Archive for 2018

後発でも、おもろければ平気。

2018.12.6

まじめさよりも、おもろさ重視の方がうまくいく。
不謹慎に聞こえる人もいると思うけれど、張本人がおもろいと思っていないことを、ぼくらはおもろく伝えることはできない。
 
人がおもろく感じることには、ある程度の類型があるから、あの手この手を使って、おもろいと感じさせることはできる。
けれど、事業者が自分の事業をおもろいと思っていないと、おもろく伝えるのは嘘になる。
同じように、ぼくがおもろいと思えなければ、嘘になる。
 
そして、おもろく伝わっているかではなく、おもろいと思っているかが重要なのだ。
そうじゃないと、伝える内容は営業になってしまう。
「便利なものなんだから、買いなよ、これを」という広告物が多いが、これで買うほど、お客は機械じゃない。
 
世の中のメジャーなものは、ほとんどが後発だ。
後発でメジャーになったものの後に、競合がでてきても、メジャーになったものの地位が変わらないのは、おもろいからだ。
 
便利なものはいらないんだ、おもろいものが欲しいんだよ。

歴史の解剖。

2018.12.5

「先人を解剖することをした方がいい」ということを、若者に話しました。
有名なデザイナーとか、有名な画家とか、なんでもいいんですけどね。
その人が作ったもの、思想、その後の社会的影響などを解剖していくことです。
 
これをすることで、感動を与えるものが、どうして生まれてきたのかが分かります。
実際には、その人じゃないから、分からない部分はあるんですけどね。
それでも、「いいもの」が生まれた背景にも共通項を見出すことができたり、その時代にのみよかったもの、いま見てもいいと思えるものの違いなども、分かってきます。
いまの時代だけウケればいいものなのか、今後何十年も生きるものがいいのか、この違いもわかってきます。
 
人が「いい」と感じるものには、種類があるのです。
かっこいいもの、かわいいもの、美味いもの、ほろっとしちゃうもの、いろいろあります。
これらを説明して理解させることはできないですが、これらの要素を感じる作り手の思想に触れることで、人が感じる共通項を見出すことはできます。
 
いま多くの人たちが、方法を語っていますが、その方法を選んだからって「売れる」ものが作れるとは限らないです。
売れるのは偶然のような側面もありますし、事業は博打の要素がたくさんあります。
真似をするのは簡単になったけれど、それほどいいものが溢れていないのは、方法を簡単に掬って作っているからでもあるでしょう。
なんでも精神論のつもりはありませんが、先達が残してくれたものは、作品以外にもたくさんあるってことです。
これらをまるごと引き受けて、ぼくらは作ることをしているのです。

仕事の基準は「おもろい」か。

2018.12.4

一方ではライティングを断り、一方では頼まれてもいないのにバンバン書いてしまう。
我ながら好きに仕事をしていると思うが、人間だもの、ちゃんとリスクはとってますからね。
 
ぼくが仕事を断るのは、感情と時間のメリットがコストを大きく下回るときです。
個人や法人は、感情(理念)、時間、金銭、労力の四つのコストとメリットの総体で動いています。
お金は稼げばいい、労力もやっちまえばいい。
でも、感情と時間は買えない。
「好きにやってください、どうぞ、どうぞ」とぼくが言うときは、感情と時間がもったいないと思うときです。
さらにもったいないと思うときは、完全に関わりを断ちます。
 
そうしないと、仕事をおもろくすることは、できません。
 
ぼくは基本的に、事業者や企画担当者などの決定権を持つ人と打合せをします。
そのときに大事になるのは、マーケティング的な戦略でもなく、使命感でもなく、その人が楽しんでやれることかどうかです。
張本人がおもろくないことを、ぼくがおもろく伝えることはできません。
人の目を気にせずに、人の判断を気にせずに、やりたくなっちゃったこと。
こういう事業や企画じゃない限り、おもろくなることはないんです。
 
と言うことは、なんだかんだ言っても、ぼくは自分の仕事がおもろいんですよねー。

ダームー、ドーカン。

2018.12.3

ライティングが説明しかしない場合、ぼくはコピーライティングをしないようにしている。
ほんとうはした方がいいのだが、企業に「冗語の大切さ」を伝え、理解してもらうのは不可能に近い。
 
ライティングが説明しかない場合、こんなやりとりが起きる。
説明的な文書を書く→手直しをする→文章は変わるが説明的なことは変わらない。
なにひとつとして説明的なことは変わらないのに、「こちらの方がわかりやすい」という理由、「より説明している」という理由で変更が加えられる。
しかし、伝えている内容は、あまり大差がないことが多い。
変更をする企業の人は、言葉尻を変えただけで、説明的な文章の中身や、言い方のレベルは変わっていないことに気づかない。
だから、こういう企業が相手の場合、骨組みだけ伝えて、あとは好きに書いてもらっている。
 
ここを変えるには、冗語を使えるようにならなければいけない。
むしろ、コピーライティングをしたいのなら、冗語を扱うのは基礎だとも言える(と、ぼくは思っている)。
しかし、普段から冗語を使って人とコミュニケーションをとらないから、この大切さを知らないのだ。
 
街中に溢れている広告を見渡しても、たいして面白い広告がないのは、たんに説明しているだけだからだ。
「説明をして、いいでしょ、これ」と、営業をしているだけの広告が多いからだ。
人は、営業されることを嫌う。
営業や広告づくりの基本だ。
無駄こそが、人を感動させる。

工夫をするからおもろいんだ。

2018.12.2

今日、寝ているときに気づいてしまった。
「工夫をするからおもろいんだ」
 
通常に進んだら、ものごとは悲しみや退屈になる。
子どもは親の支配下におかれ、青年も無力で失恋をし、大人になれば死に別れ。
日々、同じことをしていれば退屈になる。
一生懸命に尽くした受験は失敗したり、事業は消滅することもある。
これは、誰にでも公平に当てはまる人間の摂理だ。
 
こんな摂理のなか、「良いか、悪いか」で判断をしていたら、退屈さは増すばかり。
だから、「AIが人間の仕事を奪う」と心配になり、「そうなれば人間らしい仕事をすればいい」と高を括るが、仕事しか知らない人の定年後のように、放り出されて何をしていいか分からないのが、本音だろう。
 
AIがやろうが、人間がやろうが、おもろければいいんだ。
おもろくなる工夫をするんだ。
そう、普通に過ごしていたら退屈や悲しみに溢れるのなら、工夫をして、おもろくしてしまえばいい。
 
パターンなんてもってのほか。
良いか、悪いかなんてもってのほか。
判断軸は「おもろいか、おもろくないか」でやってきたから、いまがあるんだ。
毎回毎回、工夫をしていたから、おもろかったんだ。
さてさて、あの退屈な企業をどう工夫しようか。