Archive for 2019.8

7割の失敗。

2019.8.16

クライアントと事務所の普遍的なギャップに気づいた。
ぼくらは「打率」を上げようとするけれど、クライアントは「10割安打、あわよくばホームラン」を狙っている。
どんなに思慮深いクライアントでも、根っこのところでは「10割」を狙っている。
7割の失敗は成功ということに、気づいていないことは多い。
「ビジネスと野球の打率は違う」と言うのは、実は墓穴を掘っていて、ピッチャーの投げる範囲とバッターの選択の範囲の差と、ビジネスの顧客の範囲と顧客に売る商品やサービスの範囲の差で言えば、ビジネスの範囲の差の方が大きい。
大雑把な見方になってしまうが、ビジネスの範囲の方が打率は下がるので、7割の失敗どころではなくなる。
ちょっと身内贔屓になっているが、もちろん、事務所の人間でも「打率」の考え方をしたことがない人は多い。
そういう事務所は無理が多い。
薄利多売で引き受ける事務所はまさにそれだし、設備投資をしない事務所も打率を上げようと考えていない。
送りバントでチャンスを広げたり、犠牲フライで点数を稼ぐことだってできる。
これは経営でも同じだ。
ペナントレースを最終的に首位で通過することも、日本シリーズで優勝することを狙って、年間の勝率を考えて戦略を組んだり、チームを強化するのに、どれくらいの年数が必要なのか、助っ人が必要なのか考えているだろう。
これらは全部、「打率」を上げることと言える。
「どんなに投資をしてうまくいったとしても、7割は失敗する」ということをわかるのは、とても強い。
ビジネスの才覚があると世間から言われている人たちは、言葉を変えながら「打率」について話している。
「失敗を恐るな」も、こういうことを言いたいのかもしれない。

ばあちゃんから習う。

2019.8.15

昨日の内容でもそうなのだが、ぼくは「恩送り」というのが好きらしい。
行為としても、言葉としても、好きなのだろう。
昨日は「あげる」と「もらう」についての話だったが、勘違いしやすいのは、こういう話をすると「見返りを求める人」と思われることだ。
けれど、そう思う人のことも、わかるようになったので気にしないようにしている。
 
見返りを求める気持ちが、少なからず自分にもあることは知っている。
それでも、はじめから見返りを求めると、つまらない言動になるのを知っているから、気が向いたまま、お節介を働くことにしている。
何かを提案するというのは、お節介をしてあげていると思えばいい。
そうすれば、提案を退けられたとしてもムキにならず、「あっそ」と気にしないでいられる。
すると、お節介を働くことが当たり前となり、いつの間にか「あげる」が当たり前となっている。
 
これに気づいたとき、ぼくは自分のばあちゃんを思い出した。
ばあちゃんは色んなことをしてくれた。
ご飯を作ってくれたり、毛糸で編み物をしてくれたり、麦茶をコップに入れて冷蔵庫で冷やしてくれたり。
細々したこともあげたらキリがないほど、いろいろなことをしてくれた。
だからと言って、過干渉ということではなく、自分の仕事を黙々とやる人だった。
やりたいことだったのかどうかはわからないが、いつも何かしらをやっていて、疲れたら昼寝をする。
ぼくの好きそうなテレビ番組がやっていると呼んでくれる、そういう人だ。
 
今でこそ、こういうことは、その人が大事じゃないとできないというのがわかるが、子どもというのは、これがわからず、拒否することがある。
そんなとき、ばあちゃんは「あっそ」という感じで、それ以上勧めてこないのだ。
 
ここまで書いて思い出したことがある。
母もそうだ。
母の場合は、「親だから言ってもいいことがある」という理論で説教をしたり、言うことを聞かせようという傾向があったが、大したことでない場合は、「あっそ」という感じで、拒むことを受け入れていた。
残念ながら、母はちょくちょく立場を持ち出してしまっていたので、こういう話のときは、ぼくの中では、ばあちゃんの方に軍配が上がる。
立場で言うことを聞かせようとする傾向は、父は絶対、母はときどきだった。
だから、父と母には悪いけれど、今日の話の主役は、ばあちゃんに譲ってほしい。
 
話を戻すと、この年齢になった今だからわかる。
やさしい人とは、ばあちゃんのような人のことだ。
お節介を働かせるのが怖いとき、ぼくはばあちゃんを思い出し、ちょっとだけ勇気をもらって、お節介をあげている。

「もらう」に慣れない方がいい。

2019.8.14

ひとつ気がついたことがある。
人によっては傷つくことになる内容だから、気をつけて言葉を選ばなきゃいけない。
まぁ、こういうことだ。
 
「もらうことに慣れると、結果的に自分の首を絞めることになる」
 
「あげる」も「もらう」も、一人きりではできないことであり、二人以上の人間関係になる。
この人間関係で「もらう」に慣れてしまうと、もらうことに慣れてしまった人は、一人では何もできなくなる。
ちょっと優しく言ってみても、その人間関係において「あげる」側になったことがないと、他の人間関係で「あげる」人になることは難しい。
「もらう」は基本的に、もらう人のためにあるからだ。
けれども、どんな人間関係においても、「あげる」を続ける理由はどこにもないのだ。
それは、親子関係においてもだ。
成人した子どもを、いつまでも家に置いてあげて、家事をしてあげる、育ててあげる理由はない。
密接な人間関係である親子関係でもそうなのだから、他人同士の関係ではなおさらだろう。
けれど、公平性を求めたら、気持ち悪い関係になっていく。
だから、通常の人間関係では、「あげる」と「もらう」は曖昧に行われているはずだ。
 
労力やお金をあげる代わりに、楽しませてもらう。
できないことをやってもらう代わりに、他のことをやってあげる。
以前奢ってもらったから、今回は奢ってあげる。
こういうことは当の本人に返さなくても、誰かに貢献する「恩送り」という方法もある。
 
恩返しや恩送りをいつもしないでいると、人にコンタクトを取るときは、自分が困っているときでしかなかったりするが、そういう人はお金をあげる「お客さん」という関係にならないと、関係性は壊れる。
今はメールとかメッセージアプリがあるから、相手のコンタクトをとってくる内容の傾向がわかる。
卒業した学友でも、相談事しかコンタクトを取ってこないとか。
それとも、「飲みに行こうぜー」や「遊びに行こうぜー」なのか。
相談事やお願い事のように、もらうことしか考えていない人は、やっぱり、人生が上手く回っていないんだよな。
本人に悪気がなくても、もらう傾向になってしまっているのだ。
仕事関係でも、何かを教えてあげている人の方が、相手から直接返されなくても、なぜか全体的に上手く仕事が回っている。
あげることをしてきた人は、やっぱり、相談でも依頼でも、頼られるもんね。
こういう積み重ねが、結果として現れる年齢なんだろうね。

変わったんだなぁ。

2019.8.13

「ありがたい」と思った。
例のお寺で蚊に刺されながら、コンビニの水饅頭とコーヒーで一服しているときに、ふと思った。
仕事の締切りはあるし、やることはあるんだけど、大きな不安はなく、日々を過ごしている。
そりゃあ、波はあるけれど、ジェットコースターのようなアップダウンではなくて、浮き輪で浮かんでいられるような波を感じている。
そういう日々が続いていることが、ありがたい。
昔、アート作品を作ることに追われているときも、事務所でデザイン仕事に追われているときも、そのときの何かに切迫させられていた。
それは自分自身でもあるし、環境がそうさせていたとも言える。
兎にも角にも、精神衛生上、あまりいいものではなかっただろう。
興奮はしていたけれど、楽しくはなかったんじゃないだろうか。
いや、楽しかったのかもしれないが、楽しさを超える切迫さを、自分に課していたような気がしているし、周囲から課されていたときは、これを躱(かわ)す術を知らなかったのだろう。
そういうことが、もうなくなった。
これからのことも書こうかと思ったけれど、まだ上手く言葉にできる感覚がしないので、今日はこの辺りで締めくくろう。

気づかない。

2019.8.12

答えがないまま書き始めるけれど、神宮前の花火大会に行ってて、思ったことがある。
 
「この場所で、小学校の頃の同級生と会っても、その人が誰だか分かんないだろうな」ということだ。
 
小学校でも、中学でも、高校でも同じことだろう。
当時の友達も、卒業して会うのは一人ぐらいで、連絡をたまーにとるのはもう一人ぐらい。
それも、高校時代の友人だ。
去年、仕事で偶然再会した一人は、打合せ中に気が付いて、終わってから声をかけた。
だから、小学校や中学校の同級生というだけでは、名前は覚えていても、顔はおぼろげだったり、あだ名しか覚えていなかったりしている。
そういう人と、これだけ沢山の人がいる球場内でバッタリ出会っても気づかず、普通の他人としてすれ違うのだろう。
中学は同じで、高校で離れて、浪人でバッタリ会った友人はお互いに分かったけれど、あの頃は面影が残っていたが、今となっては、お互いに面影という名残もないだろう。
 
そんなことを考えていた。
 
大学以降は、SNSのお陰で繋がってはいるが、顔写真が上がってこない人のことは、正直わからない。
そろそろ皆んな答えを欲しがる頃だろうが、この話に答えはない。
夢の中では、昔の同級生はよく出てくるが、顔はおぼろげだ。
目が覚めて、夢の断片を思い出して、夢の中に出てきた同級生たちの、現在のことを想像してみても、まったく思い浮かばない程度なのだ。
 
そういう人がいるんだな。