Archive for 2019

「improve」ということ。

2019.12.1

今日は、テンプル大学の秋期(冬期?)生涯学習の英語の最後の授業でした。
未だに聞き取りも書き取りも間違えますが、先生から「レベルアップしている」「もっと試しなさい」「今よりも上のクラスにチャレンジしなさい」と励ましてもらえるのは、嬉しいものです。
特にここに通って印象深かったのは「improve(改善する)」ということ。
何度も、この単語を言ってくれました。
仕事の説明をするときに、「Design create our future.」と言ったら、「Design improve our future.」と修正してくれたこと。
もちろん、文脈の意味合いもあるでしょうが、「改善する」ということの存在を意識しました。
仕事だと「改善」というのは当然行わなければならないこととしてありますが、それ故に、改善の先にある「成長」に意識を向けがちです。
昔から耳障りのいい単語には気をつけるようにしていましたが、成長って言った方が、聞こえがいいでしょう。
「改善」という言葉は、ちょっと泥臭い言葉です。
でも、ゼロ地点を動き出したときから、改善の歴史が始まります。
そういう意味では、ぼくらは生命が芽生えたその瞬間から、「改善」を繰り返してきたのです。
英語の授業で、先生が何度も「improve」と励まし、褒めてくれたことで、「改善」の根っこにある意味が、わかったような気がしました。
これに気がついてから、ぼくは仕事でも「improve」という単語を、以前よりも使うようになっています。
改善するためには、どんな目的で、どう改善するのかが必要ですからね。
けれど、今回を通して気がついたのは、「どんな目的」よりも「どんな理由」だった気がします。
授業の内容がビジネスクラスだったわけじゃないので、そうなのかもしれませんが、「improve」って、もっと日常的に、もっと原初的に存在していることだとわかったんですよね。
英語の授業で、理由を話すことが多かったのも、ぼくにとってはいい体験でした。
英語を習う理由から始まり、好きな食べ物の理由、気に入っている持ち物の理由、行きたい国の理由……改めてこんなに考えたことも久しぶりでした。
ぼくは今、improveなんだな〜。
「改善」と「励まし」は、人を勇気づける。

リニューアルは命を終わらすことでもある。

2019.11.30

リニューアルをするときの考え方を質問されたので、おそらく答えにはならないだろうと思いながらも、答えたことがある。
 
リニューアルのときの考え方。
それは「人殺しと呼ばれてもやる覚悟」だ。
ぼくは、「覚悟」とか「本質」って言葉が好きじゃないが、この場合はこれでしか言い表せない姿勢だ。
 
リニューアルをするということは、「リニューアルする前」がある。
どんなに出来の悪いものでも、悪いなりに生きた時間があったわけだ。
リニューアルは、それらの生きた時間を奪うことになる。
法の上での人である法人の人生を考えて、切除しなきゃいけない部分や入れ替えなきゃいけない部分がある。
その部分の生きた時間を終わらせ、新しいものを産むのがリニューアルだ。

人によっては「リニューアル前を活かしている」と言うが、それは詭弁だ。
形が変わるというのは、それまでの形の人生を終わらすということ。
些細な変更だとしても、看板を取り替え、広告を取り替え、名刺や封筒類、ユニフォーム、ウェブサイト……様々なものが取り替えられる。
取り替えられたものは、処分される。
処分され、生き続ける時間を奪われたものがいることを、十分意識した上で提案している。
 
この考え方は、ずいぶんと原始的だが、それぐらいリニューアルというのは重いものだ。
それぐらい、法人の人生というのは重い。

まだ再独立する前の頃、ひとつひとつについてこういう姿勢を話していると、「重すぎる」と言われたことがあったが、今となっては、これに共感する人だけがお客となるので、まぁいいか、と思っている。
特にじいちゃん、ばあちゃんが共感をしてくれるというか。
ありがたいことです。

幸福指数。

2019.11.29

翌日の天気を調べるとき、「明日は雨は降らないだろうか」と思うようになっています。
今年の6月から、日本では雨の日が続いている気がしているんですよね。
実際に、育てていた枝豆は全滅しました。
過去にも雨の日が続き、冒頭のように思ったことはあるかもしれませんが、このように気づくことは初めてのことでした。
それほどまでに、雨を経験しています。
降らずとも、降りそうな雲行きだったり。
もちろん、洗濯物は外に干したところで乾きません。
そんな日々が続いています。
 
本当に今年は寒いです。
太陽が隠れることの寒さを、ここまで体験する年になるとは。
季節がひとつ進んで、毎日を過ごしていますよね。
夏は秋のような、秋は冬のような、そんな雨と低温の日々を過ごしていた気がしています。
 
そんな空模様と重なるように、気がついたことがあります。
「魂が枯渇している」
めちゃくちゃ落ち込んでいるわけでもないのに、「このまま人生が終わったら、つまらない人生だったな、でも早く終えたい」とさえ思う日々です。
今読んでいる本に出てきた「今の幸福度を10点満点で評価するなら?」というのを自分に質問してみたら、「4点」だと思いました。
一方で、妻は「10点」。
よかったです。
二人とも低かったら、困ったちゃん凜子(だから誰やねん)。
点数が低いのはわかっているのです。
仕事がつまらなくなってしまったんですよねー。
人の欲望と不安を聞くのに疲れてしまったというか。
そんなときに、デンマークデザインの秀逸さの理由を知っちゃうわけです。
そしたら、日本人に美意識を求めるなんて無理な話だと、わかるわけです。
生まれたときに、チープで軟派で虚飾と誇大なものに囲まれていたら、育ちません。
エントロピーから考えても、ぼくらのように意識的にテコ入れしなければ変わらないと。
そして、無意識化に美意識が内面化されたら、周囲と反りが合わなくなると。
こりゃあ、つまらないに決まっている。
 
「何かを変えるときなんだなー」と、早めに仕事を切り上げて考えたり、試したりする日々です。
英語を勉強している時間は、たのしい。

デザインサラブレッド、デンマーク。

2019.11.28

困ったちゃん凜子。
って、誰やねん。
そんな感じで、今は疲れ切っています。
ちょっと愚痴っちゃいますが、失礼で阿呆なことが続くと、がくーんっときちゃいます。
怒る気力すらないというかね、「叱っても治らんな」みたいな諦めです。
「諦観は悟りだよ」なんて言われたら、「あー、はいはい」とスルーしちゃうでしょう。
そんぐらい、がくーんっと疲れ切りました。
 
とは言っても、こんな調子で最後まで読ませたら申し訳ないので、今読んでいる本の話をします。
今は『幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国でのHugge(ヒュッゲ)な1年』という、デンマーク移住をしたイギリス人夫妻の著書を読んでいます。
 
タイトルにある通り、デンマークは幸福ランキングで世界一常連国です。
他にも、労働生産性の高さや、環境エネルギー、デザイン先進国、教育や福祉、レゴブロック、など話題に事欠きません。
ぼくは、ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵が好きなので、その流れでデンマークのことを知りました。
だから、エッグチェアは記憶にあっても、それがデンマークデザイナーのアルネ・ヤコブセン作だと認識するよりも、ハンマースホイの方を先に覚えていたのです。
それよりも、先にレゴに触れていたんですけどね。
そして、仕事柄、労働生産性や幸福指数には敏感になるので、どうしてもデンマークのことが情報として入ってくるんです。
 
それで、今受けている英語の授業の宿題で、空想旅行の日程を書くことになったので、ぼくはデンマークを選び、ここぞとばかりに、デンマークかぶれになっています。
デニッシュパンって、デンマークではオーストリア人が作った「ヴィーナブレーズ(ウィーンのパン)」と呼ばれていて、過去、デンマークからアメリカに渡って、デニッシュと呼ばれるようになったとか。
そんで、「デンマークの〜」という単語は「Danish」、つまり、ダイニッシュやデイニッシュと聞こえるわけだ。
 
そんなトリビアを仕入れつつ、まだ読み始めたばかりなんですが、他にも仕事に役立つことを知りました。
デンマークデザインミュージアムの館長の話を要約すると、デンマークデザインの質の高さと、1920年代から政府主導で進められた文化政策の関連性は、デンマーク人は気づかないだろうと。
その理由は、生まれたときからハイレベルなデザインに囲まれているお陰で、デザインが意識下に内面化され、幼少期には質の良い生活をするためには美しいデザインが不可欠であると理解しているということ。
そして大人になれば、機能的で優れたデザインが組み合わされた質の高い空間が職場になるということ。
だから、美しいデザインと文化政策の関係性を、わざわざ理解する必要性を感じないだろうと。
 
な、なんなんだ、このサラブレッド感は。
国民全体がサラブレッドじゃないか。
かたや日本。
華美で貧乏くさい、ごちゃついた欲望まみれのデザインを依頼する人が多いのは、やはり国民性か。
もうね、読みながら開いた口が塞がらないってことを体験しています。

知っていること、知らないこと。

2019.11.27

気づいたことがあります。
ぼくは、料理が好きなんだ。
焼肉も好きだけど、ステーキも好き。
ステーキも好きだけど、ハンバーグも好き。
だけど、感動レベルでいうと、ハンバーグが一番記憶に残っています。
同じ店で、メニューの中から選ぶ時、ステーキを選んだり、焼肉を選んだりして、もしかしたらハンバーグを選んだときは少ないかもしれないけれど、ぼくは最期の晩餐で選ぶとしたら、あの店のハンバーグと言うかもしれない。
そんな店は、ハンバーグだけです。

これは肉だけでなく、魚も同じです。
刺身も、寿司も、煮魚も、天ぷらも好きだけど、あぁ、あそこの煮魚や天ぷらが記憶に残っている。
絶対に、寿司や刺身の方が高級な価格のものを食べているのに、記憶の軍配は、調理されている方に上がります。

その代わりと言ったらなんですが、不味いものを食べた時の不機嫌さは、自他共に認めるものがあります。
食材への侮辱と、人間の欲望の最たる行為である料理を不味く作るなどというのは、それまでの人類の歴史を冒涜している気になるとか(ならないとか)。
単に不味いものを食べることが不快なだけかもしれないですが。
不味いものを食べた場合、次の自炊のタイミングで同じ料理を作って、おいしく食べるという癖まで持ち合わせています。
悪趣味と言われても仕方がないけれど、気づいたらそうしていた、いわば性癖のようなものです。
 
だから、料理をすることが好きというよりかは、調理されたものが好きなんでしょうね。
今は人の手の通った料理の方が好きですし、そういう味が好きです。
旨味も大事だけれど、食べた後に疲れない味の方が記憶に残ります。
抽出されて凝縮された旨味成分だと、疲れちゃうんでしょう。
本当に、自然と調理済み弁当やファストフードを食べる頻度は減りました。
これらがうまいってことは知っているんですけどね。
あ、マックシェイクは夏に食べちゃいますねー。
アイスはコンビニでもおいしいですよねー。
自分で作らないから、作られた味しか知らないってことなんでしょう。
知っているから求めてしまう。
知らないからこれで満足する。
デカビタCやネクター、チチヤスソーダやレモンスカッシュもそうだな〜。
全部、清涼飲料水やんけ。