「もらう」に慣れない方がいい。

2019.8.14心の健康, 日々のこと

ひとつ気がついたことがある。
人によっては傷つくことになる内容だから、気をつけて言葉を選ばなきゃいけない。
まぁ、こういうことだ。
 
「もらうことに慣れると、結果的に自分の首を絞めることになる」
 
「あげる」も「もらう」も、一人きりではできないことであり、二人以上の人間関係になる。
この人間関係で「もらう」に慣れてしまうと、もらうことに慣れてしまった人は、一人では何もできなくなる。
ちょっと優しく言ってみても、その人間関係において「あげる」側になったことがないと、他の人間関係で「あげる」人になることは難しい。
「もらう」は基本的に、もらう人のためにあるからだ。
けれども、どんな人間関係においても、「あげる」を続ける理由はどこにもないのだ。
それは、親子関係においてもだ。
成人した子どもを、いつまでも家に置いてあげて、家事をしてあげる、育ててあげる理由はない。
密接な人間関係である親子関係でもそうなのだから、他人同士の関係ではなおさらだろう。
けれど、公平性を求めたら、気持ち悪い関係になっていく。
だから、通常の人間関係では、「あげる」と「もらう」は曖昧に行われているはずだ。
 
労力やお金をあげる代わりに、楽しませてもらう。
できないことをやってもらう代わりに、他のことをやってあげる。
以前奢ってもらったから、今回は奢ってあげる。
こういうことは当の本人に返さなくても、誰かに貢献する「恩送り」という方法もある。
 
恩返しや恩送りをいつもしないでいると、人にコンタクトを取るときは、自分が困っているときでしかなかったりするが、そういう人はお金をあげる「お客さん」という関係にならないと、関係性は壊れる。
今はメールとかメッセージアプリがあるから、相手のコンタクトをとってくる内容の傾向がわかる。
卒業した学友でも、相談事しかコンタクトを取ってこないとか。
それとも、「飲みに行こうぜー」や「遊びに行こうぜー」なのか。
相談事やお願い事のように、もらうことしか考えていない人は、やっぱり、人生が上手く回っていないんだよな。
本人に悪気がなくても、もらう傾向になってしまっているのだ。
仕事関係でも、何かを教えてあげている人の方が、相手から直接返されなくても、なぜか全体的に上手く仕事が回っている。
あげることをしてきた人は、やっぱり、相談でも依頼でも、頼られるもんね。
こういう積み重ねが、結果として現れる年齢なんだろうね。

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