Archive for the ‘ビジネスの健康’ Category

タイプを間違わないこと。

2019.10.3

ぼくに言われるまでもないが、人には、それぞれのタイプがある。
何においてもあるし、大事なのは、タイプを間違わないことだ。
たとえば、仕事の進め方においてのタイプの場合、ぼくは「ひとりのタイプ」ということ。
ひとりで考え、ひとりで動き、見つけ、そして、ひとりでやる。
これによって、人に価値を提供できるタイプ。
 
「たくさんの人の頭には敵わない」と言う人もいるが、それは、「たくさんの人でやるタイプ」だから、その人たちは自分に適したことを言っているだけだ。
チームで動く場合に、それぞれの得意なことを信じて任せるやり方は、「ひとりのタイプ」であり、チーム競技でありながら個人競技でもある「野球」に近い。
 
ぼくがこの考えになったのは、試行錯誤の結果だ。
やり方、進め方、モチベーション、仲間、関係性、報酬、リスク……いろいろ試しながら、他の人が言うように、自分もたくさんの人と一緒に動いた方が、すごいものが出来るんじゃないかと信じていた頃がある。
だが、試せば試すほど、積もっていくのは落胆であり、この試行錯誤は、人間に対する理解を深めていくことになった。
 
そして、いつの日からか、「期待しない」という要素を、どの人にも含めるようにし、ダメだったときの、他の手段も考えるようになった。
こういう風に書くと聞こえは悪いが、仕事におけるリスク回避と考えると、とても当たり前なことでもある。
期待しない要素を含めることと、信じて任せることは同居するのだ。
BプランやCプランを考えながら、Aプランを進めるときに、人に任せる部分は信じて任せておく。
このやり方を上手くいかせるには、任せた相手も「ひとり」の要素を持っていた方がいい。
そうじゃないと、結局は、自分で考えて動いた方が早く、精度が高い、ということになる。
もしくは、できる人に依頼した方がいい、ということになる。
 
ただし、ここで大事なのは、信じて任せた相手に対して、報酬を示せているかだ。
多くの人が、信任を失敗するのは、依頼者が自分都合で物事を考えており、お願いされた方のコストやリスクを考えていないことに原因がある。
信じて任せる前に、相手にとっての「いいこと」と「悪いこと」を考えてから、話を振らないと、お願いされた方がバカを見ることになる。
それでは、相手は動かない。
人は、内的要因でも外的要因でも、報酬がないと動かないものだ。
 
以上は、ぼくがどのタイプにいるかが大きく関わっているので、他のタイプの人であれば、違うやり方が適しているかもしれない。
大事なのは、自分のタイプを間違わずに、これを発揮できる環境に身を置くことだ。
 
もしも、自分のタイプを知りたいのなら、仕事を任されたとき、納期前に納品ができる人間であれば、君は「ひとり」のタイプだ。
人の目や、納期といった外的要因がなければ、仕事の精度が落ちるのなら、それはひとりのタイプではない。
誰に言われずとも、こつこつ進められるかどうかが、「ひとり」のタイプを分ける。
何度も言うが、大事なのは、自分のタイプを間違わないことだ。

間口を広げる考え方。

2019.10.2

「あっ」って気づいたことがある。
ぼくがこれだけ「うつわの概念」や「間口を広げる考え方」を大事にしているのは、ニッチすぎる場所に、元々いたからだったのかもしれない。
その場所は、最近連続して書いている「アート」の業界なんだけど。
そこは、とても間口が狭く、うつわにしたら何も入らないような業界だ。
ギャラリーの入りにくさもあるだろうし、やっている人たちの意固地さも手伝って、とても狭くなっている。
日本の現代美術は予算もないから、スケール感もなく、弱者の自分を守るための作品になっていたり。
狭くなって、深くなればいいのかもしれないが、深くなることもなく、同じような言葉を使って遊んでいるだけになる。
だから、作品を作ることが悪いのではなくて、その業界と業界に染まった人がつまらない。
間口が狭く、うつわが小さければ、人が入る余白もないので、自ずと稼げない業界になる。
 
自分の名前が知られるようになる一方で、何も変わらない現実に「おかしいぞ」と思い始めてから、ぼくは業界と距離を取るようになった。
そして、世の中の売れている会社や、業界トップの会社、世界の土俵で闘えている会社と仕事をすることで、自分の考えややり方が間違っていなかったことを知る。
単純に、自分のいた場所が悪かったのだ。
これを肌で体験するにつれて、うつわの概念や間口を広げる考え方が、成長していった。
人がいなければ、何をやっても、苦しくなるだけ。
人が集まることで、価値に対して、報酬が払われるようになる。
それは、どこでも、誰でも、同じことだったのだ。
苦しい環境にいてよかったのは、工夫を覚えたこと。
間口を広げながら、人がお金を払える工夫を施していく。
人の役に立てているのだから、あの時飛び出して、よかったと思っている。

協力できることは。

2019.10.1

おもろいを考えるというのは、自分も喜んで、関係者も喜んで、お客さんや周囲の人も喜んで、を考えることだ。
一言で言っちゃうと「三方よし」なんだけどさ、いつも一言で考えてしまうと、ちょっとしたおまけなんだけど、実は後々すごく大事になることなんかが、抜け落ちたりするわけだ。
三方よしの概念は、日本では戦国から江戸時代にかけての近江商人が起源と言われているが、ぼく自身はいつから、この概念を考えるようになったのだろうか。
 
というのも、三方よしという言葉を知る前に、冒頭のことは考えていた。
写真家として名前が売れてくる一方で、すり減っていく自分や周囲、さらには社会に対して、何かがおかしいと気づき始めたときには、「どうにかしなきゃいけない」という思いがあったはずだ。
キャリアアップ、スケールアップしているはずなのに、何も得ていない。
それをどうにかしようと、さらに力を求めた。
考える力、ものづくりの力、稼ぐ力、無駄に衝突しない力などなど。
人間的に丸くなりながら、クリエイターとしての成長をしてきた。
事務所勤務時代の怒鳴り散らす社長や、生産性の低い環境を変えようと、再独立をした。
 
そして今、依頼人から感謝をされたり、それほどの不自由を感じない生活環境となり、クリエイターとして円熟味が増してきたと、自分なりに感じる。
自分に才能があるかどうかは分からないが、考え続けながら、作り続けた結果なんだと思う。
休まず、動いてきた。
そして、考える内容が、冒頭の「自分も、関係者も、お客さんや周囲の人も喜ぶこと」だったのだ。
アートでも、デザインでも、ビジネスでも同じなんだ。
「ぼくに協力できることがあるのか」
これなんだ。

喜ばれたら、得るものがある。

2019.9.30

世の中には「ファン」という存在がいる。
スポーツチームのファン、ミュージシャンのファン、漫画のファン、シェフのファンなど、すべてのジャンルにファンという存在がいて、ファンの人たちが彼らの収益を支えている。
宗教だって、信者は信仰対象のファンと呼べるかもしれないし、信者によって支えられているという意味では、信者はファンと言える。
MacやiPhoneを売っているAppleだって、今は死後になっている「マカー」というファンによって、長く支えられてきた。
そういう意味でも、人が食っていくために、ファンは欠かせないのだ。
 
けれど、ファンがいても食えないジャンルがある。
それが日本の「アート」だ。
ぼくも長いこと写真家としてアートの業界にいて、当時としては名の知れた若手の一人だったから、「ファンのような人」がいた。
展示があれば来てくれるし、HPのブログもチェックしてくれたり、展示会場で会えば、とても驚き、恐縮してくれる。
けれど、その人たちが、ぼくらの収益を支えてくれていたかといったら、まったくそんなことはなく、活動を続ければ続けるほど、ぼくらはすり減って苦しくなるのだ。
美術館で展示をしたり、海外で展示をしても、この苦しさは一向に変わらない。
 
アートで作品を購入する人のことは、コレクターと呼ばれる。
コレクターはファンであるときもあるが、若いアーティストの作品を買って、その後、価値が上がったときに売るという投機目的で購入する人も大多数いる。
ぼくもコレクターから作品を購入されていたが、それでも苦しさは変わらないのだ。
 
その後、ぼくはデザインも手がけるようになって、依頼によってお金を得るようになった。
収益を支えてくれるという意味ではファンと同じだが、ファンと言うよりも、家族のようだったり、友達のようだと言った方が、近いような気がしている。
本当に、二人三脚とはこういうことだと知るようになった。
依頼仕事で写真が必要になって、ぼくが撮った方がいいものなら、ぼくが撮影しているし、依頼人がいるからと言って、デザインとアートが違うスタンスかと言われたら、むしろ同じスタンスで作っている。
 
というのも、ぼく自身のわがままで作品を作ったことなんて、大学時代の数回しかないからね。
写真家でしかなかったときも、世の中に必要となるもの(そう思えるもの)を作っていたし、たとえ依頼でも、作る必要のないものを作ることはしない。
依頼仕事であろうとなかろうと、その点は同じなのだ。
そして、感謝をされたり、喜ばれたりする点も一緒なのだ。
違うのは、喜ばれると収益があったり、他の仕事につながったりすることだ。
これって、社会生活の基本なんだよな。

集中力の質。

2019.9.29

「ジャンプ+」という漫画アプリの『左ききのエレン』で出てくる「集中力の話」が、ぼくはとても好きです。
実際にそういう説があるのかは知りませんが、集中力について三つの構造に分けて説明しています。
一つ目は、集中するまでの速度。
二つ目は、集中の持続時間。
三つ目は、集中の深さ。
 
この三つを掛け合わせたものが、その人の集中力の質になるという説なんですが、言われてみると「なるほど」と思います。
おそらく、ぼくは「早く、短く、深く」です。
この状態になったら、人の話はおろか、周りの状況は見えていないです。
だから、普段は集中するとき、集中の深度をコントロールしています。
深度を浅くすることで、集中する継続時間を長くしたり、周囲がコミュニケーションをとれる雰囲気にしています。
それでも、「話しかけちゃまずい感じ」がするようなので、もしかしたらうまくいっていないのかもしれませんが。
 
基本的に、ぼくの集中力の持続時間は短いのです。
それが分かっているから、毎日色々な仕事を入れ込んで、テンポよく切り替えています。
一つの案件を長時間かけて完成まで取り組むのではなく、ある程度区切りがいいところで、別の案件に切り替えます。
そうやっていくつかの案件を渡り歩くと、音楽アルバムの全曲リピートのように、最初の曲である元の案件に戻ってくるので、また区切りがいいところまで進めます。
この繰り返しです。
これは、過去に、仕事をしながら自分の集中力がどういうものか分かり、このやり方が自分にとっては、今のところのベストだと行き着いたわけです。
だから、他の人は違うやり方があっているかもしれません。
でも、そのための最初の一歩が、自分の集中力の質を把握するってことです。