情報だけ引き出していく、というのはけっこう多いパターンです。
仕事であってもなくても、ぼくのコストがかかっているのです。
これをちゃんとわかっている人って、やっぱり今の日本には少ないです。
けれど、ちゃんとわかっている人って、ちゃんと仕事になるんですよね。
 
ぼくは20代の頃、写真家としてめちゃくちゃな数の展示をしていました。
そのほとんどに来てくれた友人がいるのですが、やっぱりね、そういう人ってちゃんとした仕事を与えてくれたり、ちゃんとした人を紹介してくれるんです。
だから、ぼくはその人の仕事って、誰の仕事よりも優先させます。
全人生をかけていると言ったら大げさだけど、家族ごと面倒をみるつもりです(頼りない自分だけど)。
 
そういう人がいるって、やっぱりね、自分もちゃんとしようと思います。
色んな人に利用されてきたけれど、騙されたというような経験がないのは、相手の話をちゃんと聞いて、解釈して、自分にとっての最悪な状況を元に判断して行動しているからだと思うんです。
その経験をいつもすることで、ちょっとずつこの能力の精度が高まるのです。
ぼくも、強さを手に入れたとはまだまだ言えないですが、弱いままでいいとは思わないです。
強くないと、誰かに協力するなんてできないんですよ。
助けたい人がいるから強くなるとは格好つけすぎだと思うので、「一緒に遊びたい人がいるから強くなる」、そういうことでいいんじゃないでしょうか。

動くことからはじまる。

2020.1.14 ビジネスの健康, 初心者のためのデザイン心理

経験値ってすごいよなぁ、と度々思います。
経験値によって、人はできることが増えて、不安が減り、動ける範囲が広くなっていく。
どんどん動いていた人ほど、どんどん成長していく、というのは本当だと思います。
それは手足をばたつかせた結果なんです。
部屋に篭って、手足をばたつかせてきた人は、ある一芸が優れるでしょう。
ぼくもそのタイプに近いと思います。
けれども、ただ篭っているだけだと、一芸を披露するのが怖くなります。
 
これは自慢でも何でもなくて、ぼく自身がやってきたのは、ホームページ上でがんがん発表するってことです。
SNSにも作品を投稿したり、こうやって毎日ブログを書いていることも発表です。
これは写真家の頃からやっていました。
気づけば、もう13年になります。
当時の内容を読むと、本当にひどいので、今のお客さんたちはそれを読んでも、「江口さん変わったんだなぁ」とだけ思って、心のうちに留めておいてください。
だって、人は変わりますからね。
 
手足をばたつかせてきたぼくは、世界にも行ったり、デザイン事務所にも勤務したり、世界シェアを誇る企業のデザインを手掛けたり、まったく違う業界の女性と結婚したり、人を育てたり、地方に行ったり、毎日仕事をしています。
だから、一芸があったとしても、披露するのを怖がる暇がありません。
 
それもこれも、毎日危機感があるからです。
怖がることがないのに、危機感があるって、意味がわからない人もいるかもしれません。
けれども、危機感というのは「職業は長く続かない」という危機感です。
 
写真家だけだった頃は、「このままギャラリーとかアートフェアで発表を続けても、業界内で知名度が増えるだけで広がりがないぞ」と思っていましたし、デザイン事務所にいた頃も「このまま労働生産性を改善できなきゃ、まじで死ぬぞ」と思っていたら体を壊しましたし、独立した今も、お客さんに頼りにしてもらいそこそこ稼げていても、このまま老後まで安泰な職業だとは思っていません。
いつも、仕事や環境に対して危機感を感じています。
 
だから、手足をばたつかせては、新しい要素を取り入れてみたり、新しいことを始めてみたりするわけです。
そうやって撒いた種は、すぐに芽は出ないけれど、人から頼ってもらえることは、いつの時代も、1年以上前から動いていたことでした。
どの種が芽が出るかはわからないのです。
人と話していると、「あれ?俺、この人の抱えている問題の解決策を経験しているぞ」と気づくのです。
そこで初めて、「あぁ、あの経験が役立った」となります。
そのためには、いつの時代も、動き続けている必要があるのです。
部屋の中でできることでも、外に出る必要があることでも、いつも動き続けるのです。
 
そうしていると、不安はあっても、不安に押し潰される暇はないんです。
「全部趣味」って言っているぐらいだから、手足を動かして考えて仕事をしているのはとても楽しいです。
いつも、いつの間にか夜になって、「あぁ、お風呂沸かして寝なきゃ」と思って寝ています。
英語の勉強をしたり、デザインをやったり、写真を撮ったり、新しいことの準備をしたり、毎日が動いているし、手足をばたつかせて、動かしているんです。
それが、いつの日かの役立つ経験になるかもしれないってことです。
 
もしも今、不安を抱いているのなら、それは動いていない証拠です。
不安をなくしたいのなら、動きなさい。
これは、自分にも言い聞かせていることです。

単純な能力こそ大事な理由。

2020.1.13 ビジネスの健康, 初心者のためのデザイン心理

昔のやり方と変えた方がいいものと、変わらないでいいことというのがある。
とても当たり前なはじまりになってしまったが、しばしば思うんだよね。
 
昔のやり方と変えた方がいいと思う代表例は、「あの頃はよかったんだぞ」と言われているようなことだ。
高度経済成長の時代や、バブルの時代をバリバリ働いていた人たちが、当時を懐かしんで、美化して話している内容は、ほとんどが今では通用しないことだ。
むしろ、当時の日本の経済成長の中身を見てみると、まったく低い労働生産性だったことは、周知のことだ。
高度経済成長と言われていた時代も、円とドルとの関係によって、成長が促されたという説だってある。
これを物語るかのように、やはり労働生産性は当時から低いのが日本だったのだ。
今更ぼくが言うことでもないが、GDPは「人口×労働生産性」なのだから、人口が多ければ、自ずとGDPは高くなる。
日本の一億人超えの人口は、世界的に見てもトップクラスの多さなのだ。
 
一方で、昔から変わらないでいいことというのがある。
それは、人間としての能力だ。
だから、正確には「変えようがない」と言った方が適切だ。
マンモスを追いかけていた頃から現代に至るまで、人類の脳味噌は変わっていないと言われているが、そこまで遡らなくても、現代人と呼ばれる人間の能力が変わっているはずもない。
それにも関わらず、現代人は昔の人に比べて、基本的な能力が低くなっているのではないだろうか。
それは、ここ50年ぐらいを見ても言えるだろう。
それは、どの職業においても「単純なこと」をさせてみると、能力の低さがよくわかる。
 
例えば、デザインという仕事で言うと「文字間隔」だ。
現代っぽい文字感覚もあれば、昔っぽい文字間隔というのはある。
だが、大前提として、「ちゃんとしている文字間隔」があるのだ。
それが、できない人が多い。
ぼくらの年代でも、かなりの人数ができない。
 
これは、それを身につけなくても、お金を稼げるようになってしまったということだ。
この代償は、安い仕事が増えているということでもあるのだが。
「ちゃんとしている文字間隔」を現せないデザイナーが増えると、基準となるレベルが下がっていく。
基準値が下がって、生じるのは金銭的価値が下がるということだ。
 
なぜならば、作ることはできないけれど、それがわかる人は「ちゃんとしている文字間隔」を現せる人のお客さんとなる。
すると、お客さんが確保できない「現せないデザイナー」は、わからない人(文字間隔などどうでもいい人)をお客さんにするしかなく、そういう人というのは値段を下げるしかなくなる。
差別化というのは、「ちゃんとした能力」がある人たちによって行われている方法であり、そうではない人たちが利益を上げようとすれば、薄利多売の方法をとるしかなくなる。
そして、数として、デザイナーもお客も、「わからない人たち」が多くなってしまうのだから、下がった基準値が日本産デザインのスタンダードとなっていき、業界全体が薄利多売の方法をとるようになっていく。
工場製品と違って、人の手を動かす業種での薄利多売の方法が先細りなのは目に見えている。
 
何もこれはデザイン業界に限った話ではないと思う。
演劇の舞台でも「ちゃんと立てる人」が少なくなっていると聞いたことがある。
知識は増えているかもしれない。
だが、知識を活かすための、土台となる能力が低ければ、増えた知識が活かされることもない。
頭で何でも解決できると思ったら大間違いだ。
手足を動かしてこそ、「ちゃんとした能力」というのは身に付く。
横着がってちゃいけないよ。