Archive for 2019.7

転職とセカンドキャリアの違い。

2019.7.26

セカンドキャリアについて考えていたら、転職を繰り返す人には、その概念って当てはまるのだろうかと疑問を持った。
スポーツ選手の引退後のセカンドキャリアとして、農業支援のプロジェクトをやっていたこともあって、セカンドキャリアについて考えることは度々ある。
だが、考える対象となる人たちに共通しているのは「加齢や怪我、病気などによって、望まれるパフォーマンスを発揮できなくなり、何かを引退、もしくは続けられなくなった」ことだ。
 
スポーツ選手が引退後に農業をやったり、整体師になったり、経営者になったり。
勤め先を定年退職して、その経験を活かして外部顧問やセミナー講師になったり、今までと関係なく飲食店をはじめたり。
なんにせよ、共通しているのは、自分の意志とは関係なく最初のキャリアが終了した人であることだ。
そう思うと、自分の意志で転職を繰り返している人の場合、セカンドキャリアとは言わず、転職や起業って言うんだろう。
 
なんでこんなことを考え始めたかというと、セカンドキャリア支援というものが、その内生まれるんじゃないだろうかと、直感的に思ったからだ。
似たようなものはすでに始まっていて、定年退職者の再雇用もちらほら見かけるようになった。
同じ企業にもう一度勤めたりということも聞くし、家電量販店にも求人案内のポスターが貼られていた。
今挙げたのは企業主導のものだけど、行政もいつの日か始めるんじゃないだろうかと思ったんだ(知らんけど)。
 
そうしたら、セカンドキャリアを定義しなきゃ、支援対象者と非支援対象者を分けることができなくなる。
前の仕事の期間と新しい仕事の期間とか、何かしら分け方はありそうだ。
定年退職の後に飲食店をはじめた人と、飲食店をやりたくて退職してオープンした人、前のめりな意志は、後者の方がありそうだもんな。
でも、セカンドキャリアって言うぐらいだから、前者にも意志はありそうなんだよな。
キャリアって言うぐらいだから、何の考えもなしに仕事をしようとは思わないもんね。
 
働き手である高齢者は多いけれど、その人たち全員が「働きたい」と思っているのは違うだろう。
先週、定食屋で相席になった隣のおっちゃん達は「今更、30代のようには働けない」と口々に言っていた。
だから、人と接点は持ちたいと思っている人でも、働き方を選びたい、ということだろう。
 
このことはもう少し、考える機会を持ってもいいかもな。

欲求よりも、姿勢が勝つか。

2019.7.25

「ノウハウがゼロになる」
 
この言葉を読んだとき、「あぁ、そうだよなぁ」と思った。
たしか、ニュースサイトでネンドの佐藤オオキさんが語っていたことだったと思うんだけど(違っていたらごめん)、クライアントの担当者や決定権を持っている人がころころ変わると、プロジェクトがうまく進まない理由について、冒頭の言葉を話していた。
 
プロジェクトというのは、積み木を重ねるようなもので、土台がひょろひょろしたまま高くて目立つ、見た人が「いいね」と言う物体はできない。
この時の「見た人」は「ユーザー」、「いいね」は「購買行動や拡散行動」、「物体」は「プロダクトやサービス」、そして「土台」は、「プロジェクトを進める上での知識や要素」であり、知識や要素の中に「デザインのノウハウ」も含まれている。
このデザインのノウハウをクライアントと共有しないと、ひょろい土台をつくることを選択してしまう。
予算が無限にあり、納期も無期限というプロジェクトはないだろうから、数々の制約条件の中で、最大限の効果を発揮するデザインをつくるためには、ノウハウは不可欠だ。
しかし、担当者や決定権を持っている人が変わると、共有したノウハウはゼロになる。
 
それだけならまだいいが、新任の担当者というのは「自分の貢献度」をつくる欲求もある。
手っ取り早いのが、今までのものを否定して、自分の土俵に持ち込んでプロジェクトを進めることだ。
もっと露骨になると、新任者が、自分の息のかかった人員を用意する(転売屋はこの方法)。
これらは、ノウハウがゼロになるどころか、マイナスになる。
 
だから、担当者や決定権を持っている人が変わると、たいてい、マイナスからリスタートする。
担当者がころころ変わり、マイナスからリスタートすることを何度も続けていれば、プロジェクトは進まない。
これを避けるためには、新任者は以前のノウハウを吸収するところから始めるのがいい。
自分の貢献度をつくる欲求に、「教えてもらう」という姿勢が勝つかどうかが、別れ道なんだろうね。

続けることで向くようになる。

2019.7.24

転職相談を受けるとき、今の状態を聞き、そこから考えられる選択肢を列挙するところまでは会話の中でするが、どれを選んだ方がいい、ということは言わないようにしている。
相談者としては、引き止めて欲しいか、辞める背中を押して欲しいのだろうが、辞めるときというのは、誰が何と言おうと辞めるものだし、引き止めて欲しいときというのは、何か交渉を会社としようと腹づもりがあるものだ。
相手には申し訳ないが、ぼくはこの両方の思惑に乗らないようにしている。
相談者がどこまで考えているのか、まだ見つけていない考え方や選択肢があるのかを会話で聞き出し、それを相談者と一緒に見つけていくことしかしない。
その先は、相談者自身が決めるべきことだ。
 
しかし、辞める理由にならないことを、辞める理由にしようと見受けられたら、「それは理由にならないよ」と伝えるようにしている。
頻繁に聞くのは「自分には向いていない」という理由だ。
 
「この仕事は自分には向いていない」と言う人は、どこかで仕事を勘違いしているし、向いているか向いていないかの判断ができるほど、その仕事をやり込んでいないことが多い。
そもそも、どんな仕事でも、最初は誰もが「向いていない」ものだ。
 
ぼくでさえ、デザインや写真ということを仕事にできているが、数えてみたら、写真は17年やっているし、デザインでさえ13年続けているのだ。
今、瞬間的に分かることやできることも、1年目のときは思い浮かばなかったし、できなかった。
できたとしても時間がかかっていた。
1年目のときに、この仕事が向いているかどうかの判断をしなければならないのなら、「向いていない」と言わざるをえなかっただろう。
それを、我慢して、努力して、続けることで、ちょっとずつ「仕事に向いている」ように自分を仕向けてきただけだ。
どんな仕事でも、続ければ「向いている」ように、頭と体が変化してくる。
 
これが分からずに、「自分には向いていない」と言って、仕事を辞める人は、たいてい転職を繰り返しているし、キャリアダウンしているように見受けられる。
続けなきゃ分からないことだって、あるもんだ。

引き算のアイデア。

2019.7.23

先日のアイデアの話、「1+1=3以上」と書いたが、他にも「2-1=3以上」もある。
前者の足し算は、主に伝統工芸系や職人系の企業に足りない考え方で、後者の引き算はIT系やベンチャー企業に足りない考え方であることが多い。
 
あれもこれも伝えすぎていて、何が強みなのか分からないとき、引き算のアイデアが必要になる。
情報処理の観点で言うと、人間は三つが限界だ。
たくさんある情報を、いくつかのグループに分けて伝わりやすくするのもいいし、伝える情報を強化するために、優先度の下がった情報を切り捨てることもいい。
そうやって、情報量を減らすことで、伝える内容に強度が増す。
 
グラフィックにおいても同じだ。
ここ4〜5年でロゴの複雑化が流行っているが、情報としてはシンプルな方が視認性は高い。
流行っているトーンを採用することで、「今」は目を引きやすいかもしれないが、流行りというのはそれだけ寿命も短いということ。
なので、サービスやプロダクトのロゴとしてなら、複雑なロゴを採用するのもありだが、企業ロゴで複雑なロゴを採用するのはやめた方がいい。
サービスやプロダクトなら、「リニューアル」「新発売」という売り方が可能になるが、企業のリブランディングを何度も行えば、目新しさよりも、足場の定まらない企業と思われるか、その都度、スタートアップ企業と思われる可能性があるからだ(ほとんどの企業が、新聞広告でリニューアルの挨拶をしていないから、この兆候は顕著に働く)。
シンプルな方が寿命が伸びることは、覚えておいた方がいい。
 
情報を減らして、伝える内容を強化すること。
シンプルな方が、情報の強度は上がること。
 
引き算のアイデアもお忘れなく。

若さのカード。

2019.7.22

それぞれの人には、その人が持っているカードがある。
若さ、体の強さ、機転、配慮、丁寧さ、知識、お金、時間、身長、外見の良さ、語学力、器用さ、人種、国籍、性別など、挙げればキリがないほどカードはある。
親のコネやネームバリューだって、カードだ。
だが、自分がどのカードを持っていて、社会で必要とされるカードかどうかは、あまり考えることは少ないんじゃないだろうか。
「持っていると思っていたカードを実は持っていなかった」なんてこともあるだろうし、その逆は多そうだ。
 
冒頭で挙げた中に含まれていて、誰もが持っているけれど、いつか失うカードがある。
「若さのカード」だ。
考えてみると、ぼくは随分とこのカードを使ってきた。
日本のみならず、海外でも野宿をしたこと。
四六時中仕事をしたこと。
暴言を吐いたこと。
酔っ払って手がつけられなくなったこと。
人に心配をかけたこと。
 
これも挙げていったらキリがないだろうが、挙げられたリストはすべて「今はできない」ことだ。
野宿であれば、キャンプ道具をある程度揃えて行うだろうし、少なくとも寝袋しか持たずに旅に出ようなどという暴挙はしないし、体力が持たない。
今でも四六時中仕事をしているようなものだが、あの頃とは働き方が違う。
事務所に勤めていた頃は、朝は一番乗りで会社に行き、帰りは一番最後に会社を出て、終電もないからカプセルホテルに泊まって、コンビニでTシャツを買って、それを着て出社していた。
朝夕の食事はコンビニ飯で、昼食は事務所近くの飲食店。
体を壊すのは当たり前だ。
 
だが、その時々で使っていた「若さのカード」。
30代に入ったばかりの頃が限界だったのだ。
だから、30代半ばに差し掛かろうとしたときに、体は壊れた。
37歳になり、鍼治療をしたり、矯正治療をしたりして、体を整えながら、どれだけ現役を長く続けられるかという考え方になっている。
 
若いときは、カードを早く使い切って、一瞬の閃光のように人生が終わることを期待していたが、現実はそんなに簡単なものではないことさえ知らなかった。
「若さのカード」がない今、あのカードを使った方がよかったのか、使わない生き方の方がよかったのか、正直に言うと、分からない。
聞く耳を持たないから使えたカードでもあったし、今思えば、そうせざるを得なかったんだろうと思える。
だから、「若さのカード」を持っていて、仕事で使いそうになっている場面に出くわすと、「そのカードを使った方がいいのか、使わない方がいいのかは君次第だが、いつか失うカードだということは覚えておいた方がいい」と伝えている。
(昔の悪さ自慢をしている人は、若さのカードを使いたい人なんだろうね)