Archive for 2019

英語で書くと。

2019.7.29

英語で文章を書いていると、日本語特有のしがらみがない書き方になるので気持ちがいい。
英語で書いていると言っても、日本語をGoogle翻訳して、なんか変だなと思った箇所をWeb辞書で調べながら書く感じだ。
だから、あまり長いと修正ができないから、修正しやすいように短く日本語を書く。
すると、日本語のまどろっこしさや、この言葉を使うとまずいといったことがなくなる。
英語だとこの言葉を使うとまずい、ってこともあるだろうが、それは書き手が日本人だってことで考慮してくれるだろうと、勝手に思っている。
ま、逆の立場なら、そうじゃんって。
英語スキルの低さが功を奏して、日本語のしがらみをなくしてくれる。
でも、話すことは下手すぎるから、やっぱり話せる方がいいよな〜、と常々思う。

天気の話。

2019.7.28

ちょっと意味もないことを書きたいと思って、そういうときは天気について書くといい。
天気の話というのは、ぞんざいに扱っているようで、ずいぶんと橋渡しをしてくれるすごい奴だなぁと感心する。
先日の木曜日や金曜日あたりには、「いや〜、ようやく晴れましたね〜」という言葉が、東京だけでどれだけなされただろうか。
雨には悪いけれど、この言葉を言い合うことを、どれだけ人々が望んでいたか。
「いや、俺はそんな誰もが言うことは言わないぜ」という天邪鬼だって、この言葉の影響を受けている。
言ったっていいんだ。
言わなくてもいいんだ。
でも、こういう時は、素直に言っちゃった方が、安心できるってもんだ。
思えば、誰もが他人の反応を気にしている世の中になって、相手の良い反応が高い確率で予測できる言葉って、そんなにないだろう。
だから、天気の話には悪いけれど、ぼくらは天気の話にたくさん頼るんだろう。
これほど頼りになるものって、他にあるだろうか。
天気の話は「え〜、もう疲れたよ〜」と言っているかもしれないし、「任せとけー!」と腕まくりしているかもしれない。
案外、すかしているかもしれない。
天気の話と上手に付き合っていけるのが、いい大人でもあるよな。

熱量を高く揃える。

2019.7.27

チームや組織で何かをやるとき、熱量が揃っていないと、やり続けるのは難しい。
バイオリズムのように、好不調の波はあるかもしれないが、一人だけ熱量が異常に高くても駄目だし、低すぎても駄目だ。
モチベーション(動機)は揃っていなくても構わないが、モチベーションの熱量は揃っていないと、高い人が頑張り、低い人のことを不満に思うようになる。
 
そもそも熱量が低いと、活動量も少なくなる。
だから、チームメンバーの熱量が揃っていても、低いレベルで揃っていては、事は進まない。
つまり、高いレベルで熱量が揃っていないと、物事は進まないし、続けることができなくなる。
 
短期間で成果を出そうとすると、熱量が高いままチームを動かすことができるが、成果がでなくなるのはどの事業でもあり、短期間で勢いよく成果を出そうとしているチームほど、暗礁に乗り上げると熱量は急激に下がる。
すると、一人、また一人とチームからいなくなる。
 
事業というのはほそーくながーく続けた方がいい。
もちろん何年も赤字というのは困るが、十分な黒字化を果たしたら、少しずつ利益向上を目指した方がいい。
抱いた大志は、そんな簡単に達成できるものじゃないだろう?

転職とセカンドキャリアの違い。

2019.7.26

セカンドキャリアについて考えていたら、転職を繰り返す人には、その概念って当てはまるのだろうかと疑問を持った。
スポーツ選手の引退後のセカンドキャリアとして、農業支援のプロジェクトをやっていたこともあって、セカンドキャリアについて考えることは度々ある。
だが、考える対象となる人たちに共通しているのは「加齢や怪我、病気などによって、望まれるパフォーマンスを発揮できなくなり、何かを引退、もしくは続けられなくなった」ことだ。
 
スポーツ選手が引退後に農業をやったり、整体師になったり、経営者になったり。
勤め先を定年退職して、その経験を活かして外部顧問やセミナー講師になったり、今までと関係なく飲食店をはじめたり。
なんにせよ、共通しているのは、自分の意志とは関係なく最初のキャリアが終了した人であることだ。
そう思うと、自分の意志で転職を繰り返している人の場合、セカンドキャリアとは言わず、転職や起業って言うんだろう。
 
なんでこんなことを考え始めたかというと、セカンドキャリア支援というものが、その内生まれるんじゃないだろうかと、直感的に思ったからだ。
似たようなものはすでに始まっていて、定年退職者の再雇用もちらほら見かけるようになった。
同じ企業にもう一度勤めたりということも聞くし、家電量販店にも求人案内のポスターが貼られていた。
今挙げたのは企業主導のものだけど、行政もいつの日か始めるんじゃないだろうかと思ったんだ(知らんけど)。
 
そうしたら、セカンドキャリアを定義しなきゃ、支援対象者と非支援対象者を分けることができなくなる。
前の仕事の期間と新しい仕事の期間とか、何かしら分け方はありそうだ。
定年退職の後に飲食店をはじめた人と、飲食店をやりたくて退職してオープンした人、前のめりな意志は、後者の方がありそうだもんな。
でも、セカンドキャリアって言うぐらいだから、前者にも意志はありそうなんだよな。
キャリアって言うぐらいだから、何の考えもなしに仕事をしようとは思わないもんね。
 
働き手である高齢者は多いけれど、その人たち全員が「働きたい」と思っているのは違うだろう。
先週、定食屋で相席になった隣のおっちゃん達は「今更、30代のようには働けない」と口々に言っていた。
だから、人と接点は持ちたいと思っている人でも、働き方を選びたい、ということだろう。
 
このことはもう少し、考える機会を持ってもいいかもな。

欲求よりも、姿勢が勝つか。

2019.7.25

「ノウハウがゼロになる」
 
この言葉を読んだとき、「あぁ、そうだよなぁ」と思った。
たしか、ニュースサイトでネンドの佐藤オオキさんが語っていたことだったと思うんだけど(違っていたらごめん)、クライアントの担当者や決定権を持っている人がころころ変わると、プロジェクトがうまく進まない理由について、冒頭の言葉を話していた。
 
プロジェクトというのは、積み木を重ねるようなもので、土台がひょろひょろしたまま高くて目立つ、見た人が「いいね」と言う物体はできない。
この時の「見た人」は「ユーザー」、「いいね」は「購買行動や拡散行動」、「物体」は「プロダクトやサービス」、そして「土台」は、「プロジェクトを進める上での知識や要素」であり、知識や要素の中に「デザインのノウハウ」も含まれている。
このデザインのノウハウをクライアントと共有しないと、ひょろい土台をつくることを選択してしまう。
予算が無限にあり、納期も無期限というプロジェクトはないだろうから、数々の制約条件の中で、最大限の効果を発揮するデザインをつくるためには、ノウハウは不可欠だ。
しかし、担当者や決定権を持っている人が変わると、共有したノウハウはゼロになる。
 
それだけならまだいいが、新任の担当者というのは「自分の貢献度」をつくる欲求もある。
手っ取り早いのが、今までのものを否定して、自分の土俵に持ち込んでプロジェクトを進めることだ。
もっと露骨になると、新任者が、自分の息のかかった人員を用意する(転売屋はこの方法)。
これらは、ノウハウがゼロになるどころか、マイナスになる。
 
だから、担当者や決定権を持っている人が変わると、たいてい、マイナスからリスタートする。
担当者がころころ変わり、マイナスからリスタートすることを何度も続けていれば、プロジェクトは進まない。
これを避けるためには、新任者は以前のノウハウを吸収するところから始めるのがいい。
自分の貢献度をつくる欲求に、「教えてもらう」という姿勢が勝つかどうかが、別れ道なんだろうね。