Archive for 2014.4

洗脳されないために

2014.4.27

「持たない自由」があるのなら、「持つ自由」もあるはずだ。要は、「自由があること」に気付くかどうかってことなのだ。消費社会に飲み込まれているように、「持たないこと」に躍起になることも、同じように洗脳されているだけだろう。どちらも「アリ」で、その都度、どちらを選んだり、折衷案を生み出すかどうかだ。

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世界が許すこと

2014.4.20

気づけば4月も終わりを迎えそうで、このペースで年末になっていくのだろうと思うと、「人と有意義な時間を過ごしたい」と思うことが強くなる。

コミュニケーションは誤解で成り立っているものだが、心地良い共感が双方にあるかどうかが鍵になる。伝わりすぎても疑念が生まれるし、理解されすぎないのも苛立ちに発展する。それは双方ともに責任を持っているのだが、心地良い誤解で進んでいくためには、許容する心の大きさにかかっている。

しかし、「コミュニケーションは伝わるもの」だったり、「伝わらなければいけないもの」と思っていると、伝わらない雰囲気に耐えられなくなる。

つまりは、諦観の見方をどれだけ持っているか、そのためには多くの壁とぶつかってきたボロボロの心身を有することになる。傷を舐め合うだけのことを世界は許すことができるのだろうか? いつの間にか世界は隣人を疑い、友人を疑い、弱みを見せないでいることしかできないものになってはいないだろうか?

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生きるための心地良さ

2014.4.18

最近、週に一回は決まった時間にセンター北にあるカフェに行っている。ラフを描いたり、その週の予定をまとめたり、今後の展開を考えたりなど、仕事のベースとなることをこの場所で片付けていることが多い。居心地がよくテーブルも広く、アイスコーヒーの量も多く、店員さんも素敵な人達が多い。それにも関わらず、気になるほど混んでいるわけでもなく、むしろ時間帯によってはお客が2〜3人のときもある。
 
ここもそうだし、マッサージも、飲みに行く場所も全て、住んでいるところから電車も時間もかけてわざわざ行くところである。
 
数年前までは考えられない事態だが、場所や居心地にお金と時間を払うということは、何ら苦にならなくなっている。それよりも、残り少ない人生、心地良さが必須になっている。インスタントやコンビニエントである利点を重視するときもあるが、人はそれだけでは灰のようになってしまう。生きるには、心地良さが必要なのだ。

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ベースの上の選択

2014.4.13

昨日は、月一回のマッサージ。指名はしないので、施術者がほぼ毎回異なる。今回で5人の方に施術してもらったと記憶するが、人によって施術の仕方が異なるのに、効果はほぼ一緒なのだから面白い。そして、施術後の会話も人によって異なるが、始めた動機を聞いていると、それも十人十色なのだ。
 
店舗の質や雰囲気を守るためのベースルールは守られているので、別物の印象は全くない。施術の仕方も同じように揃えていると思われるお店を試してみたこともあったが、施術後にはどこか気持ち悪さがあった。
 
昨日、施術者によってやり方が異なる話になり、すると「患者(?)によってもやり方を変えている」ということなのだ。体重差がありすぎる人や、柔らかさの度合いなどでその人と自分にあったやり方を選択しているとの話を聞けて、感動したのだった。
 
当り前の話だが、患者(?)も施術者も人間であり、個体差がある。ベースがなければ話にならないが、ベストの結果を求めるのなら、全く一緒ということはなく、その都度変えていける力が必要なのだ。
 
クリエイティブ、カウンセリング、マッサージ——全てが同じことなんだ。

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過去と今

2014.4.12

当り前の話だが、ファインダーを覗いてみると、目だけで見ている様子と異なって世界が見える。狭くなった分、情報が整理されたようにも思われるが、視野が狭くなって自分が捉えたいものを狙っているのだ。その後、プリントをしてみると、ファインダーで覗いた以上に現実と異なった世界が現れていることに驚くとともに、余計なものが写っていることに落胆する。それが、写真の始まりだった。
 
いつしかこれらのプロセスは、「作品をつくること」として括られ、自分の頭の中で描いた世界を実現するために、ファインダーから狙いを定めるかのようになっていった。現像からプリントまでのプロセスも、その世界へ一歩ずつ近づくために集中力を鋭くさせていき、思い描いていた世界からの乖離を許さなくなっていった。
 
しかし、iPhoneで撮るようになってから、乖離さえも楽しめる余裕が生まれ始め、今、ファインダーを覗いて撮る行為は、仕事とはいえ、楽しさが混ざっている。

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強い人間

2014.4.6

デヴィット・フィンチャー監督作「ファイトクラブ」を、久し振りに観た。たしか、初見は高校生の頃であり、「二重人格の話か」と思っていた。しかし、最近気になったので再び見みると、今の日本を風刺しながら、個人の肉体へと還っていく欲望を、的確に描いている映画だった。
 
ライフスタイルを謳って物を買わせる大企業、それを知りながらも遅れを取らないために買う消費者。口論や激励はしても、拳の痛みを伴う喧嘩をしない人々。そして言う——「お前は物に支配されている。」
 
その後、生活の空虚さを埋めてくれる場所を提供してくれる主人公達に、人々は追従していく。仲間が一人死んでルールが増えていく様は宗教のようだが、それでも、それぞれが単独で動いていく組織は強い。
 
こういう組織を作りたいのか、それとも、物に支配されない生き方を選ぶだけにとどまるのか。ただ、ルールがありながらも単独で動ける組織は、別のことで使えれば、とても有益だ。

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機械音を消していく

2014.4.5

すべての音という音がうるさすぎて、PC以外の電源をおとした。「PCってこんなに音がするんだ」と気付くほどの静かさになる。外の音も聞こえるし、自分の呼吸音さえ聞こえてくる。お茶を飲む音、タイピングの音、鼻をすする音——人間が発生させる日常の音は、機械の音よりも微弱だが、それだけであれば、十分なボリュームになる。
 
たまには、エアコンも空気清浄機も、TVもなしが素晴らしい。

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ありたい姿

2014.4.4

自分がどんな人間か、ということを度々考えます。どう思われているか、という他人目線はどうでもいいのですが、「自分がどうありたいのか」ということは、よく気になります。自分の言動にぎこちなさが生まれているときは、必ずといって良いほど、気持ちのどこかに無理が生じているのです。そこを解消するのに、一番手っ取り早いのが、「ありたい自分の姿」を想像することでした。そして、5分後死ぬと想像すると、理想的な自分に近づきたくなるのです。

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気持ちの問題

2014.4.2

良いものが出来る予感がすると、わくわくしたり、興奮します。それは、良いものが出来た瞬間もそうですが、予感よりももっと手間の、良いものが出来るかもしれない匂いを察知しても、わくわくしたり、興奮するものです。
 
恐さもありますが、わくわくの方が勝っちゃうんだよな〜。

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