「持たない自由」があるのなら、「持つ自由」もあるはずだ。要は、「自由があること」に気付くかどうかってことなのだ。消費社会に飲み込まれているように、「持たないこと」に躍起になることも、同じように洗脳されているだけだろう。どちらも「アリ」で、その都度、どちらを選んだり、折衷案を生み出すかどうかだ。
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