終わりを考えること

2013.7.28日々のこと

紀里谷和明さんの短編を観ていて、「あぁ、本当にそうだ」と感じました。主旨は違うかもしれませんが、空がこんなにも青いというだけで僕は幸せになります。以前にも話しましたが、僕は自然の中に入ると、ただ寝そべって何もしません。食料が欲しいときは食料を探しましたが、今のようにその日の内に帰ってくる場合は、寝そべっているだけです。
 
人間が作った社会システムや偏見、「こうじゃなきゃいけない」という思い込みや恐れの総体を相手にして、せめて自分よりも若い人達が馬鹿みたいな苦労と遭遇しないで済むような社会にしたいと動き、話していること。けれども、自然の中に帰ると「こちらが自分の終の住処だ」と再認すること。
 
どちらも真実ですし、いつ死ぬかわからないのが人生ですが、終わりを頭の片隅に置いておくのは、順序立てて今を考えることができます。
 
真面目風だったり、取り繕ったりすることが日本の世の中を流れるのに適しているのでしょうが、でもね、終わりを考えないでいると、裏で批判をしているイエスマンの完成でしょ。だったら、ちょっとした時に、終わりの瞬間、どうありたいか、どういう自分でいたいか、どういう社会にしていたいか、を考えても損はないはずです。

コメントを書く