Archive for 2018

「Peace」のパッケージ。

2018.8.23

このご時世、煙の出るタバコを吸っている人も減ってきているが、そんな中、「Peace」を吸っている人と出会うと好感度は上がります(あくまでもぼくの好感度ですが)。
Peaceのパッケージをデザインした、レイモンド・ローウィの哲学とアウトプットは秀逸です。
そして、これを支えた高額な報酬とデザインが届けられるまで待つことができた依頼人も称えられるべきだと思います。
調べてみると、当時の総理大臣の月給が11万円だった時代に、150万円のデザイン料だったとな。
近年のデザインやクリエイティブが似通ったものしかないのは、安く早く済まそうとしている依頼人とデザイナーの双方に問題があります。
そういうゲームからは、ぼくは降りてます。
早くても遅くても必要な時間をかけます。
強度のあるデザインをつくるために。
ちょっとでも、レイモンド・ローウィはじめ、先達に追いつき、次の時代に価値あるものを残すために。

『ゴードン・マッタ=クラーク展』の感想。

2018.8.22

東京国立近代美術館で開催中の『ゴードン・マッタ=クラーク展』に行ってきました。
展示作品の中でも、「地下トンネル建設現場の話」はとてもよかったです。
映像自体は大したことはないけれど、作業員の話が印象深かいのです。
 
「トンネル掘りは真の知識人でなければならない」
「トンネルの壁の美しさに魅入られた作業員がダリを連れてきて、同じく魅了されたダリが壁画を描き、その後、普通のトンネルと同じように粉々にされた話」
「安い金額で入札に勝った業者は二度と入札に参加しなくなるのは、トンネルづくりという挑戦とはチューニングが合わないからという話」
 
ダリの話は、作業員がいいですよね。
これが宮廷の貴族だったりしたら、話はとてもありふれたものになるでしょう。
ダリがトンネルの壁に本当に魅了されたかはわからないけれど、地下の工事現場で絵を描くダリ。
完成された絵は高尚な美術館に寄贈されるのではなく、普通のトンネルと同じように粉々になる。
 
このギャップが面白さを出すし、その後の入札の話で、作業員の崇高さが確かなものになります。
モチベーションの話を、「チューニングが合わない」と言ったり。
トンネル工事がどれだけ大変で、モチベーションも資金も必要で、「美しさ」を心得ているか。
 
上流と下流で言えば、下流の仕事として見られがちだけれども、果たして上流にこれだけのモチベーションも教養もあるでしょうか。
コンサルよりも現場の声。
今度どこかで「チューニングが合っていない」と言いたい。
そういえば、昨日の話に関連づけて言うと、「賃金の安さを価値にするゲーム」からもぼくは降りてますね。
 

広げるゲームをしない。

2018.8.21

つねになにか種を撒いておいて、仕事を広げようとは思わない。
いや、ちょっと前までは、そういう気持ちもあった。
ただ、このゲームをしていても、つまらないことに気がついた。
 
背伸びをしていないつもりでも、ぎりぎりの部分までは大きく見せていたり。
議論を白熱させたり。
周囲に不満を抱いたり。
正論で追い詰めてしまったり。
スピードを価値にしたり。
対応力を価値にしたり。
もうそんなゲームからは降りたつもりだったけれど、またゲームに乗ってしまっていたことに気がついた。
 
結婚をしようが、なにをしようが、今日を笑って死ねる自信をもちたいだけ。
これだけのために生きてきたはず。
いや、ちょっとは人の役に立ちたいかな。
だから、結果的に人の役に立ってたらラッキー、ぐらいの気持ちで仕事をしようと思った。
 
クリエイティブで仕事をしているんだ。
そんなものを仕事にしようとする奴なんて、本来は世の中のつまはじき者だったはずだろう。
当たり前じゃないゲームだってあるはずだ。
「マジメか!」というツッコミは大好きだなぁ。
本来は、俺らがこうやってツッコミをいれるのが仕事だろう。

無駄さん、これからよろしく。

2018.8.20

一生懸命を捨てる宣言をして、 やることと言ったら「無駄なこと」だろうと思って、最寄り駅を走っている路線の終点まで行ってきました。
約一時間半ものあいだ電車に揺られ着いたのは、埼玉県の久喜駅。
駅についてからはとりあえずバスに乗ってみて、降りた後は駅に向かって歩くだけ。
途中、かき氷屋さんに寄って、いちごが丸ごと何粒も入っているかき氷を食べながら、ひたすら10キロ近くの道のりをサンダルで歩いていました。
ただただ歩くだけ。
難しいことは考えない。
足は棒のようになっても歩くだけ。
バスが全然通っていないんですもん。
(そういう道を歩いてしまったんですけどね)
時間でいうと四時間ちょっと歩きました。
帰りの電車では居眠りして。
すると、最寄駅から自宅まで帰ってくる間、足は重たいのに、頭は軽くなっているんです。
考え事をせずに、黙々と歩くことをして、道中の民家や、トンボや、田んぼに気をとられた一日が、頭の重みをとってくれていたといことです。
もう二度と同じ道は歩かないと思いますが、たまにはこういう「無駄なこと」に一日を使うのもいいです。
無駄から「俺をなめなんよ」と言われたような気がしました。
無駄さん、これからよろしく。

検索力は答えを考える力ではない。

2018.8.19

おととい、携帯電話をほとんど触らない日にしてみて気づいたことがあります。
いまの人たちって、考える力が弱くなっているんじゃないかと。
 
問題と遭遇したときに、ほとんどの人が検索をするでしょう。
けれども、検索してでてくるのは、誰か知らない人が書いた解決策。
この解決策の信憑性を測るには、似たような記事を探したり、記事の評価を確認したりするでしょう。
ここで鍛えられるのは、上手く解決策にたどり着くための検索力です。
「この単語とあの単語を組み合わせたら、誰かが答えをくれそうだ」という力です。
これ、答えを自分で考えて、問題を解決しようとしていませんよね。
 
検索が当たり前ではなかった時代に、周りにいる人たちに質問ばかりをしていたら、「自分で考えろ」と叱られたはずです。
「バカヤロー、そんなこともわからねーのか!」と怒鳴られることもあると思います。
つまり、自分の頭で考えて答えを出してみる環境の方が、当たり前だったんです。
「自分で考える」「人に質問する」「検索をする」のうち、「検索する」が当たり前になると、「自分で考える」ができなくなっていくんじゃないかな。