読んでくれてありがとうございます。

2018.8.11 日々のこと

こうやって日々ブログを更新していると、「なんとなくはじめる」こともいいもんだな、と思ったりします。
書くことって、あるようでないと思っていると書けなくなるんですよね。
使命感を持っていても、疲れてしまっていつかは書けなくなる。
ま、あとは忙しさに書けなくなってしまったりね。
 
こういったことで、以前はブログの頻度が落ちてしまっていました。
けれど、年も重ねて、再び毎日ブログを書くということをはじめて気づきました。
 
それが冒頭の「なんとなくはじめる」というやり方です。
書くことが思いついていなくても、パソコンを開いてメモアプリを立ち上げる。
真っ白のメモから視線を上にずらしていき、空中を眺めながらネタを探していく。
日々のことを書いているのだから、ネタを思い出すと言った方が適切かもしれませんね。
ネタをいくつか思い出したら、「特定の誰かを攻撃していないネタ」かどうかをちょっと考える。
さらに、「良いこと言っている風になっていないネタ」かどうかも、ちょっと考える。
「ちょっと面白いかもと思えるネタ」だったらラッキー。
こうして書きはじめる。
 
ただ、これだけなんです。
もしも、このブログを毎日見てくれているヒトなら、ぼくのろくでなしの部分や、怒りっぽい部分なんかも分かってしまっているでしょう。
こうやって続くブログですが、ちょっとずつ反響をもらえているのが嬉しくもあるのです。

テーマに則らない。

2018.8.10 日々のこと

もうね、まれにみる疲れを感じております。
今日なんて、歯の被せ物が取れちゃったし。
(関係ない?)
こういう場合は、書くことも卑屈になりそうなので、未投稿ネタから、掘り出しちゃうもんねー。
 

そういえばテーマに則らない雑談が少なくなったなぁ、と思いました。
お茶を飲みながら、ちょっと真剣に、でもふざけてたり。
いま「お茶」って言ったけれど、お茶を想像しても緑茶やほうじ茶やコーヒーなんかもあるわけで。
どれを思い浮かべたかが、「そのヒトらしさ」になっていく。
「おいおい、俺は番茶だぞ」とか、「俺は自力で飲めないぞ」とかね。
これが「そのヒトらしさ」になっていく。
(思わず二回も言っちゃったぜ)
 
こういう雑談を仕事を交えながらすることが減ってきているなぁ、と思っていましたが、独立してからは、雑談ができるヒトを依頼人に選んでいる気もしなくはないです。
「そんな暇ないよ」と馬鹿にした人もいるでしょう。
でもね、案外、こういう方が仕事って進むんですよね。
 
会社にいた頃だと「茶でも行こう」と社内のヒトたちを誘えるけれど、会社外のヒト同士だと誘い文句って難しいぞ、と思っています。
お酒を飲みに行くのとは違うんですよね。
食事会はもっと違うぞ。

重ねる年。

2018.8.9 心の健康, 日々のこと

本当に何でもない話をします。
最近、同年代のヒトたちと会っていて出てくる言葉があります。
 
「俺たちの頃じゃありえない」
 
ま、ぼくらよりも若いヒトたちと仕事をしていて出てくる言葉なんですが、おそらく、どの年代の先輩たちも言ってきたことでしょう。
たぶん、ぼくも言われているはずです。
 
それで、ぼくらはいつ頃から言い始めているのだろうか、と考えてみると、やはり、この歳(36)ぐらいから言い始めているような気がしています。
30歳ぐらいのときに、年上の方々がぼくらよりも若いヒトたちをさして言っているのを聞いていたときも、「そんなものか?」と軽く聞き流していたような気さえします。
 
いやね、何の話でもないんです。
 
ただ、こうやって年を重ねていくのか、と可笑しくもあるのです。
同年代で集まれば、いつの間にか健康の話になったり。
食材に興味を持ち始めたり。
社会への貢献を考えるようになったり。
社会と自分の関わり方の落とし所を見つけたり。
それでもやっぱり、もがいたり。
こういう変化が、年を重ねるってことなのかなぁ、と可笑しくなるのです。

言わない言葉。

2018.8.8 ビジネスの健康, 日々のこと

言葉というのは、本当に難しいと思っています。
伝える側と伝えられる側がいるだけのことなんですが、この間を飛び交う言葉の扱いは、とても難しいです。
 
技術的と言われるような職業において、できない弟子に対して師匠が「バカヤロー!」と怒鳴ることもあるでしょう。
「なんでできない!」と怒鳴ることもあるでしょう。
年上のヒトたちの話を聞くと、これが当たり前。
今でもこれが残っている現場はあるでしょう。
ぼく自身も言いたくなるときはあります。
 
でも、言ってもしょうがないんだよなー、と思っています。
 
「できないことには理由がある。」
「できないことを細かく分解する。」
「細かく分解したものにできるものがなければ、さらに細かく分解する。」
「できるものが出てくるまで分解する。」
「そうして、できるものからひとつずつ習熟していく。」
 
おそらく、現代のビジネスで言われていることって、こんなところでしょう。
 
でもね、この分解ができていたら、はじめっからできるっつーの。
それに「見えなくなる」ときってあるんですよ。
できなさに取り囲まれて、本来の力を失い、見えなくなる。
見えなくなったヒトたちに、ビジネスの理想論を語ったところで、追い詰めてしまうだけです。
 
だからね、「言わない言葉」というのが、本当に必要だなと思っています。
「見守る」っていうことです。
失敗していいタイミングで失敗させる、とか。
若いうちなんですよ、失敗しても許されるのって。
だって、失敗をカバーしてくれる年長者がいるでしょう。
致命的な失敗なら、失敗する前に、彼らが動きますし。
 
理想論でなんでも議論で解決できると思っていると、ヒトって疲れてしまうんですよ。
失敗を失敗と経験させることも、若いうちに経験しといた方がいいことです。
 
ま、何でもかんでも口を出すのは、子離れできない親と一緒なんでしょうかねー。
(子どもいないのでわからない)

休日に「目黒シネマ」。

2018.8.7 おすすめ, 日々のこと

休日にすることの候補としてかなりの頻度で挙がる「目黒シネマ」さん。
自称「映画好き」「映画オタク」「映画マニア」「映画フェチ」「映画変態」、、、こういったヒトたちのツボをおさえるのが上手いんだ。
 
今回は着ぐるみが見られなかったけれど、手作りのパンフレットは健在。
こういうことに洗練さを加えては台無しになる。
 
映画館という暗闇の部屋には、たった2時間の濃密なドラマがあるんだ。
現実にはないドラマを求めるヒトたちが集う場所だ。
若者も中年もひとり客が多いのが、名画座らしいのかもしれない。
もちろんカップルで来るのもオーケーだぜ。
持ち込みもオーケーだぜ。
つまり、名画座でもあるけれど、ぼくらがまだ中学生だった頃の大きな映画館と同じってこと。
 
さすがに、劇場内は禁煙になっているけれど、やかましいマナー広告はない。
だって、劇場の外に一歩でも出れば、マナーの喧騒に溢れているだろう。
そんなに騒ぎ立てなくたって、映画好きが集まれば、映画のためのマナーは守られるんだぜ。
 
スナックにペプシ。
暗闇のなかのドラマ。
2時間だけの夢の世界。
椅子が揺れなくても、3Dメガネがなくっても、映画はほんっとうにいいもんですね〜。