Archive for 2018.11

事業利益の傾向。

2018.11.15

事業の利益がうまく上がっていく案件と、そうじゃない案件がある。
この違いを度々考えるが、特徴は二つある気がしている。
 
一つ目は、わちゃわちゃいじる案件ほど、消滅する案件になっている。
デザインをはじめとしたクリエイティブはもちろん、スケジュール、戦略、予算などなど。
たとえ、当初の数値目標を達成したとしても、その後、残った事業・企画はいまのところない。
トーンと戦略を握り合ったとしても、その後の制約で変更が多くなってしまった案件も同じだ。
これには色んな要因があるが、内外問わず関係者の欲望が強い点と、待つことができない点に共通の性質がある。
 
二つ目は、抽象度の高い言葉が使えない現場だ。
「かっこいい」「かわいい」「イケてる」「やばい」「きつい」などの言葉を使えない、もしくはこの内容を説明しなければならない現場ほど、利益は上がらない・社会にインパクトを与えられない案件になっていた。
つまり、消滅傾向は高かった。
逆に、事業主や事業担当者と「生理的に嫌い」や「これはないやろ(なぜか関西弁)」を握り合えていると、うまくいきやすい。
いいわるいはあるにせよ、結果的にいい事業・売れた商品になっている。
 
ぼくの抱えた案件だけの傾向かもしれないが、企業の大きさは関係ない傾向だ。
老舗や大手、中小、新興企業など、たくさん経験させてもらってよかったと思うのは、こういった共通項を導きやすくなったことか。

にゃ〜るほど。

2018.11.14

こういうのは気の持ちようだと思うのですが、変なものを引き寄せている気がします。
結婚前の両家顔合わせでは、仲居さんにビールをこぼされたり、先日は店舗内の通り道を塞ぐ荷物を置かれることが連続でおき、今日は椅子がベトついていて……。
まぁ、数えだしたらきりがなくなるほどの量なのです。
 
一方で、いいことを思い返していたら、ご飯屋さんの当たりくじが多いです。
釜飯屋、ダッチオーブン屋、輪島の各店舗、羊羹などなど。
「当たりくじ」と言ったように、こういうのは当たりハズレのある、くじ引きのような気がしています。
今日の椅子だって、ぼくが座らなければ、誰かが当たっていたわけだし。
ご飯屋さんの料理は、注文すればぼく以外でも食べれると思うか、ぼくの人生のなかで食べることができた出会いと思うかで、ずいぶん印象は違うでしょう。
 
ちいさなイライラが続いていた。
なにか分からないけれど、いい人になろうとしていたのも認めます。
白洲次郎さんのご自宅にあった、掘りごたつの書斎。
これほど素晴らしい書斎があったか〜、と感心しました。
これを考えていて、ふと気づきました。
 
ぼくは、ひとりになれる部屋を失っている。
それは、自由になれる部屋を失っている。
壁が孤独を生むように、壁による孤独が、人間には必要なのだなぁ。
誰かが悪いわけではないのに、イライラが募ってしまうのは、人に自由を奪われているからだろう。

白菜にアブラムシ。

2018.11.13

いろいろ書き始めては消してを繰り返しましたが、やはり、今日は「白菜」の話です。
今年の3月から市民農園を借りて、野菜を育てています。
デザイン事務所に勤めていたときに自然栽培パーティの案件を持って、独立してから自然栽培の農家さんの下で習って、今年にいたります。
情報を得て、体験で学んで、実践している。
順当な流れですが、畑が違えば、対応策も異なります。
 
これで今回しくじりました。
9月に種を蒔いた白菜が、順当に育っていたのですが、よく観察したら、アブラムシでいっぱいでした。
予想はつけられたはずです。
この場所は夏場、緑肥を蒔いて栄養分がたくさんあった土です。
栄養が多くて、夏野菜のかぼちゃも、うどん粉病になっていました。
 
ちなみに、肥料も農薬も使わないのが自然栽培という方法なのですが、ぼくもこの方法で育てていたのです。
肥料を使わなくても、土には栄養がたくさんあった。
空気中の栄養を、土に吸収させる緑肥を蒔いていた。
栄養が多すぎてかかる病気にもかかっていた。
 
白菜にアブラムシがくる予想をつけるには、十分な材料があったのです。
うどんこ病になっても、かぼちゃの収穫が十分だったり、それ以外の収穫も概ね成功でした。
ちょっと慢心でした。
さて、ここからどうすっかなと考えつつ、まだ被害が少なそうな他の葉物のアブラムシを葉から落としました。
今日の学びは、防虫ネットをつけようぜ。

白洲さん家。

2018.11.12

鶴川で見学できる白洲次郎さんの家、「武相荘」に行ってきました。
正直に言うと、白洲次郎さんのことを、ぼくはよく知りません。
政界と経済界で活躍した、テレビドラマにもなった人という認識でした。
 
なので、途絶えることのない観光客と遭遇したときには、正直以外でした。
若い人はほとんどいないにせよ、なにが人を惹きつけるのか。
家の事情で大学院を諦め、戦争にも参加せずに、東京都心から外れた郊外で農作業をしている人だった。
そんな人に皇族が会いに来たり、敗戦後には吉田茂さんに協力を要請されたり、人物史だけを見ていると不思議でなりませんでした。
 
当たり前ですが、白洲次郎さんとぼくは会ったことがありません。
だから、想像するしかないのですが、彼を突き動かし、判断させていたプリンシプル(原理)はよくわかります。
その強度もよくわかります。
これが人々を惹きつける魅力にもなっていたのだと予測もできます。
 
ただ、仮に現代にこのような人がいたとして、表舞台に立たないで、急に表舞台に立つようなことがありえるのだろうかと、考えてしまいました。
死後も、数々の人が魅了される人が現れるのだろうか。
現れないから憧れる、ということもあるでしょうけどね。
まぁ、おそらく、無理でしょう。
たとえ表舞台に立ったとしても一瞬です。
一瞬のライトを浴びた後は、醜い争いが起きるのが現代です。
 
こんなことを考えていたら、気づきました。
当の本人にとっては、関係ないんだ。
醜い争いのなかにいなきゃいいんだ。
それが、戦争に参加する都心ではなく、郊外の農地だったんだ。
そうだ、目利きとしての力を伸ばし、家を作るように、畑をつくるように形にしていけばいいんだ。
そうであれば、今までの生き方と変わらない。
舞台はどこでも同じだった。
白洲次郎さん、ありがとう。

弱さがうれしくなるとき。

2018.11.11

アレルギーを知ってから、ぼくはパンをほとんど食べなくなりました。
 
以外かもしれませんが、こうやって「できないこと」が増えると、嬉しいことも増えます。
レストランに行った際に、事情を話してコースからパンを除いてもらうと「時間はかかりますが、ご飯を炊きましょうか」と聞いてもらえたり。
もちろん、こういうことを強いているのではありません。
忙しいなかでの作業を増やしてしまいますし。
(そのため、店舗名は控えてます)
 
ま、単純にぼくが嬉しくなる、という話です。
そういうお店に、ぼくの大切なお客や家族を連れて行きたくなる、という話です。
 
話は変わり、自分の弱いところを知ったり、できないことを知る経験が、ぼくを人間らしくしてくれます。
いまの時代、自分の得意なことや、貢献できたことを主張することの方が奨励されるでしょう。
何かにおいて有能感を持たせる教育を受けるでしょう。
 
ぼく自身も短所を補うよりも、長所を伸ばした方がいいと思う方です。
しかし、目を向ける方向まで、長所のみになってしまうのは、どうかと思っています。
空腹が料理を美味しく感じさせてくれるように、長所を際立たせるためにも、弱いところは必要なのです。
いや、弱いところは弱いから愛おしいのかもしれない。
 
人によっては「大変だね」と言われるようなことでも、本人にとってみたら、いいものかもしれないのです。