「金のため」も1つの選択肢。

2014.10.25日々のこと

ふと思ったのだが、「金のため」という選択肢を持っておく必要もあるだろう。昔は、「金のために作品を作っているのか?」と悩み、倒れたこともあった。その当時は、「金のため」というのは一種の悪だと考えていたし、それ以降も「これを最上位の価値と思っている人を、否定するつもりはない」程度に思っていた。
 
だが、その選択肢を無理に最上位に持ってくる必要性はないが、それでも、「金のため」という選択肢を持っておく必要があるかもしれないと感じているのだ。
 
特に今、その選択肢を持っていないために、完全に逃げ道や心の担保が足りなくなりそうな状況だ。「時間」、「労力」、「金銭」、「感情」のコストとメリット——あぁ、そうだ。昔のガツガツしていた頃とは違い、安心しているために、僕は今、「金銭」のメリットを、全く失っていた。
 
昔の感覚を、ちょっとだけ取り戻していこう。

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