Archive for 2018

友達と仕事で遊ぶ。

2018.12.1

自分も事務所という事業をやっていて度々思います。
「外の人を外の人のまま、いかにして惚れさせるか」
これ、かなり大切なことです。
企業の採用募集とも違いますし、パートナーシップを構築するのとも違います。
むしろ、友達になる感覚の方が近いです。
 
Win-Winなんて言っていたら、間違いなく外方を向かれるでしょう。
誰が得するか、どちらが得かなんてやっているうちは、こういう関係にはほど遠いです。
「迷惑をかけないように、でも力になりたいな」という関係でもありますし、「あいつを誘ったら面白いだろうな」というのはドンピシャです。
 
こういう関係を築くのが下手だと、自社に引き入れるしかなくなります。
つまり、採用になる。
誘い方が下手なんです。
雇用関係になったら、仕事上の関係でしょう。
 
そんなもんじゃないんです。
商品だって同じです。
商品を好んで使ってくれている人が、その会社のスタッフになりたいかと問われたら、案外そんなことはないもんです。
スタッフが役員になろうが同じです。
 
子どもの頃、サッカーで遊ぶように、仕事で遊ぶ友人が、会社の社員になりたいか?
困っていないのに引き入れようとするのは、とても野暮です。
CDOなどの肩書きを与えようとする人がいるけれど、全部断ります。
社員としか相談ができないのは、とても弱い。
 
モテないやつは、フラれた理由を説明させようとする。

勇気づける映画。

2018.11.30

今日(この記事が載るのは翌日の11月30日)は、妻の誕生日でした。
出かける前の数十分以外は、まったく仕事をしませんでした。
出かけると行っても、パスポートの変更届けを一緒に行って、昼飯を食べた後は、途中、別行動を挟みました。
別行動の後は再び合流して、一緒に妻のケーキを買いました。
 
前置きが長くなりましたが、今回の話は、別行動中に観た『ボヘミアン・ラプソディ』です。
ぼくが説明するまでもなく、クイーンの伝記的映画です。
ぼくは、これまでクイーンの音楽にはそれほど触れてこなかったので、映画として純粋に楽しめました。
 
マイノリティであること、他人同士の家族であること、エモーショナルであること、喧嘩をすること、そして、ロックスターであること。
事業をしていて、度々思うことと重なります。
 
マイノリティであることは、これまでの世の中に反発もするし、それまであったものでは満足できないということです。
それは、一般的じゃないってことでもあります。
だから、就職をするのではなく、事業を興すのです。
反発をするには感情的になりますし、お客さんがファンになるのも感覚的に好きになり、惚れたからです。
説明しても足りない気持ち、それが感情です。
言い得て妙というには、あまりにも優等生すぎる。
 
けれども、そうして反発してきたのに、ロックスターになるということは、一般的人気を得るということです。
この逆説が起きるのが、物事のはじまりと過程と終わりです。
この繰り返しが、いつの時代も起きるんだよなぁ、と思いつつ、何も思うところがなければ、何かをしようとすることもないんだぜ。
そんな毒にも薬にもならないことを考えていました。
デザインという仕事は、ロックスターの卵に勇気を与えることでもあるんだよな。

すべては選ぶことから。

2018.11.29

ぼくはビジネスの現場で、質問の答えがどちらでもいいのに、質問をするときがあります。
こういうとき、ぼくが知りたいのは「相手は選択しているかどうか」です。
 
人が何かをするとき、悪いと思ってやることは、通常はほとんどありません。
事業だったら、なおさらでしょう。
つまり、人は何かをするとき、いいと思ってやっているのです。
 
けれども、この「いいと思った方法」はこれだけを思いついただけなのか、それとも、他の方法も考えた末に選択をしているのかで、その後の結果への対応の分かれ目になります。
 
どんな「いいと思った方法」であれ、その方法の結果が100パーセント、いい結果になるとは限らないです。
むしろ、誰かにとっては悪い結果になっていることの方が自然です。
 
ひとつの方法しか思いつかなくて選んでしまうと、その方法を悪く考えることは難しくなります。
「悪いと思ってやる」ってことは、通常ほとんどありませんからね。

そのため、悪い結果になった人が現れると、その人への対応が後手になります。
いわゆる「サービスが悪い」や「対応が悪い」と言われるパターンになります。
 
けれども、いくつかの選択肢を考えるというのは、他の選択肢のアラを見つけることでもあるのです。
そして、100パーセントの正解はないことを踏まえた上で、行動を選んでいるのです。
だから、悪い結果も予測しやすくなります。
 
対応しなきゃいけない悪い結果と、対応しなくてもよい悪い結果を選別することもできます。
そう、ここでも「選んで」いるのです。

情を込めるということ。

2018.11.28

真心を込めることは、プロの価値にならない。
けれど、込めちゃうものは仕方がないじゃない。
ボツ案も採用した案も、俺にとっては同じだよ。
 

素人は真心を込めることを価値にしがちです。
「愛情込めた料理はおいしいでしょ」ってやつです。
愛情を込めることと、料理のおいしさがイコールにならないことは、プロだったら分かっています。
いまではお店のホスピタリティも価値になっちゃうのかな。
まぁ、料理店の話だけでなく、この「気持ちを込めること」が、事業の利益に結びつかないことは、仕事をしている人なら分かるでしょう。
 
もしも、そうじゃないのなら、世の中の事業で赤字になるなんてことはないです。
経営者はみんな必死です。
従業員だって必死です。
売れるものには理由があります。
美味いから売れる、いいものだから売れる、おもしろいから売れる。
他人にとって価値になることが提供できて、はじめて利益がうまれます。
 
そんなことは分かっているんですけどねー。
そんな割り切りだけで仕事ができるほど、機械化されてないっちゅーねん。
俺にとっちゃ、どんな案も情があるよ。
 
こっちの方がおもしろい、こっちの方がいい、というのはあるし、プロとしての技術なんかもふんだんに駆使してますわ。
怜悧冷徹に判断しながらも、排除しようとしても生まれちゃうのが、作品への情です。
だから、若手が出してくる案にも同じような情が込められていると思って、返却してます。
この辺りは、つらいんだよね。

笑って、楽しんで、面白がって、稼ぐ。

2018.11.27

「難しい方を選ぶ」という台詞、実際のビジネスの場面でも、ちょくちょく聞きます。
「挑戦」とかも似たような言葉でしょう。
これをすることでレベルアップはするでしょうし、何にも挑戦しなくて事業が続くことはまずないです。
そして、挑戦は困難さと隣り合わせです。
 
でもね、ちょっと待てよ、といつも思うのです。
平坦な道を歩みながら、利益が右肩上がりになるのなら、これでいいじゃんって。
しかも、おもろくて笑いながら、こうなるのなら、なおのこといいだろうって。
平坦な道を楽しそうに歩いて、利益が右肩上がりなら、いろんな人が寄りたくなりますよね、この人の歩みに。
すると、ひとりだった人の歩みは、いつしか色んな人の歩みになり、一大行列になります。
これが、企業が拡大するってことです。
 
難しいことを選ぶのは一向に構いませんが、難しいことに挑戦することに酔っているときもあるでしょう。
そういうとき、ひとは「挑戦」などと言ったりして、自分の行いを正当化したくなるものです。
そして、挑戦していないように見える人を、攻撃したくなるものです。
 
でもね、事業っていうのは、稼ぐことで成り立つんだぜ。
そして、笑って、楽しんで、面白がって、稼いでもいいんだぜ。
これも、自分自身に戒めの言葉として言っています。