若さのカード。

2019.7.22ビジネスの健康, 体の健康, 心の健康, 日々のこと

それぞれの人には、その人が持っているカードがある。
若さ、体の強さ、機転、配慮、丁寧さ、知識、お金、時間、身長、外見の良さ、語学力、器用さ、人種、国籍、性別など、挙げればキリがないほどカードはある。
親のコネやネームバリューだって、カードだ。
だが、自分がどのカードを持っていて、社会で必要とされるカードかどうかは、あまり考えることは少ないんじゃないだろうか。
「持っていると思っていたカードを実は持っていなかった」なんてこともあるだろうし、その逆は多そうだ。
 
冒頭で挙げた中に含まれていて、誰もが持っているけれど、いつか失うカードがある。
「若さのカード」だ。
考えてみると、ぼくは随分とこのカードを使ってきた。
日本のみならず、海外でも野宿をしたこと。
四六時中仕事をしたこと。
暴言を吐いたこと。
酔っ払って手がつけられなくなったこと。
人に心配をかけたこと。
 
これも挙げていったらキリがないだろうが、挙げられたリストはすべて「今はできない」ことだ。
野宿であれば、キャンプ道具をある程度揃えて行うだろうし、少なくとも寝袋しか持たずに旅に出ようなどという暴挙はしないし、体力が持たない。
今でも四六時中仕事をしているようなものだが、あの頃とは働き方が違う。
事務所に勤めていた頃は、朝は一番乗りで会社に行き、帰りは一番最後に会社を出て、終電もないからカプセルホテルに泊まって、コンビニでTシャツを買って、それを着て出社していた。
朝夕の食事はコンビニ飯で、昼食は事務所近くの飲食店。
体を壊すのは当たり前だ。
 
だが、その時々で使っていた「若さのカード」。
30代に入ったばかりの頃が限界だったのだ。
だから、30代半ばに差し掛かろうとしたときに、体は壊れた。
37歳になり、鍼治療をしたり、矯正治療をしたりして、体を整えながら、どれだけ現役を長く続けられるかという考え方になっている。
 
若いときは、カードを早く使い切って、一瞬の閃光のように人生が終わることを期待していたが、現実はそんなに簡単なものではないことさえ知らなかった。
「若さのカード」がない今、あのカードを使った方がよかったのか、使わない生き方の方がよかったのか、正直に言うと、分からない。
聞く耳を持たないから使えたカードでもあったし、今思えば、そうせざるを得なかったんだろうと思える。
だから、「若さのカード」を持っていて、仕事で使いそうになっている場面に出くわすと、「そのカードを使った方がいいのか、使わない方がいいのかは君次第だが、いつか失うカードだということは覚えておいた方がいい」と伝えている。
(昔の悪さ自慢をしている人は、若さのカードを使いたい人なんだろうね)

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